【朗報】毒親を黙らせる魔法の言葉:「老後の面倒、見ないから。」
毒親被害者の会現役会員の皆さん!
今日も生存、おつかれさまです。
「自分は恵まれてるなぁ」と思っていた。
「こんなに出来の悪い子どもで、両親に申し訳ない💦」と思っていた。
成人してからしばらくの間も。
割りと最近まで。
田舎の女子なのに、大学に進学することを認めてもらえて。
しかも、東京での一人暮らしを許してもらえて。
たまにお米も送ってもらえて。
たとえ、幼少期から日常的に「ブス」「ブタ」「ぶー子ちゃん」と罵られて育っても。
「私が産んだんじゃない」「お前は橋の下で拾った豚だ」「太らせて食べるつもりで育ててる」と母に言われて泣かされても。
母のストレス解消のために大切にしていた髪を切られても。(そのせいで小学生の頃は常に「節子かワカメちゃんか」というくらいのおかっぱでした……)
朝食の後、二人で遊びに行く兄と弟を見送って、食器を洗って、掃除機をかけて、洗濯物を干して、風呂掃除をする義務を課された青春を送っても。
「本を読むのが好き」と言ったところ、
「お前は父親似だから嫌いだ!」と泣きわめかれ、母にビンタされても。
ストーカー被害を相談しても「被害妄想w」と無視され、挙句性犯罪に遭った後、「お前が悪い」「お前の落度だ」と家族総出でセカンドレイプされても。
正月に実家に帰省した際、インフルエンザで寝込み、「お兄ちゃんが東京に帰る時に玄関まで出てお見送りしなかった!」と言う理由で母に泣きわめかれても。
祖父母へ年3回は贈り物をすることを義務付けられ、自腹で購入した菓子折りを「きょうだい三人から」という名目で渡すことを強いられても。
性犯罪被害者を「嘘つき」「ハニトラ」「男の方が被害者」と嗤う父と「仲良くする」ことを強制されても。
母の機嫌が悪いと「女だと思って甘やかしすぎた! これからは厳しくする!」とギャン泣きされて食事抜きにされても。etc…
書いている今も、
「別にそんなにひどい家族ではないのでは?」
「やっぱり私が悪かったのでは?」という疑問が頭をもたげてくる。
が、友人に家族のことを話すと、ドン引きされる。
「不可抗力、責任感強くて優しいから利用されてるんだよ……」
「母親、メンヘラすぎるだろ……」
「どう考えても虐待だよ……。逃げろよ……」と。
私は大学に進学できて、本当によかったと思っている。
学費を払ってくれた両親には恩義を感じているし、困っていたら助けたいし、「老後の面倒も、長女である私が見るのだろうな」と思っていた。
思っていた。
今年の正月、私はうずくまって泣き叫んでいた。
激甚生理痛だった。
「重い生理痛は陣痛並みの苦痛」と聞いた事がある。
恥も外聞もなくのたうち回る今、まさにそれだと実感した。
生理痛で初めての死者になると思った。
「孤独死するまえに救急車を呼ばねば……」
激痛の波を見計らって、スマホを手繰り寄せた。
母からメールが届いていた。
『不可抗力ちゃん、いつも優しいお心遣い、ありがとう!
最近、お父さんのお仕事が忙しいの……。
心配してるよってメール、送ってあげて☆
それと、お兄ちゃんが今日3時の新幹線で東京に戻るんだ(涙
お兄ちゃんが無事にうちにつくように、不可抗力ちゃんも祈っててね!』
痛みのため、しばし気絶した。
目が覚めると多少は楽になっていて、『生理痛がつらい』と返信を打った。
『痛みの感じ方は人それぞれだからママにはわかんない(笑)』
と返ってきた。
何かがブッツリと切れた。
再び気絶した後、長文を打ってこれまでの仕打ちを責めた。
母を責めながらも、「こんなこと言って申し訳ないな……」という罪悪感が湧いて来た。
自分はどこまでも、「家族」に「ご奉仕」するように躾けられ、洗脳されてきたのだと思った。
思ってて尚、「自分って性格悪いな……」と気分が沈む。
母も応戦してきた。
「不可抗力が好きでやったことでしょ!」
「親のせいにするんじゃないのーッ!」
「だったら、もう何もしてあげないから!」
そんな文句だった。
「もう何もしてあげない」と言いたいのは、こっちのほうだ。
あんたらが年とっても、同居も介護も一切しないから。
これまで散々可愛がってきた息子に面倒見てもらえ。
こう返すと、明らかに風向きが変わった。
「みんな不可抗力ちゃんのこと心配してるよ」
「お母さんも年を取りました。お父さんもこの頃目の調子が悪いんです」
「家族なんだから分かり合えると信じてる」
今更下手に出ても無駄。
親の老後の面倒は、絶対にみないと決めた年始めでした。
というわけで、毒親の妄言を黙らせるマジックワード:
「老後の面倒、見ないから」
皆さんも、機会があれば使ってみて下さい。
生き残ろう!!
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