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産まれてはいけない子

私の『生い立ち』②

皆さんは両親から自分が産まれた時の事を聞いたことがあるだろうか?
今日は私が産まれるまでの話をしよう。

私の両親は銀座のクラブで知り合った。母は留学費用を貯める為に、ホステスではなくサポートとして働いていたらしい。
父は医者を地元の田舎だけでは無く、銀座も含め何店舗か運営していた。
なのでクラブで出会ったようだ。

そうして男女の関係になり母は私を身籠った。昔は出来ちゃった婚なんて厳しい目で見られたのではないだろうか。
おまけに父には妻子があっあ。それが前に書いた異母兄弟だ。

母の妊娠を知った父は、離婚するから産んで良いよと言ったらしい。両親を早くに亡くしていた母にとっては、すがりたい気持ちも分かる。
ただ、人の家庭を壊して幸せなんて、ありえないのだ!因果応報は必ず、自分の蒔いた種の実を刈る時が来る。
案の定、急に力づくで離婚をさせられた前妻は、養育費を理由に祖父母や父に一生付きまとった。

祖父母は残された兄達を引き取り育てた。そんなもんだから、新しい嫁なんて憎いだけだ。医者の家系に、両親もいない小娘が来て、家庭も壊したのだから当然だったろう。
こうやって私は、産まれる前から色んなタブーや人の恨みの中で誕生したのだった。

母からしてみたら、両親に相談も出来なくて、味方のいない家庭で子育ては大変だったろう。家を空ける事の多い父だったので、母は初産でワンオペ育児となった。それでも私は母に一生懸命に育ててもらった。

長くなったので、今日はこの辺で。

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