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愛をフリッパーズ・ギターへ
僕は現時点、これからもきっと「1番好きなアーティストは?」への答えは「フリッパーズ・ギターだよ。」って答え続けるだろう。
しかし知り合ってばかりの人からの「一番好きなアーティストは?」への答えに関してはファン失格だがもしかしたら僕は「スピッツだよ。」
なんて答えてしまうかもしれない。
それはさておき、今回は僕が愛してやまないフリッパーズ・ギターについてとことん書こうと思う。
フリッパーズ・ギターとは
前回の記事でも書いたが、今回はもっと詳しく書こうと思う。
フリッパーズ・ギターとは、1987年に小山田圭吾と井上由紀子の2人で結成した。
(井上由紀子はカルチャー誌「nero」の編集長)
「Pee Wee 60‘s」から始まる。ここまで読んで「あれ?オザケンは?」って思った方もいるだろう。実はオザケンこと小沢健二のメンバー加入は結構遅め。
話を戻すと、その2人で何度かライブハウス等でライブをした後、「Pee Wee 60‘s」から「ロリポップ・ソニック」に改名。そこからついに3人のメンバーが加入する。
吉田修作(Ba.) 荒川康伸(Dr.) そして最後にあの小沢健二(Gt.Vo.)が加入する。
当時のメンバーはまさか小山田と小沢が残って90年代の音楽シーンを大きく変える事になるとは思ってなかっただろう。
「ロリポップ・ソニック」からついに「フリッパーズ・ギター」へ、
「ロリポップ・ソニック」のままメジャーデビューを果たそうとしたのだが、牧原憲一(ご存知だろうが注釈を入れておくと、山下達郎や大貫妙子をソロデビューさせた天才音楽プロデューサー)
が「さすがにロリポップ・ソニックでデビューはちとあれじゃない?」という助言により「フリッパーズ・ギター」に改名。
さすがに僕もロリポップはダメだろ。と思う。
そこからフリッパーズ伝説が幕を開ける。
伝説の始まりの1stアルバム
「海へ行くつもりじゃなかった」
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フリッパーズ・ギターとなりメジャーデビューした彼らはほとんどロリポップ時代に制作した曲で1989年、1stアルバム「three cheers for our side〜海へ行くつもりじゃなかった〜」を発表。
レーベルはポリスター。
このアルバムに収録されている曲は全曲英語詞。
リアルタイムで聴いてる人達はきっと「全曲英語詞!?ホントに日本のバンドか!?」って思ったに違いない。実際僕がこのアルバムに出会った時は少なくともそう思った。
そして僕はこのアルバムがフリッパーズの出した3枚の中で一番好きなアルバム。
アルバムの曲調は彼らが影響を受けたイギリスのインディーズバンド「アズテック・カメラ」や「Haircut100」などのギターポップやネオアコで演奏をしている。
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「high land,hard rain」
「海へ行くつもりじゃなかった」というタイトルはアーサー・ランサムによる児童小説「海へ出るつもりじゃなかった」から取ったと思われる。
フリッパーズ好きとしてこの小説をいつかは読もうと思っているのだが、まだ読めずにいる。
なんなら買ってもいない。
それはさておき、このアルバムを出した直後に
小山田圭吾は交通事故で入院し、井上由紀子、吉田修作、荒川康伸の3人が脱退した。
小山田クンの病室にオザケン1人だけで来たり、他3人だけで来たりしているので、彼の入院中に相当なにかいざこざがあったんだろう。
3人が脱退しメンバーが2人になって初めてのアルバムを出す。
彼らの音楽の本場イギリスで
収録した2ndアルバム
「CAMERA TALK」
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1990年発表。レーベルはポリスター。
前作は全曲英語詞だったが、今作は全曲日本語詞で構成されている。
そして今作以降のクレジットの作詞作曲の名義が全て「Double K.O. Corporation」になる。
(由来は「Kenji Ozawa」と「Keigo Oyamada」と2人とも名前と苗字の頭文字がK.O.であることから)
しかし後のオザケンのツイートによりフリッパーズの全ての曲の作詞がオザケンであった事が判明した。
フリッパーズの代表曲?にあたるドラマ「予備校ブギ」の主題歌「Young Alive in love 恋とマシンガン」はこのアルバムに収録されている。
常識だと思うが「恋とマシンガン」のサビのスキャットは1965年公開のイタリア映画「黄金の7人」から取っている。
曲調的に言えば前作よりもギターポップな感じが増している。
第32回日本レコード大賞最最優秀アルバム・アーティスト賞を受賞した。
この日本レコード大賞に出演したフリッパーズの2人は和田アキ子と板東英二を前にふざけまくったのは有名なお話。
さすがフリッパーズ...笑
TikTokに上がっているので興味のある方は是非。
そしてこの2ndアルバムを出した1年後、ついにあのアルバム無しでは日本の音楽を語れないと言っても言い過ぎでは無い程伝説的なアルバムが生まれる...
サンプリングを多用した伝説的な大名盤にしてラストアルバム「ヘッド博士の世界塔」
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1991年発表。レーベルはポリスター。
これはヤバイ。ヤバすぎる。こんなアルバムきっと今後現れないんじゃないか。ってくらい凄いアルバム。
収録されている全曲にこれでもかという位サンプリングが施されている。今ならパクリと言われるレベル。フリッパーズ、頭おかしすぎる。
前作とは打って変わって実験的な内容のアルバムで、同時期にイギリスで活躍していた「プライマル・スクリーム」や「ストーン・ローゼズ」などのUKサウンズを意識されている。
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「スクリーマデリカ」
とにかくサンプリングをしまくったせいで、著作権の問題で再発もされていないし、サブスクにも配信はされていない。
そんな事を余裕でしちゃうのがフリッパーズ・ギター。惚れちゃうよホント。
ヘッド博士のレコードなんて10万余裕で超える。
いつか買うのが僕の夢なんだ。
話がずれたので本題に戻すが、このアルバムを出した直後、フリッパーズ・ギターは突如解散を宣言する。ツアーも控えていたのにお構い無し。
ツアー予約していたファンにとったら激怒モノ
だが、こんな身勝手な事できちゃうのもフリッパーズ。けど実際には新聞に
「プロ意識を欠く行為」なんて書かれちゃってた
ちなみにスピッツはこの解散発表を受けて、雑誌で「やっぱりね。」って書いてた。
スピッツ大好き!
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そんなこんなで解散しちゃったフリッパーズ・ギター。解散理由は明かされて無いけど色々な説あるよねー、Mちゃんの取り合いになって解散した、とかね。
そして解散後オザケンは小沢健二名義のままソロ活動、小山田圭吾も「Cornelius」に名前を変えソロ活動として2人とも別々の道を今の歩み続けている。
まとめ
少しでも僕のフリッパーズ愛が伝わったでしょうか。そして僕はフリッパーズの再結成をいつまでも待ち続けます。自由気ままな彼らだからこそ
「そろそろ宇宙塔でも建てる?」とかなんとか言っていつかさりげなく再結成するんじゃないかって期待してる。いちファンとしてお願いします。
オザケン、小山田クン。
いつか小沢健二とかCorneliusの事とかも書きたいな。