信仰小話
私たちの教会はどこの教団や教派にも所属していないので、定義をするなら単立教会となりますが、各教派の良いところを取っています。
だから、プロテスタント的でありながら、カトリック的な教会でありますし、東方正教会や聖公会の信仰も牧師は学んでいます。
ロザリオの祈りもします(プロテスタントでもルター派の教会や聖公会もしますね)。
ロザリオは祈りの道具です。
私も以前は祈りの道具として見ていました。
ですが、ロザリオのことでふと気付いたことがありました。
私は体が弱く、床に伏していることが多いです。
それで、本当に心身が辛い時、いつもイエス様に頼れなかったのです。
それについて私は、自分はダメだという罪意識を覚えていました。
しかし、ロザリオを手にしてから、しんどい時にふと、ベッドサイドのロザリオを思い出し、ロザリオを握るのです。
そうしたら、自然とイエス様のことを思い出し、イエス様にただ潜心して慰めと励ましを受けます。
だから、痛みがあったとしても、心だけでも癒されてベッドから起き上がれるように少しだけなりました。
体調不良の時にロザリオの祈りが出来るとは限りません。しかしながら、ロザリオを握るだけ、頭の横に置くだけでも、体の辛さで忘れそうになる信仰心が呼び覚まされ、心が楽になります。
体の弱い私にとってロザリオは、ただ聖母マリアに祈りの取り次ぎを願う祈りの道具ではなく、ロザリオを通してイエス様を思い出す大切なものとなっていました。
話はこれだけですが、最近の私の信仰の変化です。