2023年10月28日 主日礼拝説教の感想
説教題「神が確かにあなたがたの中におられる」
ヘブル人への手紙1章10-12節
新改訳聖書2017
今日の主日礼拝の説教では、「自分自身が絶対正義だと思って人を裁く、しかし、人を裁く自分自身が神に裁かれている」という事実を示した言葉が心に残りました。
それで、突然不安になったのです。
「私は人を裁いていないだろうか?」と。
過去を振り返ってみた時に、私は自分の怒りをコントロール出来ず、明らかに人を裁く言葉を発していました。
ですが、今を見ると、私の言葉の中にこれは人を裁いているというのが見つけられたり、逆に、裁いているかどうか分からない(良い意味でです)という、少し過去とは違う自分自身の変化に気付きました。
そう考えると、今は好き勝手に発言するところから、自己吟味の段階に入っているのかなと思いました。
あと、主観ですが、ちょっとは人に寄り添える言葉だったりを言えるようになってきたかなと思います。
ですが、私はまだまだで、この人の謙遜さを見習って!と言われてもおかしくないような人間です。
どうしても、言葉の節々に傲慢さや、ふざけた心が出てしまう。
そのような、私は変えられるべきです。
また、「剣で心を刺し貫かれる体験」について、語られていました。
この言葉はルカの福音書の、シメオンの預言の箇所に出てきます。
私は一度、本気で間違ったなと思うことをしました。
一生後悔する羽目になるようなことをしてしまう直前まで来ていました。
しかし、それ以来、私が自分の病状が寛解する瞬間だったり、人に優しくなる瞬間、人を攻撃から守ろうとする瞬間が、見える形で現れるようになったのです。
これは、私が意識して起こした行動ではありません。
完全に聖霊のみわざだと思わされます。
そういった、本当に苦しんだ瞬間を信仰で乗り越えさせていただいて、初めて、ヨハネの黙示録で書かれた「初めの愛」に立ち戻り、悪を行う私から少しずつ離れていくことが出来てきています。
ですが、これに満足してしまえば、成長はそこで終わりです。
私はまだまだ変えられなければならない。
キリストだけを求める信仰へと向かいたいです。
そのために、先述した自己吟味を怠ることのないようにしたいです。
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