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信仰告白とは
信仰告白って結構難しく考える人が多いように思えます。
ですが、私たちの竪琴音色キリスト教会において、洗礼を受ける時、もちろん伝道者とのコミュニケーションや信仰告白までの生活を見られることはあります。
ですが、驚くことに、私たちの教会で洗礼を受けた小学校低学年くらいの子(Aくん)の信仰告白はこのようなものでした。
伝道者「Aくんはイエス様のこと好き?」
Aくん「うん!」
伝道者「イエス様のこと信じてる?」
Aくん「うん!」
伝道者「じゃあ、今度君の洗礼式をするけど、ザボン(浸水礼)かチョンチョン(滴礼)どっちがいい?」
Aくん「ザボンがいい!」
これで、その子の信仰告白は終わりました。
イエス様が大好き、イエス様を信じてる。
そんな子供の単純な気持ちで信仰告白は成り立つのです。
私自身も、信仰告白の時にテキストを使って、主イエスを受け入れる祈りをしましたが、その前に「イエス様信じようと思う?」と聞かれた覚えがあります。
私も本当に純粋にイエス様すごい!とか、イエス様ありがとう!という気持ちで信仰告白したので、信仰告白を難しく捉える必要は、少なくとも私たちの教会ではないのかなと思いました。
[マタイの福音書 19:13,14,15]
そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちがみもとに連れて来られた。すると弟子たちは、連れて来た人たちを叱った。
しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。」
そして手を子どもたちの上に置いてから、そこを去って行かれた。
私が信仰告白した時の場合も書いておきましょう。
私は礼拝に何度か参加していました。
ですが、その時期、初めて彼氏が出来て浮かれて、周りに惚気まくっていました。
だから、イエス様のことなんてつゆ知らず。
ですが、信仰告白前に彼氏の浮気でスピード破局しました。
破局後、伝道者と深い話し合いをしました。
自分の生育歴も全て話しました。
当時、伝道者は私との関係が、私が彼氏に夢中になるあまり希薄だという認識を持っていたみたいで、私が破局して、教会に落ち込みながら助けを求めた時、初めて伝道者と深い話が出来ました。
そこで、伝道者から聞かれたのは「しゅあるくはイエス様を信じる?」ということでした。
私は元彼のこと以外にも、たくさん悩みがあって、虚無的な人間でした。
でも、イエス様が私を愛してくれていることご分かった時に「はい、信じます」といったような返事をしました。
その後、「四つの法則」という小冊子を伝道者と読み合わせしました。
その小冊子に記載されている、キリストを受け入れる祈りもしました。
主イエス様、私はあなたを必要としています。
あなたが、私の罪のために十字架で死んでくださったことを感謝します。
私は、今、あなたを私の罪からの救い主、主としてお迎えいたします。
私のすべての罪を赦し、永遠のいのちをあなたが望んでおられるような者に変えてください。アーメン。
ビル・ブライト著
国際キャンパス・クルセード
このように祈って、私の信仰告白は終わりました。
私の体験上、信仰告白は難しく捉える必要はないと思います。
キリスト教では、クリスチャンが誕生することを、人間の出産に例えます。
母なる教会、求道者を導いた人が母親として、求道者を身ごもり、母の胎内にいる求道者が信仰告白と信仰告白を形にした洗礼を受けて初めて、新しいクリスチャンが生まれます。
新しく生まれたクリスチャンの方は赤ちゃんのように可愛がられます。
そして、聖書を読むことを学び、説教で福音を聞いて、信仰が育まれるのです。
では、この新しく生まれたクリスチャンの父親はどなたか、疑問になると思います。
クリスチャンの父親は、天の父なる神様と呼ばれるお方です。
つまり、キリスト教の神様のことです。
イエス様ご自身も、この方のことを「父」と呼んでいました。
[ガラテヤ人への手紙 4:6]
そして、あなたがたが子であるので、神は「アバ、父よ」と叫ぶ御子の御霊を、私たちの心に遣わされました。
ここで書かれている御子とは、イエス・キリストのことであり、イエス様から聖霊を与えられた私たちクリスチャンは神様のことを「父」と呼ぶことが出来るのです。
前述したように、求道者の状態というのは、まだ母親のお腹の中にいる胎児と同じです。
だから、「私はイエス様を信じます」。
この言葉によって信仰告白はなされるのです。
最後に、クリスチャンが赤ちゃんの状態から、大人になることは、新約聖書のペテロの手紙やヨハネの手紙によく書かれています。
その中の一つをピックアップして閉じます。
[ペテロの手紙 第一 2:2]
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。