少しSNSを回ってみた時に、プロテスタントの方が、カトリック教会が「マリアの御名」で祈っているとか、そういった大きな誤解をされていたのを見かけました。
ですので、私が今まで学んできた中で、マリア崇敬の話を書いていきたいと思います。
カトリックの方もなかなかマリア崇敬を言葉化出来ない方がおられて、悩んでいる人も過去にいたので、なるべく分かりやすく書きたいと思います。
内容は、神の子を宿した母・十字架の預言を受けた母・取り次ぎの母・キリストの十字架の証言者・全ての人の母というテーマに加えて、私の体験も書こうと思います。
長くなるかもしれないので、テーマ毎に記事を書いていきます。
崇敬と崇拝の国語的意味の違い
まず初めに、崇敬と崇拝の国語的意味を学んでいきましょう。
プロテスタントの中で一番誤解されているのは、この崇敬と崇拝のことで、マリアや諸聖人を神のように「崇拝」しているのではないかということです。
しかし、カトリックは「崇拝」ではなく、「崇敬」をしているのです。
正直に話すと、この意味では少し分かりづらいなと私は思いました。
そこで、類語の意味を調べました。
崇敬の意味に書かれている「尊崇」という言葉は尊敬するという意味合いが含まれています。
対して、「崇拝」は「崇敬」とは違い、心が崇拝の対象に向けられていると理解して良いでしょう。
要するに、尊敬するだけなのか、心から傾倒するのかという違いです。
似たような漢字ですが、意味の違う言葉ですね。
お告げを受けた女性
皆さんご存知の通り、マリアは聖霊によってイエス・キリストを身ごもりました。
男性と関係を持たないまま、処女のまま幼子キリストをその身に宿されたのでした。
少し長くなりますが、天使ガブリエルから主イエスを身ごもるというお告げを受けた箇所を引用します。
ここで太字にしてある「どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」という、マリアの神に対する同意の信仰がマリアが神の母たる所以なのです。
「私は男を知らない」と事実は述べているものの、その後語られた「聖霊によって身ごもる」ことをマリアは信じたのです。
ここから、マリアの信仰は始まるのです。
一方、神のお告げが信じられず、神を試す言葉を言った人がいます。
それは、祭司ザカリヤです。
マリアのところに御使いが来る前、天使ガブリエルはザカリヤの元へ来ました。
ザカリヤに妻であるエリサベツがバプテスマのヨハネを身ごもることを告げるためです。
その時に彼はマリアと違い、信仰で神のお告げを受け止めることが出来ませんでした。
それが次の言葉に表されています。
「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年をとっています。」
この太字の言葉が、彼の信仰を表現しているものです。
「私は何によってそれを知れるか?」
これは、神に対して「しるし」を求める行為なのです。
以前の教会の説教で、マリアは男を知らないという事実を述べただけで、神を試してはいないと、しかしザカリヤは神を試したと教えられました。
だから、ザカリヤはバプテスマのヨハネの誕生まで、舌がもつれて会話が出来なくなってしまったのです。
これは、彼の不信仰の結果です。
私を幸いな人と呼ぶでしょう
マリアが信仰者であると同時に、キリスト教にとって特別な女性であることは明らかです。
一つは聖霊によってイエス・キリストを身ごもったことでした。
もう一つ、マリアはエリサベツと共に神に対する賛美を残しています。
まずは、エリサベツの「あなたは女の中で最も祝福された方」という言葉です。
マリアは他の女性とは違って、主イエス・キリストの母となっています。
神の恵みを一身に受け、聖霊によって覆われて身ごもったのです。
ですから、マリアは「女の中で最も祝福された方」なのです。
この恵みは、他の女性は受け取ることがなかったものです。
次に、マリアの賛美です。
「どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう」
マリアのこの言葉の通り、色んな教派・教会でマリア崇敬は語られています。
このような形でマリアに取り次ぎの祈りが現在でもなされています。
マリア崇敬は初代教会からずっと続いているものです。
実際にマリアはイエス様の昇天後も使徒たちと共に祈っていました。
そして、知らない人は先ほど引用したアヴェ・マリアの祈りをよく見ていただきたいです。
アヴェ・マリアの祈りはマリアに向かう祈りとして一番祈られる祈りですが、あなたはこの祈りに「マリアの御名で祈る言葉」を見つけられますか?
むしろ、主の母マリアに私のことをお祈りしてくださいと祈っているのです。
もう帰天されていますが、教皇ヨハネ・パウロ2世はマリア崇敬を通してキリスト中心の信仰になることを言い残しています。
マリアに呼びかける祈りに関しては、テーマの三番目の「取り次ぎの母」で語りたいと思うので、ここでは詳しく書きません。
次のテーマは「十字架の預言を受けた母」です。
少しずつ書いていきたいと思っておりますので、もしよければ読んでいってください。
追記
私の所属教会である竪琴音色キリスト教会で、正式にマリア崇敬の記事が書かれました。
是非、ご一読いただければ幸いです。