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【短編】アドベントカレンダー

 十二月十五日、死んだ恋人からアドベントカレンダーが届いた。そしてアドベンドカレンダーに同封された手紙には「絶対に一日に一回だけ開けてください」とだけ、彼女の筆跡で書かれていた。
 僕はそれを受け取ってからすぐに送付元の住所へ向かった。彼女が住んでいたマンションの一室。インターホンを五回押し、殴りつけるようにノックをしても、何の反応も無かった。管理人さんに聞いてみても、やはりその部屋に彼女はいなかった。
 何の成果もなく、厳寒の十二月を一人で帰る。早歩きなのはコートを着るのを忘れたという理由だけではない。早くあのアドベントカレンダーを開けたかったからだ。手がかりが欲しかった。さすがに寒さに耐えられなくなって、適当なカフェに入った。アメリカン・コーヒーを頼み、小腹が空いていたのでハッシュタグワッフルなるものも頼んだ。メニューの一面に大きく載っていた。ハッシュタグを模したワッフル。どうでもいい。
 僕は店の一番奥の、角の席を取っていた。そこでアドベントカレンダーという初めて聞いたものについてスマホで検索し、彼女のそれの不可思議さに気づいた。というのも、通常、アドベントカレンダーは十二月一日から開けるように作られているのだが、つまり開けられる部分が二十五日分あるのが、彼女のそれには一つしかない。
 彼女のアドベントカレンダーはハート型の赤い箱であり、大きさはバスケットボールよりも少し小さいくらい。そして、引き出しが中央に一つだけ付いてある。彼女のアドベントカレンダーがおかしいのか、それとも実は今日がクリスマス当日で、みんなが気づいていないのか。いや、なんだっていい。僕はこのアドベントカレンダーに指を這わせ、においを嗅いだ。彼女の残り香はまったくなかった。
 テーブルの下でこっそりと引き出しを開けてみる。その中は虚空。星の無い宇宙のような暗黒が永遠に、深く広く拡大していそうだった。このアドベンドカレンダーの神秘に対する恐怖と、彼女との再会への欲動で板挟みになった僕は、震える手を抑ええて引き出しへ手を突っ込んだ。そして、虚空から手を抜いたとき、僕が握りしめているのは彼女の耳だった。
 耳だ。誰が見てもただ『耳』とだけ言うだろうが、僕にはそれが彼女の耳であることがすぐに分かった。耳たぶの厚さ、丸み、柔らかさ。そして耳孔の形や深さなど、とにかくなにもかも記憶の中の彼女の耳と一致していたのだ。
 すぐに僕はジャケットのポケットに耳を入れて、引き出しをしまった。そして何食わぬ顔でハッシュタグワッフルを食べた。アメリカン・コーヒーを啜った。
 帰宅すると、僕はパジャマに着替え、暖房をつけた。そしてベッドに入り、彼女の耳へ語りかけた。
「きみがいる夏は暑かったけど、きみがいない冬はとても寒いよ。コートを忘れたからじゃなくて、きみの温もりがないから寒いんだよ。すべてに枕詞が付くんだ。きみと飲まないコーヒー、きみと食べないワッフル、きみと寝ないベッド、きみのいない部屋。ただのコーヒーとワッフルとベッドと部屋じゃないんだ。すべてに『きみがいない』って付いちゃうんだ。そしてこの日常自体が『きみのいない日々』なんだ。これからずっとそうなんだ。そうさせないために、なにか企んだんだよね? ねえ、聞いてる?」

 ***

 次の日、アドベントカレンダーを開けた。彼女の眼球が出て来た。僕は彼女と見つめ合った。そして理解した。このアドベントカレンダーの中には彼女が在る。ただし、なんらかの神秘的な事情によって、僕は一日に一度しか開けてはならないのだ。
 僕は彼女と行く予定だった、神戸のデ・キリコ展に行った。彼女の眼球をこっそり持って行って、コートの隙間から『通りの神秘と憂愁』を見せてあげた。たぶん喜んでいたと思う。そして、ワイヤレスイヤホンの右耳側を僕が、左耳側を彼女の左耳に付けて、一緒に作ったプレイリストを聴いた。
 その日はきみのいない日でもあったし、きみのいる日でもあったよ。帰ってから、そう語りかけた。眼球は僕の目を確かに捉えていた。もう僕の眠気はちっぽけな錠剤に誘われるものではなく、ふたたび、彼女に誘発されるものへ戻っていた。
「きみがいない朝に起きるより、きみがいる夜をずっと眠ること。それが希望だったんだ」

 ***

 十二月十七日、この日は残念だった。アドベントカレンダーから出てきたのは彼女の眉毛だった。眉毛にしてやれることはない。自殺用に買った新しい剃刀があるからそれで整えてもいい気がしたが、やり方なんてわからないし、あとで文句を言われたら嫌だからやめた。
 寝室でじっとして、二人で映画を観ていた。

 ***

 十二月十八日、アドベントカレンダーからは口が出て来た。いちごのように赤くておいしそうな唇のある口だ。僕はそれにキスをしたかったが、口をパクパクとめちゃくちゃに動かすから、できなかった。代わりに、あのワッフルを持ち帰りで買ってきて食べさせたが、声帯も喉も肺もなかったから、ワッフルは口の中をするりと通り抜けて床に落ちた。それでも味覚はあるのか、ワッフルをよく咀嚼していて、だから床に落ちたワッフルは唾液でぐちゃぐちゃになっていた。僕は嬉々として掃除した。自炊も再開したし。

 ***

 十二月十九日、アドベントカレンダーからは鼻が出て来た。鼻頭が高く、小鼻の小さい、白鳥のように品のよい尖り方の美しい鼻だ。僕はあのワッフルの味だけではなく匂いも分かち合おうと思い、買いに出かけたが、途中で花屋に寄って、いい匂いの花を買おうと思った。しかし、どれもいい匂いなので迷っていたところ、店員さんに「どういったお花をお探しですか?」と聞かれた。僕は彼女のことで頭がいっぱいになっていたので、適当に「赤色が好きなので、赤色で」と言った。店員さんは赤い彼岸花で花束を作ってくれた。家に帰り、僕はそれを彼女に嗅がせた。

 ***

 十二月二十日、とうとう出て来た。頭だ。しかし、これは僕を悩ませた。頭自体は、目と耳と眉毛と口と鼻をまとめるために欲しかったのだが、それらと頭をくっつける術が僕にはない。外科手術なんてできないし、裁縫すら下手だった学生時代。しかし、賢い彼女のことだからなにかしらの手は打ってあるのだろう。
 僕はその日もじっとしようと思ったのだが、明日が待ちきれなくて、彼女の頭を抱えながらソファの周りをうろうろうろうろしていた。二十三時くらいに、ひさしぶりに友人から電話がかかってきた。
「大丈夫か? ずいぶんやつれているようだけども」
「大丈夫だよ。彼女が戻ってくるからね」
「そうか」
 友人はそれだけ言って、少し話したあとに電話を切った。

 ***

 十二月二十一日、胴体が出て来た。不安のひとつ、アドベントカレンダーから出れるサイズなのか? という疑問は解決された。百四十センチの小柄な彼女だったからなんとかなった。裸の彼女を見て、ひさしぶりに性欲が湧いたが、同意なしの性交はよくないだろうと思って、ただ生前の(?)彼女が置いていった服を着せるだけにしておいた。二カ月も置きっぱなしだったからかび臭かったが、まあ鼻は別の位置に置いてあるからいいだろう。

 ***

 十二月二十二日、困ったことに、そう、困ったことに、両腕が出て来た。両腕は予想通り、口のようにめちゃくちゃに動いた。広いとは言えない部屋の中で跳ねまわり、騒音を発した。机の上の花瓶を落とし、パソコンのキーボードを押しつぶした。僕は必死になって捕え、首吊り用のロープで謝りながら縛った。そして、引き出しの中にしまった。それでもそれなりにうるさいから、毛布に包んだうえでしまいなおした。そして、足に備えた。

 ***

 十二月二十三日、足が出て来た。これもまた白鳥のように白く細い美しい、身体の一部だった。これも縛り終えたとき、ふと思った。そういえば最近、お風呂に入っていない。彼女が五体満足……まあ今も満足と言えば満足なのだが、とにかくすべてがくっついていたときはちゃんとお風呂に入っていたのだが、最近は面倒だからシャワーすら浴びていなかった。彼女の鼻がひくひくと動き、僕から退くのは、悪臭が原因か。
 僕は風呂に入り、ついでに自分の身体だけではなく彼女の身体のパーツも洗った。まるで物のように彼女の身体を扱うのが背徳感を感じさせ、愉悦と不安が背筋を走った。

 ***

 十二月二十四日、この日は、彼女から手紙が届いた。内容は以下の通り。「あかんミスった。とりあえず私の身体をもって605―0062、円山ビルの一階のバーに行って、『コペンハーゲンから二四マイルのところに行きたい』ってマスターに言って、その後アドベントカレンダーを開けて」だった。彼女は焦ると関西弁を出す癖がある。なぜか文面でもそうなのだ。
 とにかく、僕は急いでそのバーに行くことにした。スーツケースに彼女のパーツを毛布でくるんで入れた。それでも中でめちゃくちゃに動くから、遠回りにはなるが人通りの少ない道を選んで徒歩で移動した。
 それでもけっこうな人数とすれ違った。クリスマス・イブだから。カップルが厳寒の京都の中、互いの手を温め合っている。僕もそうしたい。去年はそうしていたんだ。彼女への想いに心が焦がれ、ひりひりする。苦しい。辛い。ちゃんと厚着をしてきたが、いつのまにか暑苦しくなっていた。嫉妬とか、希望とか、不安とか、愛とか、もう僕なんかには分からない感情が渦を巻いて、子供に遊ばれた絵具のようにめちゃくちゃな色が僕の心を塗りつぶしていた。
 数十分、人ひとりを運びながら、やっとバーに着いた。店の外見など見る必要はなく、すぐにドアを開ける。ずかずかとカウンターに寄った。そして、キャバ嬢みたいな黒いドレスを着た女性に話しかけた。
「マスターですか?」
「え、はい」
 彼女は戸惑っていた。まあ、スーツケースを持ってバーに入るやつなんていないもんな、と、なぜか急に冷静になった。
「コペンハーゲンから二十四マイルのところに行きたい」
 端的に僕がそう言うと、彼女は目を細めて、「バックヤードへ」と端的に返した。
バックヤードの奥には、白い木製の扉があった。
「あそこは廊下に繋がっているので、茶色の扉を開けてください」
「ありがとうございます」と言って、ため息をついて、扉へ向かった。なんとか彼女を蘇らせる目途がつきそうで、余裕が出てきた。ゆっくりと扉に近づいて、開ける。廊下は死後の世界みたいに真っ白で、果てしなく伸びていた。一番近い扉は右側にあり、青色で、『パン屋』と札がかけられていた。二番目の扉は左側にあり、『像工場』と札がかけられていた。三番目の扉が壁と一体化しそうな白色で、『手術室』と札がかけられていた。
 ノックをしてから、「はーい」という声を聞いて、中に入る。
その部屋は、医療ドラマで見たとおりの手術室だった。手術台と、よく分からない電子機器があり、内装は近代的で清潔。そして丸椅子に医者が座っていた。腕が両肩の上と、脇腹からも生えていた。つまり六本の腕をもっていた。
「今日はどうされましたか?」
「花田莉子という人を知っていますか?」
「ええ、うちの患者ですが」
 僕はスーツケースを開け、毛布を取り去った。
「なるほど」と、医者は言った。
「これらをくっつければいいんですね」
「ええ、でもまだパーツがあるんです。いま出していいですか?」
「え? はい」
 僕は肩に下げたカバンからアドベントカレンダーを出して、その中に手を突っ込んだ。手には、生肉をもみこんだときの感触、洗剤が手に着いたときの感触がした。ああ、これは内蔵なのだ。見ずに、嗅がずにも、感触だけで分かった。
よく分からない臓器を一つとりだすと、医者は慌てて緑色の液に満たされたバケツを持ってきて、「この中に!」と叫んだ。僕は言われた通りバケツに入れた。
「内臓を適当に触らないでください! あと、すぐにこの中に入れてください」
 医者はゴム手袋をして取り出そうとしたが、僕は他人に彼女を触らせたくないから、僕がゴム手袋をして内蔵のすべてを取り出した。
「じゃあ、今晩中にくっつけるので、明日来てください」
 医者がそう言うので、不安に思いながら帰宅した。一杯だけ、いちばん強い酒をバーで飲んだが。

 ***

 十月二十五日、手術室にて、彼女はめちゃくちゃに動き、めちゃくちゃに叫んでいたらしい。だから、手術台に拘束されていた。五体満足で、生前のように。
「あのですね、脳がありません」
「彼女が脳なしだと?」
 僕は殴ろうとした。腕六本がなんだ。二本でも僕には愛情がある。勝てる。
「違います! 物理的な話です。脳が無いんですよ、頭の中に」
 僕はハッとした。そうだ。胴体と内蔵が別々なのだから、頭と脳も別々じゃないか。
「アドベントカレンダーを開けてみてくれませんか?」
 ああ、そうだ、脳が入っているかもしれない。僕は暗黒へ、虚無へ躊躇なく手を突っ込んだ。しかし、なんの感覚も反応も無かった。ああ、そうか。ミスとは、このことか。彼女は脳を用意し損ねた。
「どうします?」
 僕は一旦バーに戻り、適当に頼んだおすすめのカクテルを飲みながら考えた。その結果、たった一つのことだがとんでもない策を思いついた。
 身体は二つある。僕と彼女の。脳は一つだけ。僕のだ。なら、僕の脳を彼女にあげればいい。
 僕はマスターの日記帳の白紙の一片をちぎってもらって、ペンも貸してもらい、紙に手紙というほどの長さではないがメッセージを書いた。そして、手術室へ向かった。
「マジでやるんですか?」と、医者は引いていた気がするが、どうでもいい。ただ、彼女がいれば、僕は他になにもいらないんだ。僕自身でさえ、僕は要らないんだ。

 ***

 目が覚めると、私は、私は、裸だった。そして傍らには蜘蛛のように腕をたくさん生やした医者(?)がいた。
「ここはどこ?」
「手術室です」
「彼は? 好永くんは?」
 私がそう言うと、医者(?)は一片の紙を差し出した。そこにはこう書いてあった。
『もうきみとは別れたい。どこか、新しい場所で、新しい人と出会って、新しい恋をして。きみは世界一かわいいし、素敵な人だ。きみに出会えてよかった。さようなら。好永直樹より』

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