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日本一危険な神社に円空も参拝した⁈
日本一危険な神社と言われる太田神社は北海道せたな町の太田山にあります。
社は山頂近くの洞窟にあり、その洞窟に入る際の岸壁に架る約16mの鉄橋と約7mの鉄鎖が日本一危険と言われる所以です。
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太田山山頂をアイヌが仰ぎ座して拝んでいるのを見た松前藩の祖、武田信広は直ちに登りその洞窟に太田山の神を祀ったのがはじまり。
その約200年後に円空が修験に来て、洞窟内でたくさんの彫仏をしたと言われていますが現在、円空仏は一体も残っていません。
それでも円空が来たと言われる理由として、
①江差や乙部ではニシンの豊漁祈願として毎年円空仏を海に投げ入れ神に捧げたとの村人談がある。(『新・円空風土記』丸山尚一 )
②1778年に来た木喰道上は円空仏を見て自らも彫仏を始め、北海道にも数体残っている。
③1789年に来た旅行家菅江真澄は「斧で刻んだ仏像が、このお堂内にたいそう多く立っておられるのは、近江の国の円空という法師がこもって、修行のあいまに、いろいろな仏像を造っておさめたからである。」
(『えみしのさえき』現代語訳)
この3つが挙げられます。
更に①について言えば、実際に太田山と奥尻島の間の海で拾い上げた個人寄贈の円空仏を現在上ノ国で見る事ができます。
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また、北海道の名付け親の松浦武四郎は1845年と1856年の2回巡視に来ていますが、円空仏の事は記していません。他の地では詳細に記録しているので、太田山では見ていないと思われます。
菅江真澄の後、45年の間に円空仏は全て海へ奉納されたのかもしれません。
どちらにしても大正時代、修験者の失火で洞窟の仏像は全て消失しました。
しかし、上記③菅江真澄の著書には続きがあり、
「神前の鈴をひき、ぬかづいて拝んでから、外に出て、いささか岩の上を伝っていくと、また岩の空洞があったが、その中にも円空の刻んだ仏像があった。」と書かれています。
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真澄の言うもう一つの洞窟に、もしかすると円空仏が取り残されているかも知れないと言う期待を胸にドローンで検証してみました。
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残念ながら新発見とはなりませんでしたが、古老談に聞く頂上まで続く沢地形の道も確認できました。昔は参道入口の鳥居の右側には滝があり、そこで禊をしてから登拝したといいます。
当時35才の円空が滝に打たれ、沢沿いを上り洞窟から洞窟へと休む間もなく修験している姿が目に浮かびます。
円空は後に12万体の彫仏する理由を聞かれ、
「我、山岳に居て多年仏像を造り、
その地神を供養するのみ」
と答えています。
神と仏を明確に分離しない神仏習合の時代、"地神供養"とは神=仏に敬意を込めて供物を捧げる事であり、円空は自ら彫った仏像をただ一心に太田の神へ奉納したのだろうと思います。
山岳修験者、円空が登った蝦夷三大霊山の太田山。その山中の雰囲気や洞窟までの高度感をぜひYouTubeで確認して頂きたいです。
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