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どちらが優れているかなんて

カトリックに批判的な文章は書きますが、悪口を言うつもりはありませんので、最後までお読みください。

プロテスタント諸教会をひっくるめて、プロテスタントそのものを悪く言い、「それに比べてカトリックはプロテスタントみたいに〜じゃないから」という風に話を広げていくカトリック信徒の方がSNS上にいます。

確かにプロテスタントの方でも、愛のない言葉を発する人はいます。

だからと言って、プロテスタント全てを貶めるような発言は避けるべきです。

私の体験談をお話します。

私はカトリックの教会から排斥されました。

どの場面ででしょうか?

それは、カトリック教会での近しい親族の葬儀ミサの中での「聖体拝領」の時でした。

葬儀ミサが進んで行き、聖体拝領の時になり、とあるアナウンスがかかりました。

「カトリック教会に所属する人は」、ご聖体を与りに来てくださいという旨のものでした。

その時、私はプロテスタント所属のキリスト者でした。
しかし、同じキリストを信じる者であるにも関わらず、そして、親族の葬儀という特別な場面にも関わらず、私は聖体拝領の場から排斥され、亡くなった親族とは関係のない人たちが次々にご聖体に与るところを、ただ黙って指をくわえて見ているしかありませんでした。

私はその様子を見て、とんでもなくショックを受けました。
私だってキリストを信じている。それなのに、教派の違いでご聖体に与ってはいけませんと、バツ印を突きつけられたようなものです。

敢えてここで比べるなら、プロテスタント諸教会はカトリックの方に「プロテスタントじゃないから聖餐式に与ってはいけない」とは言いません。同じキリスト者なら、ほとんどの教会が歓迎してくださいます。
しかしながら、カトリック教会では例外的にプロテスタントの方でも聖体拝領を受けられたこともあったともお聞きしています。

結局、遺族は誰一人ご聖体に与れませんでした。
未信者を除いてもです。

この記事で葬儀ミサの時の体験談を挙げたのは、カトリックを正しいとするために、プロテスタントを貶すカトリックの方の投稿を何件か見て、それに同意する人もいたからです。
私は片方を良しとするために、もう片方を悪く言うやり方は個人的に良くないと思っています。

どちらにも良いところと悪いところはあります。だからこそ、カトリックもプロテスタントも互いを学ばなければならないと私は考えています。

話は戻りますが、葬儀ミサにおける聖体拝領の排斥は本当に正しい行いでしょうか?
私は今でも疑問に思います。

聖体拝領の制定の時、キリストは使徒たちを呼び集めましたが、熱心党のシモンや裏切り者のユダでさえ、主の食卓に呼んだのです。
イエス様はご自分に従う人を、これから裏切ろうとする者でさえも、考え方の違いで排除されることはありませんでした。

そのような体験を経て、カトリックとプロテスタント、どちらかが優れているとか、そういう何も生み出さない議論は無くなってほしいというのが、私の願いです。

同じキリスト者同士、祈りあって、励ましあって、愛の関係を築くのをイエス様は望んでおられないと思いますか?

分裂を生む言葉を言うのはやめて、今一度、互いを知り、キリストを知らない人に、キリストがどれだけ素晴らしいお方なのかを語り続けることが大切なのではないでしょうか。

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