簡単パンクロック史

私は、パンクが嫌いです。
ただ、10代のころ、周囲にパンク好きの人間が多くいました。
そのため、周りと少しでも仲良くなりたい一心でパンクの歴史を必死に勉強しまして、一般の方よりかは詳しくなれたかと思います。
本稿は、そんな筆者によるざっくりしたお手軽パンク入門となっております。(厳密な時代考証はしておりませんのでご了承ください。)


パンクの定義

パンクと聞いてなにを思い浮かべるでしょうか?
不良、怖い、うるさい、社会への反抗...etc.
それらは半分正しいし、同時に間違っていると私は考えています。
なぜかというと、パンクに分類されるバンドは想像以上に多様な音楽性をもっているため、一つの枠にはめることは難しいからです。
ただ、それでは話が進まないので、あえて定義をするならこうです。

「ロックンロールから、黒人音楽の香りやノリをある程度そぎ落としたもの」

はい。なんのこっちゃって感じですよね。
これは実際に聞き比べたほうが早いと思います。

ロックンロールの有名曲↓

パンクの有名曲↓

踊りだすようなノリのR&Rに対して、パンクはよりストレートなリズムで突き進んでいくようなイメージですかね。
腰を振りたくなるのがR&R、頭を振りたくなるのがパンクだと私は勝手に理解しています。
(まあ正直なところ、直接的には、ガレージロックやパブロック、パワーポップの影響がでかいような感覚がありますね。)
では、大雑把に歴史を追ってみようと思います。

①ガレージロックバンドの流行(60年代、米国)

聴いてもらえば一目瞭然ですが、
荒々しいサウンド、手作り感あふれる録音環境、いなたいメロディー...
これらの要素をもつバンドが各地でローカルヒットを飛ばしていました。
(ほとんどが一発屋でしたが...)
彼らはお金がなく、自宅ガレージで練習することが多かったため、
ガレージバンドとのちに呼ばれたそうです。
ストロークス等のガレージロックリバイバルとは異なり、サイケ感のあるバンドも多かったと思います。
インディーズ、DIY的なロックバンドの先駆けみたいなノリでとらえてもらえば大丈夫でしょう。

②プロトパンク三大バンドの登場(60年代末~70年代前半、米国)

この時期になると、ラブ&ピース的な世間の空気に抗うかのように、
パンクの元祖とよばれる、強烈にやばいバンドが3つ登場します。
下に箇条書きでまとめました。

  1. The Velvet Underground (歌詞がやばい、ノイズがやばい)

  2. The Stooges (パフォーマンスがやばい)

  3. MC5(メッセージ性がやばい)

各バンドだけでひと記事書けるくらい有名なので詳細は割愛しますが、興味があればぜひ聴いてみてください。

③ニューヨークパンクの登場(70年代前半~中盤、米国)

上述の三大バンド(特にベルベッツ)の影響を受けつつ、さまざまなバンドがNYのCBGBというバーを中心にライブ活動を行うようになります。
詩作を中心に据えたパティスミス、美大生で結成されたトーキングヘッズなど、不良的なイメージよりかは芸術運動的な側面が大きいような印象です。
(もちろん、ラモーンズのようにストレートなパンクバンドもいましたが)

ただし、ここではまだ知る人ぞ知るという感じで、大きなブームという感じではありませんでした。

④パブロックの密かな流行(70年代前半~中盤、英国)

ここからはイギリスの状況になります。
パブロックとは、「古く良きアメリカ音楽にあこがれているイギリスの若者がパブをまわって演奏活動している」ことに由来するジャンルです。
要するに、R&R、カントリー、フォーク、ソウル、アメリカンポップス等、アメリカンルーツミュージックならなんでもありなのです。(The Bandや後期The Byrdsの影響も感じられる。)
にもかかわらず、どのバンドも不思議なことに共通の精神性みたいなものを感じられます。
本場ではないからこその憧れでしょうか?

一見すると、パブロックはパンクとは何のかかわりもなさそうに見えます。
ですが、英国においてアマチュアのバンドが活動しやすくなる下地を作ったり(英国版インディーズ的な?)、重要人物のニック・ロウがロンドンパンク初のアルバムのプロデューサーであったり、直後に来るパンクムーブメントに大きく貢献したことは間違いないでしょう。

⑤ロンドンパンクの大流行(70年代後半、英国)

マルコム・マクラーレンという実業家がいました。
彼は、先述したNYパンクの状況をみて、「これをもっと過激にして、不況に苦しむ今のイギリスでやれば売れるぞ!」と思い、
自身の経営するブティックの店員や、店の周りにたむろしていた若者を集めてバンドを結成させました。
これが有名なセックスピストルズです。
彼は、メディアを上手に利用して(今でいう炎上商法)、若者の不満の代弁者になるようにバンドをコントロールしました。(ライブパフォーマンスや服装等も指示していたそうです)
その結果、国内をまきこんだ一大ブームが起こり、パンクは一つの音楽ジャンルとして完全に確立することになりました。
政治的、攻撃的、不良的イメージはこのロンドンパンクに由来する部分が大きいような気がします。(例外もたくさんありますが)
下にピストルズ以外の有名バンドをば。

⑥ブーム終息後(70年代末以降)

ピストルズが短期間で解散し、ブームが収束します。
他のパンクバンドはそれらを乗り越えようと他のジャンルを取り入れるなど様々なアプローチをします。
これがいわゆる、ポストパンク・ニューウェイブと呼ばれているものです。
あまりに多種多様なので割愛しますが、ストレートさからの脱却というイメージでとらえるとわかりやすいでしょう。

その後も、メロコア等様々な形で細分化されていきますが、
私自身80年代以降はあまり詳しくないため、ここまでとさせていただきます。

終わりに

専門家の方からすると、雑論・暴論の嵐だったように思いますが、
こんなもんで語るくらいがパンクにとってちょうどいい感じもします。
(途中で書くのが面倒になった言い訳。)
鎌倉・室町・江戸時代くらいざっくりした歴史理解から、誰かにとっての入門の一助になったら幸いです。

ちなみに私自身は、どちらかというとパンクについて原理主義的な考えを持っています。
具体的には、「第三者からパンクとみなされた時点でその人はパンクではない」というひねくれた価値観。(ラベリングされることがとても窮屈に思えて、パンクってもっと自由でいいんじゃない?みたいな)
よって、ピストルズが登場してパンクが確立した時点で私にとってのパンクは終わってしまった感じが昔からありました。
言葉遊びと取られても仕方がないですが、「保守的なプログレ」や「メインストリームになったオルタナ」と同じくらい違和感をずっと持っています。
いつか誰かとそんな話ができたらいいなぁ...


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