佐野乾山の真贋論争は「日本最大の真贋事件」とも言われています。しかし、事件から60年以上経過した現在も真贋の判断は「黒に近いグレー」というあいまいな状況で、はっきりとした結論がでていません。その原因などについては今後書いて行こうと思いますが、「佐野乾山」そのものが佐野周辺でも風化してしまっている状況を踏まえ、その論争の経緯を簡単にまとめておきます。
*昭和34年前後?
斎藤素輝氏が「乾山」銘のある陶器を主として東京の西久保巴町や麻布青山方面の古美術商に売り込みに歩いていた。その中の一つである港区の古美術商米政がそれらの品を「佐野乾山」であると信じて購入した。また、その斎藤氏から、青柳瑞穂氏(詩人、フランス文学者で古美術蒐集家)がその乾山を購入していた。
*昭和35年2月
京都から上京した森川勇氏は、 林屋晴三氏(東京国立博物館陶磁室)から、新発見の「佐野乾山」 の話を聞いた。世に、乾山作として通用しているもののうち、万人が真作と認める作例は九牛の一毛に過ぎない、 と言われるほどに贋作に多い乾山であることから、初めて「佐野乾山」の出現を耳にした森川氏も信じなかった。
この情報を持ってきた林屋氏自身、初めて聞いた時は、一笑に付したのだが、現物をみせられて真作と認めざる を得なかったとのこと。森川氏も半信半疑で東京都港区の古美術商米政に行き、実物を見て本物であると確信して父である勘一郎氏(茶人如春庵)と協力して佐野周辺に赴いて直接「佐野乾山」の蒐集を開始した。
*昭和35年2月以降
市場に「佐野乾山」が出回り、一部に贋物説が囁かれた。
神戸在住の実業家が収集家の森川勇 氏から700万円で譲り受けた「佐野乾山」の絵皿4枚を芦屋市在住の 乾山研究家である 山田多計治氏に見せたところ、「偽物」と断定され返却する事件が発生。
*昭和37年1月3日
来日中だったイギリスの陶芸家バーナード・リーチは、 藤岡了一(京都国立博物館工芸室長)と共に、京都在住の収集家森川勇氏を訪問。 彼の収集した「佐野乾山」を詳細に鑑賞して感嘆した。
*昭和37年1月19日
上記事実に関連して、朝日新聞朝刊の「青鉛筆」に次の一文が掲載。
*昭和37年1月28日付け毎日新聞(中部版)
「名陶”佐野乾山”にニセ論議 最近大量に出廻る 第二の永仁のツボ?」
*昭和37年2月9日付け読売新聞
「陶工”尾形乾山”の作品二百数十点でる 栃木で発見 鑑定をいそぐ」
*昭和37年2月13、14日付け東京新聞
*昭和37年2月13日付け毎日新聞(中部版)
「大発見かニセモノか 買い入れ先いわぬ 焦点の人斉藤・森川氏」
*昭和37年2月14日
衆議院の文教委員会で代議士の高津正道氏が文化財保護委員事務局長の清水康平氏に質問
*昭和37年2月
「芸術新潮」3月号に「新発見の佐野乾山」の特集を組む。
*昭和37年3月8日付け読売新聞
「佐野乾山の出所 発見の三氏が公表 土地の旧家から集める」
*昭和37年4月12日毎日新聞
「手控えにニセモノ説 書体内容に数々の疑惑」
手控はいわば制作メモで、山根有三・林屋晴三氏らが真作説をとり、これが佐野乾山の真作説の有力根拠となっていた。これを日本陶磁協会の梅沢彦太郎理事長初め幹部や、山田多計治氏・松島明倫氏らによって偽作であるとの結論が出され、機関紙「陶説」に掲載された
*昭和37年4月13,14日毎日新聞
「佐野乾山手控えの疑問」
*昭和37年4月15日
日本テレビは大宅壮一の司会で公開討論を実施。
森川勇氏と吉竹英二郎氏(元国立陶磁試験所加工課長)、梅沢彦太郎氏(陶磁協会理事長)、小森松菴氏で討論を行ったが、 議論がかみ合わなかった。
*昭和37年4月末
「芸術新潮」五月号で「乾山真贋説の終幕」を特集。「ニセモノ説に答える」と題した森川氏の一文を掲載。
特集(2)「佐野乾山を”黒”にする謀略」
佐野乾山の「”黒”のムードの演出者たち」は、口火を切った山田多計治氏や地元研究者の篠崎源三郎氏の他、日本陶磁協会がその主動力であって、その全国的な組織を通じて、佐野乾山は黒だという結論が先に作り上げられている、という。
*昭和37年6月13日毎日新聞
「"佐野乾山"に新たな資料"古くから私の家に"」
NTV討論で森川氏が「出所を公開する」との約束に基づく高津正道氏(衆議院文教委員)と淡谷悠三氏(衆議院文化財小委員)の両代議士が6月12日、個人の立場で行った現地調査の様子を伝えた。
*昭和37年6月19日~28日
東京の白木屋百貨店で「新発見『佐野乾山』展」が開催され多くの反響をよんだ。
*昭和37年6月24日付毎日新聞夕刊
「見ぬもの清し 佐野乾山展」
*昭和37年7月8日付毎日新聞
「佐野乾山ニセモノと断言 かな文字研究の加瀬氏 書体がちがう”手控”紙も画箋紙でごまかす」
*昭和37年7月14日付毎日新聞大阪版夕刊
「佐野乾山はニセモノだ」
*昭和37年「陶説」9月号
「陶芸実技家の見た佐野乾山」というアンケートを実施。
十人中二人が意見なしで後はすべて贋作説であった。
*昭和37年8月2日から10回にわたって毎日新聞に作家の川端康成氏のエッセイを連載。
*昭和37年「美術手帖」8月号
画家の岡本太郎氏が佐野乾山展を見た感想を書いている。
*昭和37年9月
芸術新潮10月号に作家の松本清張氏が「泥の中の『佐野乾山』」を発表。
*昭和37年10月29日
衆議院の文教委員会、文化財保護に関する小委員会
代議士の高津正道氏が文化財保護委員事務局長の清水康平氏に質問
*昭和37年10月12日付英国の有力な日曜紙「オブザーバー」
バーナード・リーチ氏が「乾山と茶人たち」を発表。
*昭和38年1月13~20日で宇都宮市の東武デパートで「佐野乾山名品展」を開催した。(乾山研究会主催)
*昭和38年4月6日付毎日新聞
上記、リーチ氏の発表に関して「国際的になった『佐野乾山』の真偽論争」、「ほんものと確信」の見出しで報道した。
*昭和39年9月「芸術新潮」9月号にバーナード・リーチ氏が一文を寄せる。
*昭和60年に入り住友慎一氏が佐野乾山に関する一連の著書を刊行。
特に、これまで発見された手控に関する著書は非常に重要な資料となっている。
*2003年12月美術誌「Bien Vol.24」にTV番組「なんでも鑑定団」の鑑定師としても有名だった瀬木慎一氏の佐野乾山に関するコメントが掲載された。
参考文献:
・「真贋」―美と欲望の11章 (1965年) 白崎 秀雄
・芸術新潮 昭和37年5月号、10月号
・Bien Vol.24
・陶説 昭和37年7月号~9月号(112~114号)