以前書いた『「乾山 見参! 着想のマエストロ」 を読む』で乾山研究の第一人者である竹内順一氏の、「乾山自身が「作陶」に直接関与し、製作過程に乾山の「手の痕跡」のようなものがある作品はない。」というコメントを紹介しました。
しかし、この説は意外と知られていないようです。先日、某SNSで乾山を含めた骨董にかなり詳しいと思われる人とやりとりしていた時に、乾山の絵付けのある作品は確定されていないんですよね?と書いた所、「そんなガセネタどこから仕入れたのか?」との反応返って来て驚きました。私は、「そんな意見があるのは知っているけれど、私は〇〇だから違うと思う」という類の意見が聞けると思っていたのですが、展覧会の図録って皆さん読まないのかな?と不思議に思った次第です。
これは非常に重要な問題で、これがある意味「佐野乾山真贋論争」の原因となったと言えます。その辺りの詳細は別途まとめようと思いますが、まずは竹内先生以外の研究者はどう考えているか、以下年代順にコメントを紹介したいと思います。
まずは、佐野乾山真贋論争が盛り上がった1962年以前の本からです。満岡 忠成氏は茶陶の大家と言われていたようです。
次は、佐野乾山真贋論争以降の本から。佐藤雅彦氏は私としては「中国陶磁史」が印象に残っていますが、乾山を含めて茶陶に関してもかなり本を書かれています。ただし、佐野乾山に関しては贋作派で否定的なコメントを出していました。
次は真打登場です。(笑) 林屋晴三氏は、1960年に森川勇氏に佐野乾山を紹介した、いわば佐野乾山真贋論争の原因を作った方です。晩年まで茶陶の本で森川家所蔵だった光悦茶碗を愛でていましたので、亡くなる前に佐野乾山事件のけじめを付けて欲しいと願っておりましたが、特に何もコメントせずに2017年4月にお亡くなりになりました。
最後にリチャード・L.ウィルソン氏です。氏は、「尾形乾山:全作品とその系譜」という定価12万円、全四巻の大著を書かれた方です。氏は京都市芸術大学学長であった佐藤雅彦氏の指導を受け、本格的に乾山研究に入ったようです。上記本の巻頭にある、佐野乾山の真作派だった山根有三氏の一文が興味深いです。
ところが、この本では佐野乾山はまったくの贋作扱いです。(笑)
山根有三氏は、事件当時のバーナード・リーチ氏のように日本の陶磁業界に忖度しない研究を期待したのだと思いますが、真逆の結果となっています。
まあ、贋作派の佐藤氏の指導があったのでしょうからしょうがないのかも知れませんが…。
閑話休題、ウィルソン氏の乾山焼に関するコメントです。氏も工房ありきの考えのようです。
以上のように、乾山焼の工房説は、乾山研究でも主流の考えだと思われます。
佐野で製作した佐野乾山は弟子が成型して乾山が絵付けしたと考えられます。一方、当時乾山自筆の絵の作品は知られていなかったわけですから、佐野乾山真贋論争時に贋作派の主張であった、
「絵が違う」、「乾山の成型とは違う」
というコメントは、そりゃそうでしょ!という話でしかありません。
これらの詳細に関しても追々書いて行こうと思います。