切迫早産で緊急入院になった話

初めまして!あんこと申します。
今日から私の入院記録を残していきたいと思います。
なぜ、投稿していこうと思ったかというと
人には中々言えない自分の感情をさらけ出して自分を客観視してみたい
同じような境遇に合っている人の少しでも心が落ち着けるものになればいいなという思いからです。

こんな、自分のための日記みたいなものですが、今あるこの気持ちを忘れないように書いていきたいと思います。
素人の日記ですが、読んでいただけたら嬉しいです。

2024年9月12日
29w1d
いつも通り、2週間に1度の健診に向かう。
検査をすると子宮頸官長がもう測定できないくらい短くなっていると。

先生:今すぐ、大きい病院に入院です。
旦那さんに来てもらえるように連絡してください。

私:家帰って準備してからじゃダメなんですか。

先生:そうなんです。そういうものなんです。
。。。急に言われたことに理解が追い付かず、言葉が出なかった。

今救急車呼んだのでソファで待っててくださいと言われ、
救急車を待つ。
先生は近くにいてくれて、36週くらいまで耐えられたらここで産めるから、頑張ってね。と心から思っているんだなという目で言われた。

救急隊員がくる。すこぶる元気そうな私を見てタンカー乗ります、、?
と一言。歩いて行けるけどなーと思いつつ先生に寝て!と言われ
とりあえず寝た。救急車に乗るとこれから向かう先の病院と確認の電話をしたり、旦那の連絡先を聞かれたり、住所の確認などをされた。
そのあとピーポーピーポーと聞いたことのある音を響かせながら、私を運んだ。赤信号を通過してるのを聞いて、私元気だけどな、、私って
そんなにやばいの?まさかね。と冷静な自分がいた。
とりあえず家族に報告をいれる。旦那も会社早退し、向かってくれてる。
40分くらいで病院到着。
緊急搬送口という入口からタンカーで運ばれてる私は「ドラマでよく見るやつだ」と。本当にこんな感じなんだと感心していたくらいだった。

そのあとすぐ、検査が始まる。
バタバタと先生2人と助産師3人が私の周りにきて
私の子宮口を確認する。
先生にこのまま産まれてしまう可能性もあるので、色々検査させてくださいね。と言われ、私はハッとした。
今?いま、いまですか?
それはさすがにないと思っていたからここで急に現実を見たというか知ったというか。自分の心拍が上がるのを感じた。
先生に言われて記憶に残っているのが、指1本分子宮口に入ってしまうという発言。
うっそでしょ?と。お願いだからまだおなかの中にいてと心から願った。

そのあとベットに移動し、体温、血圧、心電図、採血、レントゲン(胸のみ)をして、お腹のハリを抑える点滴をいれた。
点滴の管を通すところが見えて痛くないのになんか痛い。
お腹に赤ちゃんの心拍とお腹のハリを計測する機器を当てられる。
30分間様子を見るという。お腹は張ってないし、赤ちゃんも元気だね~と。
少し安心。それに加えて赤ちゃんの肺の機能をよくする筋肉注射を打たれた。これがまあ激痛で。打った後の方が痛い。涙が出そうだが、陣痛こんなもんじゃないよなと踏ん張る私。もう母だわと我ながら感心する。

そんなこんなで、病院のベットについてから休むことなく
大量の紙が渡される。輸血する同意書とか帝王切開の同意書などのたくさんの同意書。もしもの場合などもたくさん書いてあった。
怖いけど、同意するしかないんでしょ。みたいな精神で難しく長ったらしく書いてある説明を読んでいく。何枚名前を書いただろうか。
そのあと、病院でのルールや時間などを口頭で教えてくれる。
もう、正直自分の身体がどうなっているのか理解するのだけでもきつかった。
こんな紙たくさん渡されてもわからないよ。。。ていうのが本心。
でも、書いてもらわないといけないっていう病院側の意見もわかる。

もう、なにに同意したか覚えていないくらいの感覚。
旦那は、私が病院に救急搬送されたのと同時に到着していた。
受付で1時間以上待機されられた後、先生から私の状況を自分の身体を使って説明してくれたと。
看護師さんにお腹が空いてたら、病院にあるコンビニでお弁当とメイク落としを買ってきてとお願いするといいよと言われ、お願いした。
そしたらまさかの、看護師さんがお弁当袋を持ってきた。
今日は面会時間過ぎてるから会えないとのこと。(20時30分)

え、すぐそこにいるのに、会社早退して来てくれたのに、、
心配してくれてるのに、会えないの?

なにより、私がもう頭パンク状態で不安な気持ちでいっぱいな時だったから
旦那に抱きしめてもらいたかった。不安だよ。怖いよって
子供みたいに泣きじゃくりたかった。

私のために選んでくれたお弁当は大好きなしゃけ弁当と、大好きなマンゴーゼリー、どら焼き、どん兵衛。なんでもいいと伝えただけなのに流石だなって。私を思って選んでくれたことが伝わって心が暖まる。

温められていた弁当を口にすると涙が溢れる。ああ、嬉しいな、ああ、寂しいな。
美味しいって言葉も、ありがとうの言葉も
いただきます、ご馳走様も直接言うことができないんだと、このとき思う。これが何より、私の中で辛いことだった。それくらい私が大事にしてきた事だったのだと同時に痛感した。

こんな弱音を吐ける場所も無く、夜になる。
お風呂も入れず就寝。
点滴の機械が点灯している光だけが目に入る。
たまに聞こえてくる、赤ちゃんの鳴き声。癒されるなあ。
私も産まれてくる赤ちゃんの元気な産声を聞きたいな。と思った。

少し前に遡る。
悪阻がひどく自宅安静だった私は約5か月くらい、旦那と長い時間を過ごしてきた。(旦那はリモートワーク)
悪阻の時は本当に布団から動けず、家事から着替えから全部お世話してもらった。悪阻の時はスマホを見ているのも辛くて、当時を振り返っても日記にするにもしんどかったくらいだった。数ヶ月布団生活でその生活もしんどかった。けど、そばにいてくれる優しさと安心感が私を支えてくれた。
悪阻が落ち着いてきたら毎日昼夜の献立を考えて料理をするのが楽しかった。
そして、食べられなかった日々を経験したからこそ感じられる幸せを身に染みて感じた。なにより、旦那が美味しそうにモグモグ食べてる姿を見るのが本当に幸せだった。
大袈裟だけど、仕事ができず、家で休んでいる私にとっての私の生きる希望だった。
私が今、旦那にできる喜んでもらえることは料理を作ることしかないと。
毎日旦那とご飯を食べて、ゲームして、テレビ見て。
毎日寝る前に今日のありがとうを言い合って、腕枕をして寝る日々。
そんな他愛もない毎日がすっごく幸せだった。
もう、産まれたら、できなくなるのかな~とか。ふとそんなことを考えながら泣いた日もあった。

そして今日、静かな病室で一人で寝るという状況。
それはあまりにも突然で、心の準備ができていない私にとっては地獄だった。旦那のぬくもりで寝ていた私が眠れるはずがなかった。
旦那に会いたいと、甘えたいと、そんな気持ちが止まらず、涙が止まらない。旦那大好きかよって本当にツッコミたくなるくらい、この日は泣いた。

それから次々と不安なことが頭をよぎる
子供が今産まれてきたらNICUだ。まだ肺が育ってないから、元気な子が産まれるのか不安。
痛みが怖くて、無痛分娩を希望していたが、早産になると無痛ができない。
この状況だし、いつ破水するかもわからない。もしかしたら今日なのかもしれないと考えるだけで怖くて息が詰まる。

あと長くても2か月は病院生活。
産まれるまでは退院は無理そうな感じだった。
産まれるまでのこの時間を病室で過ごすのはあまりにも悲しい。
毎日、旦那にお腹を触らせて、声をかけてほしかった。
大きくなるお腹を毎日見せたかった。
何気ない幸せをもっと嚙み締めたかった。

毎日料理を作ることが生きがいだった私は、これからどこに
生きがいを見つければいいのだろう。
この誰もいない部屋で、私は何ができるのだろう。
何に幸せを感じるのだろう。

そんなことをぐるぐると考えては涙を流す。
時々、看護師さんが点滴を替えにくるけど、顔にタオルをかけて
気づかれないふりをしていた。
多分、看護師さんも泣いているのは何となくわかっているのだと思う。
でも、何も言わない優しさに救われる。

親しい友達にはラインで長文の弱音を吐いた。
こんな時に弱音を吐ける友達が居る私は本当に幸せだと思う。
意外と、家族とかには言えないんだなーって。思った。

沢山の思いを発散させて、温かい言葉も貰って。
小刻みに震えながら静かに泣いた。こんなに泣いたのはいつぶりだろうか。
それほど、誰かに吐き出さないと精神が保てない状況だった。
沢山泣いて、疲れて目を閉じる。目が覚めたのは朝4時。
そこからまた昨日の不安のループが始まり、
私と同じ境遇の人はいないだろうかとか、ネットやXで調べまくる。
それを見たって、自分は自分だし、その通りになるわけじゃないって
わかってる。けど、同じ思いをしている人がいるだけで、本当に
救われるんだ。
だから私もこの投稿をし始めたというのも結構大きい。

こんな状況だけど、前向きに考えて入院生活をより楽しく過ごせるような
日々になれたらいいなと心から思う。
今あるこの時間と今思ったこの感情は、絶対に無駄にはしない。
数年後見返して、こんなことがあったねって、幸せに話せる日がくることを
願って。

今日はここまで。
明日の私へ。
急に検査とか救急搬送とか驚いたよね、、大丈夫だよ。少しずつ受け入れていこうね。



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