シンガポール旅行④ 二日目 魅惑のストリート巡り
炎天下のマーライオン公園を後にした私と友人は、弾む心と共に冷房の効いた地下鉄に乗っていた。いよいよ本日のメインイベント、ストリート巡りの時間だ。
詳しいことは知らないが、どうやらシンガポールは雑多な国の人々が厳格な法の下好きに暮らしている国らしく、その結果横浜の中華街的なそれぞれの国柄の色濃く出ている街が随所にあるらしい。有名なところだとアラブストリートにチャイナタウン、リトルインディアにプラナカン、といったところだ。
そんな中、我々が最初に向かうこととした街はもちろんアラブストリートだ。なにせ友人も私も中東あたりのタイルに施されているような細かな模様がたまらなく好きで、ついでに言うならモスクなどの建物も美しくて大好きなのだ。行かない理由がない。
最寄りの地下鉄BUGIS駅で降りた我々は、アラブストリートの目印であるサルタンモスクを目指すことにした。
余談だが、シンガポールの地下鉄は駅構内が無駄に広く、ガイドブックに「○○駅より徒歩7分」などと記載されていても駅内の移動だけで10分、地上に出てさらに7分、なんて事はザラだ。田舎暮らしの私と友人は地下鉄の駅=地上の認識で旅のプランを立てており、そのせいで何度も疲労し汗だくの中地下鉄の構内を全力疾走することとなった。
「暑すぎるやろ…。汗かきすぎてエビアンが秒でなくなる。」
「また300円出して買うんか。身体から小銭吹き出してるようなものやん干からびて死ぬ。」
文句を言いながら炎天下の中を歩く我々の前に、突如として玉ねぎ状の金色のドームは現れた。
これだ!間違いない!アラジンで見た!
暑さも忘れテンションも上がり、遠目にもかかわらずモスクの写真を激写する私と友人。
近づいてみるとモスクは想像以上に大きく、入り口付近で来場者をチェックする警備員のようなおじさんが何人か待機していた。モスク内の礼拝堂は当然ながら異教徒の立ち入りは禁止なのだがその手前までなら入ってもいいらしく、露出度の高い恰好をしている人間にはここで羽織るローブを貸してくれるようだ。
私も友人も服装については事前に調べきっており露出などほぼない状態だったのだが、せっかくなのでローブを「え?必要なくない?」と怪訝な表情を浮かべるおじさんから借り受けモスク内へと入った。真っ青なローブで俄然気分が高まる。
モスクは入ってすぐが待合所のようなちょっとしたスペースになっており、その先に異教徒は立ち入り禁止の礼拝のホールが広がっていた。この礼拝ホールがもう、黒や緑を基調とした中に金色で細かな月や星が描いてあるのだが、とにかくもう美しいのだ。とにかく美しい。窓枠などの流線型の模様もそこから差し込む白い日の光も、穏やかで繊細で、全てが美しかった。
礼拝堂の前方には十数人の子供たちがカーペットの上に点々と座っており、それぞれが本を読んで勉強している。張りつめた空気を想像していたのだがそんなこともなく、昼下がりの体育館のような静かで和やかな時が流れていた。
「すっごいな、これはもうちょっとしたトルコだわ」
「やっぱりアラブ系の模様が一番美しいね。めっちゃタイルの写真撮った」
モスクを出るなり各々思うことを好き勝手語り合い、我々はそのまま目の前の通りへと足を延ばした。モスクの前にはそこそこ大きな通りが二、三本まっすぐ続いており、その両脇にずらりと雑貨屋や飲食店が並んでいるのだ。
せっかくなのでなんかアラブっぽい綺麗なものを買いたい。そう思い何気なく薄暗い店に入った私と友人は、入った途端に叫ぶことになった。
「ひゃぁぁー、めっっっちゃ綺麗!!!」
比喩ではなく叫んだ。事実「めっっっちゃ綺麗!!」だったのだ。
薄暗い店内には見渡す限り、大小様々な大きさのモザイク模様のランプが所狭しと吊るされており、その全てが青や緑、ピンクやオレンジの美しい光の欠片を周囲に少しづつ落としていた。
ランプのモザイク模様もそれぞれ違っており、氷の結晶のようなものや花のようなもの、直線的で無機質なものなど、とにかくそのどれもが心がギュッとなる美しさなのだ。
「凄くない?どんな状態?凄くない?」
あまりの出来事に私と友人が混乱しながら驚いていると、ニコニコしながら一人の老人が近寄ってきた。このおじいちゃん、どうやらこの店の主で奥にいたようなのだが、私達の出川哲郎ばりのリアクションを聞いて店先まででてきたらしい。
笑顔のおじいちゃんは私と友人を店の奥まで招き寄せると、ある位置に立つよう身振り手振りで示した。そこは店内でもとりわけ大きな、人一人でも抱えきれないほどの大きさのランプが飾ってあるところで、この位置でこのランプに手を添えて写真を撮ると綺麗な記念写真が撮れるよ、ということらしい。
実際に友人がその位置に立ち一番大きな青いランプに手をかざすと、ちょうど店内の数十個の輝くランプ達とも同じフレームに映ることとなった。まるで物語の中を切り取ったような一枚だ。
「ヤバくない?こんな写真無料で撮らせてくれるの?マジで金取られるんじゃない?無料?無料なの?」
物語とは程遠い俗世感溢れる私の確認に、半ば呆然としながら友人は答えた。
「無料っぽいよ。このお爺ちゃん優しすぎない?やっぱモスクが近いから徳高いのかな」
そんな会話が日本語で繰り広げられているとはつゆ知らず、お爺ちゃん店主は私にも同じように写真を撮るよう勧めると、その後、店内を好きに見て回るよう言った。
冷静になって店内を見て回ると、ランプのほかにも絨毯や陶器など、様々な雑貨が置いてあった。
そしてもう一つ気付いたことがあった。この店には値札が一切ないのだ。
コースターや小皿なども本当に可愛かったのだが、私と友人の心はすでに決まっていた。ランプだ。
さすがに天井から吊るすシャンデリア型のものは無理でも、スタンド式の卓上タイプのものならば我々の旅行ケースにですら何とか入る。せっかく旅先でこんなにも美しいものを見つけたのだ。その欠片くらいは持ち帰りたい。
我々が意を決して値段を尋ねると、お爺ちゃん店主は人好きのする笑顔で答えた。 「この大きなシャンデリアだと70万くらいだけど、この一番小さなスタンドライトなら2万円だよ(実際は英語なのでイメージ和訳)」
ひぇぇえー!!!度肝を抜かれるくらい高い!!もう宝石の値段じゃん!?もしかしてこれ、ガラスじゃなくて宝石でできてるのか!?
またしても出川ばりのリアクションをする我々を見て、じいちゃんは「ワァオ!」と、コミカルに驚くと言葉を続けた。
「けれどもあなた達は今日最初のお客さんで特別だし、私は日本人の友達がいるからスペシャルな値段にしてあげるよ。1万6千円にね!」
めっちゃ安くなった!それでも高いけど!
実際1万6千円は買えない値段じゃないがそれでも高い。旅の二日目でそんなにお金を使ったら今後に影響すること請け合いだ。けれどこんなに綺麗なランプを買わずに帰ったらそれこそ後悔することも必須…。
頭を抱えて悩む我々にさらに言い募るおじいちゃん店主。
「日本で使えるようコードも付け替えてあげるし、これはいい品だから壊れるようなこともない、ほら」
指し示す方を見れば、若い店員が横倒しにしたランプの上で片足立ちし、頑丈さをアピールしている。なんて雑な扱いなんだ。
「もう時間だし、ちょっと落ち着いて、昼ご飯食べてからまた来ようか」
友人の冷静な提案に私も頷いた。ちょうど昼食をリトルインディアの有名店、ヒルマンレストランで予約していたのだ。
「ご飯食べてくるの?いいよ!リトルインディア?近いから車で送ってあげるよ!」
じいちゃんの過剰すぎる親切。それを固辞しタクシーに乗ること数分、我々はリトルインディアへと降り立った。
そして、数秒もたたずに違和感を覚えることとなる。
道行くほとんどの人間がインド人。アラブストリートでも店員や道行く人々の大半がアラブ人だったのだが、彼らは何というか、顔の彫が深いだけで大半がニコニコしており、正直とっつきやすかったのだ。
けれどもインド人は違う。理由は分からないが道行くインド人の大半が男性で、しかもその全てが「目がこぼれ落ちるのでは?」というくらい目を見開いて真顔でこちらを凝視してくるのだ。ベースの顔自体が色黒で彫が深く迫力があるのに、街にいるその顔の人間全員が無言でこちらをガン見してくるのだから正直言ってめちゃくちゃ怖い。
すれ違う人がシンガポールにしては珍しく自分の腹側にリュックがくるように背負っていることからも、ここでの基本的な治安の度合いが伺われる。
なんにせよなんでこんなに全員から穴が開くほど見られるんだ?フラッシュモブか?何かマズイことをしているのか?とにかく怖いからやめて欲しい。普段神経の太さに定評のある友人ですら猫背で縮こまり、「マジでヤバいマジでヤバい。早く出ようよココ」と小声で連呼していた。私も完全に同意見だった。死ぬまでに一度はインド旅行をしておこうと思ったけれど、これはちょっと考え直すべきかもしれないな。リトルでこれなら、本物のビッグインディアはどうなってしまうんだ?生きて帰れるのか?インド、こえぇー。とずっと思っていた。
それでもせっかくリトルインディアまできたからには、一件くらいは店に寄っておこうという貧乏根性を炸裂させ、我々は恐る恐るムスタファセンターに入った。ここはリトルインディア一のショッピングセンターで、日用品から食料、薬品までとにかくなんでも揃っているらしい。
正直怖すぎてあまり記憶がないが、ここでチリクラブソースやブラックペッパーソースを買った事と、シンガポール名物のタイガーバームを飛び切り安く買った事だけは覚えている。
タイガーバームとは虫刺されや蕁麻疹、はては頭痛に至るまで、とにかく何が起こってもこれさえ塗っとけばオッケーというシンガポールが誇る万能軟膏だ。シンガポール名物なだけあって本当にどこにでも売ってあり、それゆえにその店での物価というか、おおよそのぼったくり具合の指標としても機能している。
ちなみにこの旅を通してダントツでタイガーバームが安かったのはこのムスタファセンターで、ダントツで高かったのはこの後訪れることになるナイトサファリだった。
とにもかくにもショッピングセンターに入って少しだけ落ち着いた我々は、足早に次なる目的地、ヒルマンレストランに向かった。
掲載されていないガイドブックなどないのではないかと思える有名店ヒルマンレストラン。ここの名物ペーパーチキンは醬油や紹興酒で味付けした鶏肉を紙で包んで油で揚げたもので、香ばしくジューシーでとにかく旨いと評判なのだ。否が応にも期待が高まる。
そして注文からたっぷり待たされた後に運ばれてくるペーパーチキン。パリパリのペーパーシートを箸で破き、中のジューシーな鶏肉に箸をのばす。
うん、旨い!旨いけど…と思い向かいの友人を見ると、微笑みとも真顔とも取れない微妙な顔をしていた。アルカイックスマイルだ。
「どう?」
その顔のまま、私に話を振る友人。言い辛いことをこちらから切り出させようとしているのだ。
「いや、美味しいよ」
「うん」
「美味しいけど…、正直お母さんが作るやつだわ」
途端に友人の笑みがアルカイックスマイルから通常の邪悪な笑みへと変わった。同意したのだ。
そう。旨いけど、これはお母さんが家で作るようなやつなのだ。出されたら美味しいと言って食べるが自分からリクエストする事はない。ましてやわざわざ外食で頼むようなものではなかった。
またしても勝手に高すぎるハードルを設定し勝手に失望してしまったようだな…。しょせんは焼いた鶏肉なのに、知らずめちゃくちゃ期待してしまっていたようだ。チリクラブが旨過ぎただけに、同等の期待をこの千円そこらの鶏肉にもかけてしまった。
にしてもこの店、見渡す限り客の大半は日本人観光客だしメニューも日本語。現地の店というよりは完全に観光客のためだけの店だ。なんでこの店が軒並みガイドブックで絶賛されるのだろう。やっぱりガイドブック会社に掲載店はバックマージン的なものを支払っているものなんだろうか…?
自分の評価とガイドブックのあまりの齟齬にそんな失礼な妄想を抱きつつ、一通り店の品々を堪能した我々は、話を本題へと移した。そう、ランプ購入問題だ。
「本気で欲しいけど、本気で高すぎるよね」
全てはこの友人の言葉に集約されていた。
「マジでね。しかもあの店に一時間近くいたせいで他の店全然見れてないし。夕方のナイトサファリのツアー前までにアラブストリートとチャイナタウン、巡り終われるかな…?」
早朝から出発したものの時刻はもうとっくに昼過ぎ。うかうかしている時間はないのだ。
「とりあえずここでガイドブックで行きたい店の目星をつけて、そこを中心にちゃちゃっと回ろうか」
友人からの提案に同意した私は、共にガイドブックを覗き込んだ。まだほとんど巡れていないものの、アラブストリートの魅力的な店々が並んでいる。
「あっ!さっきのランプ屋もある!」
友人の言葉でガイドブックの一角に目を移した私は、友人と同時に息をのんだ。
そこには今まさに我々が欲しいと思い悩んでいる1万6千円のランプの写真が掲載されていたのだ『ランプ(小)6,000円』の文字と共に。
「…あのジジイ!!!!!!!」
怒り狂う我々。
「嘘だろ…信じられん。普通そこまでぼったくる?」
「あんな孫に対するような親密さで接した相手にそんなぼったくる?」
「あんな親しみのこもった笑顔向けた相手にそんなぼったくる?もう3倍近いじゃん?これでもぼったくりって言うの?どんな感受性してんの?」
「人間不信になるわ。何がスペシャルプライスだよ。ある意味スペシャルだけど」
止まらないじいさんへの悪口。エターナルジジイディス。
しかしまぁ、適正価格ならばランプが予算範囲内だということが判明した事も事実だ。なにせ買うか迷っていたボーダーラインから一気に3分の1近い価格になるのだ。これはもう買うしかない。
「じゃぁとりあえず他の店見て、ランプと他に良さそうなものがあったらそれを買おう。じいさんの事は忘れよう」
そう結論付けた我々は、再びアラブストリートの店へと戻った。
アラブストリートの店を何件か流し見た結果、ようやくいくつかの事実を学んだ。
まず、ここらの店の商品の大半には値札がない。客が気になる商品を手に取って見ているとどこからともなく店主が寄ってきて、「それは1万円(超ぼったくり価格)だ。だが貴方は特別な客なので7千円(ぼったくり価格)にしてあげよう」と言い出す。
そこで客が「それならいらない」と言うと店主が「いくらなら買う?」と尋ねる。 そして客が「4千円(適正価格)だ」と返答すると店主が『おいおい、何のジョークだい?』というおどけた顔をし交渉開始。
…と、おおよそここまでがこのあたりの店の当然の挨拶、様式美なのだ。「貴方は特別な客だ」とする理由は「今日最初の客だ」「日本人の友達がいる」「私の友人に似ている」など様々なパターンがあるが、ほとんどがこの流れで事は進んでいく。
他の大半の店でのランプの提示価格が最初は1万円、特別な客だから割引で6~7千円だったことからしてもあの爺さんがハイパーぼったくり戦士だったことは間違いないのだが、おそらく私と友人の出川ばりのリアクションを見て「こいつらなら3倍でもイケる!」と踏んだのだろう。事実買う寸前までいったのだし、じいさんの見立ては正しい。年の功だ。
ひとまずランプはいろいろな店を見てから決める事にして、まずは純粋に通りを楽しむことになった。「これほんとにカシミアか?」と疑わしくなるような中東風の模様で織られた格安カシミアストールや『パシミナ』と銘打たれたあからさまに怪しいカシミア風のストール。そしてとにかく多い絨毯。どれもわくわくするような品物ばかりだったのだが、中でも特に私と友人の心を捉えたのはアラブストリートの一角にある香水瓶のお店だった。
エジプトやドバイから直輸入しているという嘘かホントか分からない香水瓶たちは色も形も見ているだけでうっとりしてしまう程美しく、ラクダや象をかたどった可愛らしいデザインのものまであった。手作りのためか手に取って見ると完全に密封される仕様ではないため実際に香水を入れたら物凄い勢いで揮発しそうなのだが、そんなことはこの美しさの前では些細な問題だ。外からの光を浴びて輝く香水瓶たちは、その美しさだけで十分すぎるほどの価値があった。
迷いに迷って幾ばくかの香水瓶を購入した私たちが満足げに店を出ると、友人があるものを見つけて駆け寄った。
「ここここ!チャイのお店!」
友人が事前に調べてくれていたアラブストリートですこぶる美味しいチャイを出すというその店は、見るからに年季の入った店構えで、年季の入った店内で年季の入った店主のおじさんが年季の入った食器をかちゃかちゃさせながら素手でチャイを作っていた。
泥水やん。
と思ったが友人には言えなかった。友人はここのチャイを飲むのを本当に楽しみにしていたのだ。
店に近づくと店の前にはシンガポール政府がホーカー(屋台)につける衛生度でB(ギリギリセーフ)と書かれたステッカーが貼ってあった。
どんな感情でかは分からないが、その店でチャイを飲むことを決意した友人は店のおじさんからコップに入ったチャイを受け取ると店外の席に腰かけ、いそいそと飲み始めた。チャイは濁ったウーロン茶ともニンジンジュースともつかない色をしており、心なしか泡立っていた。私は正直この旅で、もう友人は脱落したな、と思った。BのおやじがBの手で作りBの食器に入れたBのチャイを飲んでいるのだ。食中毒待ったなしだ。
一口二口飲んだ友人は顔をあげてこちらを見、「マジで美味しいよ!一口飲まない?」と言ってきた。私は「えー!?いいよぉー」と言った。よくそんなもの他人に勧めるよな、といった気持だった。
結論からいうとこのBのチャイは友人の体調に何の変化ももたらさず、私はこの時飲まなかった事を今でも少し後悔することになったが、それはもう結果論だ。あのBのチャイを飲んで無事に済む奇跡がたまたま訪れたにすぎない。
ともあれチャイも飲んですっかりアラブストリートに慣れた我々は、人の好さそうな夫婦の店で四千円でトルコランプを、そして数百円で謎のストールたちを買い集め、達成感と共にアラブストリートを後にした。きっとこれでもまだぼったくられているのだろうがもうそれでもいい。トルコ人おやじと対等に渡り合い価格競争できる人間なんてきっと日本では大阪人くらいのものだろう。我々の力では遠く及ばないのだ。
ちなみにこの時買ったトルコランプ、「本当に綺麗でうっとりしちゃう!」のは間違いないのだが日本の電圧の関係か明るさが四割減ぐらいになっており、「日の光の中では明かりをつけても全く分からないため完全なる暗闇の中でしか使えない。そしてとりたてて周囲の何かを照らすほどの光量もないためただ暗闇の中ぼんやり光るこいつの美しさを愛でることしかできない道具」と化している。
暑さと交渉疲れでだいぶ疲弊してきた我々だが、再び地下鉄を乗り継ぐと次なる目的地へと向かった。
辿り着いたチャイナタウンは、比較的慣れ親しんだ光景だった。基本的にカラフルな建物が多く、頭上にはずらりと提灯が吊るされている。台湾の夜市で見かけたようなカラフルな布に入った箸やけばけばしい色の中華風雑貨がところ狭しと並び、明らかにパチモンの面白Tシャツやキーホルダーなどが売っている。どちらかといえば日本にある中華街に近い陽気で雑多な雰囲気だ。
せっかくなのでちょっと見て回るか、と店をひやかして歩いていると、ヒンドゥー教のものだろうか、原色で色を塗られた神様や牛の像が雛人形の祭壇よろしく高く積まれた寺院が目に入った。
「凄い!めっちゃなんか乗ってる!」
宗教施設に目のない私と友人が吸い寄せられるように近寄ると、寺院の前には大きな看板が出されていた。この寺の由来か何かだろうか。
興味津々でそれを読むと、そこにはこう書かれていた。『この寺で写真を撮ると金を貰います』
凄い…。中国人の生きる力凄い。神をも上回る集金力。そう思うと我々は、そっとその場を後にした。
元来、私たちがこのチャイナタウンに来た目的は寺社めぐりでもなければ中華アイテムを入手したかったからでもない。どうしても食べたいスイーツがあったからだったのだ。
このチャイナタウンには多くのスイーツショップがひしめいており、中でもマンゴーとストロベリーアイスを雪のようにふわふわに削り、その上からフルーツソースとイクラのような謎の球体をかけたスイーツが名物となっているらしい。
目当ての店を探し出し注文を終えた我々は、空いている席に適当に腰かけた。店内は超満員で食べ終わった人間が席を立つとすかさず店員が食器を片付け、それと同時に別の客が座る、といった具合だ。
私と友人は件のマンゴーストロベリーアイスを頼んだ。友人に至ってはそれとは別に、マンゴータピオカミルクまで頼んでいた。
席まで運ばれてきたスノーアイスはパンフレット通りの鮮やかさで、大きさは想像の1.5倍ほどだった。そのうえ横には苺とマンゴーが添えられている。
「めっちゃ綺麗!めっちゃ美味しそうじゃん!」
「いいね!良くない!?」
乏しい語彙でひとしきりアイスを称賛した私と友人は、ついにスプーンをとってアイスをひとすくいした。雪よりも軽く柔らかいそのアイスは、すくっている手ごたえがほぼないほどだ。
ふわりとすくったアイスを口に入れる。
雪だった。結論から言うと、良くも悪くもこれは雪だった。
そのガッツリとした色味から、もっとパンチのあるマンゴー味を想像していたのだが、基本的にはマンゴーの香りが少しする雪、くらいの味だった。つまり、雪。味がほとんどなかったのだ。
「・・・このイクラみたいなの何なんだろ」
誰ともなく呟き横の謎の球体を口に運ぶと、無味無臭の球体がはじけ中から無味無臭の液体が出てきた。マジでなんなんだこれは。
ふと向かいの席を見ると、友人が肩を震わせて笑っていた。
「どうしたの?」
気味悪がって尋ねる私に、友人は自分の頼んだマンゴーミルクを差し出した。
「食べてみて、これ」
一口食べて、息をのんだ。
「ふふっ…。これ、常温で、無味…無臭…」
何がおかしいのか笑い続ける友人を見て、私も何故か笑いが止まらなくなっていた。本当だ。はるばるチャイナタウンまできて結構な金を出し、得たものは無味無臭の氷の山。しかも友人の小皿いっぱいあるマンゴーミルクに至っては完全に常温。常温で無味無臭。これ、どうすればいいんだ…。
「無味…無臭…」爆笑しながらそう呟き続ける私たちのもとに、刻々とナイトサファリツアーの時間が迫っていた。