物事には順序がある
何歳になっても成長したいというのは素晴らしいことだと思う。
英語ができるようになりたい、仕事で役に立てるようになりたい、生活を潤す為に学ぶという姿勢は必要な感情だと思う。
その中で考えるのは、結局自分が本当に必要と思う状況にならなければ真にスタートラインには立てないという事。
何かを学びたい、あるいは学ばせたい時に人間は愚かでもあるので怠けてしまうことが大半、その中で自己嫌悪などしてしまい、その学ぼうとした姿勢に失敗の烙印を押してしまう事まですればより状況は悪くなる。
好きこそ物の上手なれという諺もあるが、その学びたい物事に対して元々興味がある、好きである人はこのような悩みさえ持っていない。
好きではないけど生きていく上で必要だったりあって困らない物であるのなら、合理性を考えて得ようとする事だってある。
そんな時に考えてほしいのは、それは元々好きではなかった物だという点、そしてそれまえ前提として好き嫌いを判断するほどにその物事を知っていない状況からスタートだという事。
どういうことかというと、人は何かを始めたいと思って行動に移した時当たり前だが最初は大変で失敗と呼べるものを重ね、思ったよりも順序、道のりが長いことを知る。
その時諦めてしまうわけだ。
だがそれは、始める前の、自分が得たあとの充実した世界という幻想しか見えていない状態から明確に道のりが見え始めたという進歩なのである。
言えば真っ暗闇から少しでも遠くが見えた状態なのだ。
その時に残念なことに人間はこれは好きじゃないとか、この道のりは長すぎるとかまだぼんやりと見えただけの景色で判断する。
馬鹿である。
人間の脳はあまり変化を求めない作りであり、今ある習慣の中で生きたがる性質を持つ、だから自分が初めた最初の時点では拒否反応を示すのは生存本能として当たり前だし、それを知ってるかどうかで自分の今の感情を客観的にもみれる。
そしてこの性質を逆に活かすとすると、慣れた時点で半分勝ちなのだ。
だからこそ、習慣を作れというような自己啓発本が多数あると思っている。
そして脳が慣れて落ち着いてその物事に向き合えた時に初めて好きかどうかを判断できる。
そこまでやってからやり続けるかやめるかを考える権利が与えられるわけだ。
だが、そこまで出来たなら誰も苦労してないと言われる。
それだからこそ、自分がやらざるを得ない状況を作らなければいけない。
英語が必要なら、準備の前に英語が必須な英語圏に行く。短期でも数日だとしても
その資格が必要ならその資格が使われてる仕事場でお仕事をする。バイトの便所掃除でもなんでも
そのように自分の得たい物の1番近いところに身を置く状況を作ることだ。
そしたらそこで自分の得たいものを使っている人たちを毎日見ることになる。
刺激されないわけがない。
それをせずにコツコツできる人は脱帽だ。
凄すぎる
けど大半はできないので、このやらざるを得ない環境作りくらいしないとあなたは変われない
あとは大口を叩きまくるなどでもいいね
自分のけつに火をつけるそして好き嫌いを考えずに自分の脳がその物事になれるまで行う
そこまでしたら自ずとできているし、他の人はそれができなくてスタートラインにも立てていないのだから、その時点でその分野では百人に1人には確実になっているはずなんだ。
そーゆー気持ちで物事に取り組んでる。