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佐野乾山はホンモノだ! 岡本太郎の見た佐野乾山 (美術手帖 1962年8月号) を読む

これまで探していて入手できなかったこの本をようやく手に入れることができました。60年以上も前の本です。

美術手帖1962年8月号

美術手帖 1962年8月号の中に寄稿されている、
「生活者のイメージ 琳派と自然 佐野乾山展をみる」 岡本太郎

新発見の佐野乾山が話題になった1962年6月、芸術新潮が「佐野乾山」展を企画して新発見の作品と資料を東京と大阪で公開しました。これは、芸術新潮の編集部が、「実際にそれらの作品を見る機会を得た人は意外に少ない。そして、噂話にひとしいような真贋論議が実物に則した研究に先走ってしまった。」という問題意識を持って企画したそうです。(素晴らしい!)

今回、紹介する岡本太郎氏の手記は、この「佐野乾山」展の作品を見てその感想をまとめたものです。この手記に関しては、佐野乾山に関する資料には必ずと言っていいほど引用されています。
例えば、白崎秀雄著「真贋」には、以下のように引用されています。

(前略) 会場に入るなり、意外な思いだった。 二つ三つと見るにつれ--なかなかイイジャナイカ。--色が鮮やかなハーモニーで浮かび上がっている。筆さばきも見事だ。(中略) 気どりやポーズ、とかくやきものに見られる枯れた渋み、いわゆる日本調みたいなものがない。(中略)いきいきした線、タッチ、そのリズムが何となくモダ―ンな感じで、ふとピカソやマチスのデッサンを思いおこさせる奔放な表情があったりする。(中略)さてこの展覧会は、真贋のうるさいセンギに決着をつける為に計画されたのだろうが、そんなことどうだっていい。たとえニセモノだって、これだけ豊かなファンテジーのもり上がりがあれば、本ものより更に本ものだ。

真贋―美と欲望の11章 (1965年)

これを読むと岡本氏がホンモノ派であることは明白ですが、どの程度乾山の真贋について考えているのかは良く分かりませんでした。
前置きが長くなってしまいました。それでは、岡本氏の記載を紹介します。

岡本氏は、佐野乾山を見るまで光琳は評価していましたが、乾山はまったく評価していなかったようです。この前提で読まないと前出の引用部分の意味合いが良く分からないと思います。

(略) 光琳の絢爛として厳粛な、一義的芸術、その激しい格調、ロマンチスムにふれ、つき動かされれば動かされるほど、私には弟の乾山の仕事が面白くない。趣味的な弱さ、低さ。時おりふれても眼をみはらせるほどのものではなかった。才人の職人芸だ、と無視していた。
近ごろ「佐野乾山」と称するやきものが大量に発見され、真贋問題で大へん騒いでいる。そういうニュースを見聞きしても、そんなことどうだっていいじゃないか、馬鹿々々しい沙汰だとしか思えなかった。従って今度の展覧会にも、「乾山」を確かめに出かけるほどの熱も興味もなかった。ところが編集子のいささか強引な案内もあり、たとえつまらぬものでも日本文化の一つの証拠として、やはり実見しておいてもよいぐらいの気分で行って見た。

ここから上に挙げた引用文につながります。岡本氏は佐野乾山を見て、乾山を見なおしたようです。

会場に入るなり、意外な思いだった。
二つ三つと見るにつれ、--なかなかイイジャナイカ。--色が鮮やかなハーモニーで浮かび上がっている。筆さばきも見事だ。見て行くほどに楽しい気分になった。
気どりやポーズ、とかくやきものに見られる枯れた渋み、いわゆる日本調みたいなものがない。のびやかに、なまなましい。若い。(中略)

「乾山」を見なおした。やきものの効果を、小憎いほど心得ており、つぼやさわり、味いを存分に駆使しながら、やはり純粋に絵具の色、線の面白さを打ち出している。つまり絵として、楽しめる。

ここから佐野乾山の作品に関する記載ですが、ここに書かれている印象は、私の抱いた印象とまったく同じでした。

真剣とも遊びともつかない奔放なタッチ。いかなる技術的アクシデントもおそれていない。(中略)

サラサラと落書きのような気軽さで描き上げたものでも、何か形としてかたまり、そして完結している。松、梅、菊、朝顔、茄子、みんなそうだ。線が流れっぱなしになってしまわないで、必ず出発点に回帰して来る。もの、実在物の強靭なシルエットのまとまりを見せている。自然の趣ではない、別な実体を浮き彫りしている。そういう形態を生かす技術である。

ここから岡本氏は、当時話題になっていた「佐野乾山」の真贋論争に関する持論を展開します。学者や骨董商が重要視している「落款」や「故事来歴」、それを根拠にしたニセモノの芸術に関して徹底的に批判します。

さてこの展覧会は、真贋のうるさいセンギに決着をつける為に計画されたのだろうが、そんなことどうだっていい。たとえニセモノだって、これだけ豊かなファンテジーのもり上がりがあれば、本ものより更に本ものだ。まったく、骨董品として商売の種にしたり、美術史的に鑑定なんかする、にぶい御連中の、芸術感覚から浮いてしまった馬鹿々々しさには腹も立たない。

繰り返していうが、芸術にとっては実在するものの豊かさだけが本ものなのであって、落款とか故事来歴の信憑性などは、些末な問題だ。それにつけても、考えるのは、われわれの周囲にあまりにも「芸術」と称するニセモノが多いということ。極めてわずかな本ものしかない。たとえ高名であり、大へんなものだとされていても。そういうニセモノにならされて、むしろ「芸術」本来の感動を見失っているから、こういう騒ぎもおこるのだ。

今回、岡本氏の原文を読むことができ、かなり真剣に佐野乾山をホンモノだと感じていることが分かり、安心しました。そして、佐野乾山を見た岡本氏の印象が、私の感じた印象とまったく同じであることを知りうれしくなりました。
同じくホンモノ派であったバーナード・リーチ氏は、森川氏所有の佐野乾山を見て、「一目見て本物と思うばかりでなく、私が今まで見たなかでもっともすばらしい乾山の焼物です。」とコメントしました。これはすごい発言です。なぜなら、リーチ氏はこれまで名品と言われていた鳴滝時代の光琳絵付けの乾山作品を含めて、佐野乾山の方がすばらしいと言っているからです。このコメントに関して、私はこれまで「それはちょっと言い過ぎでは?」と思っていましたが、今回の岡本氏の書かれた内容を読むと岡本氏もリーチ氏と同じ意見であることが分かりました。

やはり美術品は見る目がある人が見なければダメだ、そして佐野乾山を評価するには「絵が分かる人」でなければならない事を再認識しました。
陶磁器の専門家に見せると、「形、姿が云々」とか「土が云々」などというコメントばかりが出てきますが、この観点は佐野乾山の評価としては本質ではない話です。(佐野の手控えの記述を読むと佐野に来た当初は、江戸から素焼きの器を取り寄せて絵付けしていたそうですし、その後は江戸から土を購入して弟子に成形させていたようです。)

最近の本を読むと、リーチ氏の佐野乾山に対する見解、発言はリーチ氏の芸術人生の中の汚点であり、晩節を汚したというような扱いをされているものが多いですが、私はそのような評価をする人たちの見識を疑います。リーチ氏のように絵が分かり、陶芸に関しても知見があって「日本の陶磁界に忖度する必要がない」人物の評価は非常に貴重だと思います。
リーチ氏は、「七世乾山」を襲名したほどの人ですから、当時乾山に関しては一番物を言える人だったと思います。

岡本氏は鳴滝時代の乾山の作品(光琳が絵付けをしたもの)をまったく評価していなかったようですが、「光琳は評価していたのでは?」と思って読み進むと、

陶器や団扇に描いたものなんか、つまらぬものが多い。やせていて、これが同じ光琳かと思うくらいだ。ところでここに見られる乾山の方は楽に描きちらしていて、自由で豊かである。

と書かれています。光琳の「紅白梅流水図」「燕子花」などは傑作と評価していますが、乾山の陶器にへの絵付けに関しては、まったく評価していないようです。これでようやく納得しました。
バーナード・リーチ氏もこの点を指摘していたのだと思います。
1960年代当時の乾山作と言われていた作品は、よく知られている光琳絵付けの作品以外は現在の眼で見ると「?」なものが多かった状況です。玉石混交の乾山作品の中で、玉である光琳絵付けの作品を評価できないのであれば岡本氏が乾山の作品を「才人の職人芸だ、と無視していた」ことも当然のこととして納得できます。私たちも「光琳の絵付け=傑作」という一般的な思考を見なおすべきかも知れません。

私は、この岡本太郎氏の一文に芸術品としての佐野乾山の素晴らしさのすべてが書かれていると感じました。現在、この重要な一文があまり重要視されていないことを非常に残念に思います。


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