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”常識”に背き、大学受験を後回しにし、結果カナダの大学に行って永住権取得しようと決めた話

こんにちは!

#自分で選んでよかったこと 」とという言葉を見た瞬間、初めてカナダに来たときのことを思い出したので、記事にしてみました。


子どもの頃の話

自分の性格が深く関係してくるので、まずは子どもの頃のお話をします。

両親から聞いた話だと、わたしは小さいころから物欲があまりありませんでした。

それを知ったきっかけは、スーパーなどで、「あれ買って!」と言う小さい子を見た時に、自分にはそう言った記憶がないな…と。

忘れているだけかと思い、お母さんにそのことを聞いてみたら、「あなたは何か欲しいか聞いても、いつも、いらないって言う子だった」と。

将来の夢に関しても同じで、特にやりたいことがない

今でも覚えているのが、小学校の卒業式で、なりたい職業を1人1人言っていく時間で、特に何にもなりたくなかったわたしは、

そのとき、週1で習わせてもらっていたピアノから取ってきて、「ピアニストになりたい」と言いました。

ピアノは趣味レベルで好きでしたが、子どもながらに、ピアニストになることは本当に難しいことを知っていたため、

ピアニストになりたいわけじゃないけど…」と、「趣味程度で習ってるだけなのにこんなこと言うの恥ずかしい」という気持ちで言っていたのを、未だに覚えています。

高校生のときの話

将来について考えたとき

小学校、中学校を卒業し、高校生になって大学のことを考えるようになり。

ここでも自分のやりたいことは特にありませんでした。

周りの友だちも、やりたいことがハッキリしている人と、していない人で分かれていましたが、

ハッキリしていなくても、大学に入って色々経験して決める、という人が結構いた気がします。

特にわたしの高校はエスカレーター式で、他の大学を受ける人は限られていたのもあり、

他大学を第一希望にしている人でも、滑り止めでエスカレーターで繋がっている大学を設定している人がほとんどでした。

勉強しなくてもほぼ確実に入学できたので、完璧な滑り止めだったと思います。

ですが、その時のわたしは、「この流れに沿っていきたくない」という謎の意志が生まれていて、そこの大学を選択肢から外しました

さて、ここでどう大学を決めたかというと、今思えば小学生のときと同じことをしているのですが、

両親がやっている仕事から取ってきて、その分野と関連している学部Aに入ろうかな、と思いました。(デジャブ)

少し違うのは、自分がその分野に興味があるかないかが、自分で分からなかったことです。

それでも一応、大学の第一希望や滑り止めなど色々決めて…

いざ受験に挑みました。

”与えられた選択肢”

結果から言うと、第一希望には受かりませんでした

ここでわたしに与えられた”常識的に考えられる選択肢”は、

  • 第一希望以外(滑り止め)の学校に行く

  • 留年して第一希望の学校をもう1回受ける

でした。

日本では流れがあると思っていて、大学に行く場合は、

小中高卒業➞大学入試➞(留年)➞大学入学➞就活➞就職

と、試験期間、入学時期、就活時期もみんな統一で決まっていて、それが”常識”であると思っています。

ここで思い浮かんだのが、周りの言葉で、「大学に行ってから将来を決める」。

やってみてから、行ってみてから決めるということは大事ですが、

当時のわたしは、

  • それで何も見つからなかったらどうするの?

  • 具体的に学部内でどうやりたいことを模索していくの?

  • 親に授業料を払ってもらった後にやっぱり違うってなったら?

  • 本当に学びたいことか分からない学部に1年費やすのか?

などと考えていて、「わたしも行ってから決めよーっと」とはなりませんでした。

選択のとき

そして、自分なりにたくさん、たくさん考え、出した結論は、

カナダにワーホリ1年行った後に、それでもまだ同じ大学、学部に行きたいと思ったらまた受験しよう

です。

今までと全く環境で、全く新しいことをした後に、まだその分野で勉強がしたいと思ったら、その気持ちは本物だろうと思ったからです。

もちろん、同じ考えの友だちは周りにいませんでした。

周りにいたのは、受かった大学に行く人滑り止めの大学に行く人留年する人、(大学以外だと、就職する人専門学校に行く人)しかいませんでした。

ですが、当時はなぜか、”当たり前の選択肢”よりも、自分の考えや気持ちを優先した方がいい気がしました。

家族の中でも自分は末っ子で、甘えて甘えて生きてきたのもあり、両親にも最初は心配され反対されました。

物欲もあまりなく、将来やりたいこともないわたしですが、自分でこれ!と決めたことは頑なに変えないので、

そうと決めたら、両親を説得するため、ワーホリについて調べまくりました。

海外に来てから1年の間

そしてカナダに来たのですが、日本を出てから半年ぐらいに、自分のやりたいことが見つかり、滞在中に英語を学ぶことに楽しさを覚えました。

わたしの自己紹介記事でも永住権取得までを書きましたが、

結局は、1年経つ前に、日本で行こうとしていた大学、学ぼうとしていた学部にはあまり興味がなかったんだ、ということに気が付きました。

代わりに、カナダの大学に行き、在学中にPRを取ることにしました。

あのときそのまま滑り止めの学校に行ったり、留年したりしても、わたしの人生はそのまま流れていっていたとは思いますが、

ここで思ったのが、「自分で選択してよかった」、「自分の意見で選択肢を作ってよかった」ということです。

ここまで読んでいただきありがとうございました😊

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