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「美術品は見るだけでなく、読み込むもの」 瀬木慎一氏の見た吉薗佐伯

チンザノ

TVの「なんでも鑑定団」でもおなじみだった辛口評論家の瀬木慎一氏のコメントです。(瀬木氏は残念ながら2011年にお亡くなりになってしまいました)
瀬木氏は贋作とされている「吉薗佐伯」に関しても、かなり好意的な発言をしています。
きちんと関連資料を調べているようで、さすがに調べもしないで贋作と決め付ける評論家達とは違うなと関心しました。

パンテオン寺院

― 佐伯祐三のものとされる絵が大量に発見された、〈吉薗佐伯〉についてはどうでしょうか?
あれは私は実物を見ていないので今まであまり発言していませんが、状況はわかります。これに関しては、佐伯祐三にまつわるたくさんの文献資料、手紙の類やメモがそれこそ数百出ています。あの資料は人が言うほどいいかげんなものではありません。だいたい外国の古い郵便スタンプまで偽造する人もいないし、できるわけがありません。それに彼と関係のあった吉薗周蔵という人物も確かにいたと思います。これは普通の人間ではない、非常に奇怪な人物ですね。ああいうのは、昭和の軍国主義時代の社会が生んだ非常に特殊なアンダーグラウンドな人物ですよ。
問題はあの絵です。本物の絵を見ないと本当は何とも言えないんですが、これまで発表されたものを出版物で見て言えることは、描き方が薄いことです。下地が埋まっていないような感じです。ふつうの画家ならこれは仕上げられた絵ではなく、初期の段階あるいは未完成の絵というべきでしょうか。でも佐伯がこんな絵を描いたわけがないという人は非常に早計だと思います。どんな画家にもこういう段階の絵があるし、彼の場合はあまりいい状況で死んだわけではないので、たくさんの絵を丹念にフィニッシュできたわけではなかったろうし、そのまま絵が放置されてもおかしくないでしょう。
佐伯の現存作品はだいたい500点ぐらいだと思いますが、30歳という短い生涯でもそれだけの作品があるわけですから、未完成作が50や100、あるいは200や300あっても私は変だとは決して思いません。この人は元来速筆の人ですから、本当はこれ以前のいわゆる素描やデッサン、下絵といったものがもっとあってもおかしくないんです。
パリや日本で佐伯と密接につきあった人々の思い出については、1937年に出版された『佐伯祐三遺作展覧会目録』のなかに様々な人が文を寄せています。そのなかに親友の中山巍の手による《佐伯君とその作品》と題した文章があります。これがまさに重大な証言で、どういう訳か、みんなこれにふれていないんです。そのなかで中山さんは「佐伯は所謂腕のたつ画家だった。筆を握れば縦横無尽に描きまくることが出来る男だった。・・・一日に三四枚も描くことがあった。作画は早かった」と書いています。我々がこれまで見てきた佐伯には、そういう絵がないじゃないですか。むしろこの機会に佐伯の未完成のもの、下絵的なものがないことの不自然さを研究家たちは説明しなければならない。死んだ後に妻であった佐伯米子さんが破棄したのか。しかしそんな記録は全然ないし、そんなことは誰も言っていないわけです。そうすると残っていなければいけないんですよ。
それと報道の問題もあると思います。たとえば『芸術新潮』が撮影して掲載した作品の見栄えはいいと思いますが、『AERA』が掲載したものは報道週間誌の写真のせいかちっともいい撮影とは思えない。『AERA』に載っているものを見た限りでは人は偽物だと思いますよ。そういう写真の影響も大きいでしょうか。

Bien 24/芸術出版社 2003/12

その後、瀬木氏は実際の吉薗佐伯をじっくりと見たそうです。しかし、その内容を発表せずに他界された事は非常に残念です。


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