「誰?」2年ぶりに逢った祖母が私を忘れていたお話。①
私には80歳を超える祖母がいる。
現在は介護ホーム施設で暮らしていて、少しばかり認知症の症状もあるらしい。
1年前のお正月、お墓参りに親族一同が参列して挨拶をしているところに、車椅子に乗った状態で祖母が顔を見せてくれた。
実はその前のお正月、私は大学の友達と伊勢神宮に遊びに行っていたので、祖母に顔を見せていない。
実際顔を合わせるのは2年ぶりで、2年前の「大学頑張りなよ~」と優しく声をかけてもらった光景が脳裏をよぎる。
久しぶりだな。
髪の毛を見ると綺麗な白色に染められていた。
「おばあちゃん、○○(名前)だよ。久しぶり。」
目の奥に語りかけるように、言葉を投げかけた。
目が合った瞬間に分かった。
2年前に自分を見たあの優しい包み込むような眼ではなく、まるで人見知りの赤ん坊が初対面の大人に警戒するような、そんな訝し気な目をしていた。
そんな簡単に自分は受け入れることができるはずもなく、何度も同じ言葉を発して、
「ああ、久しぶり!」
笑顔とともに出てくるその言葉を待っていた。
しかしやはり、当たり前に過ぎ去った2年の月日は自分が思っている以上に変化をもたらしているものだった。
やはりどうにも反応がないことを目にして、自分はとんでもなく心細い気持ちになった。
別に亡くなったわけじゃない、実際に目の前に生きてくれている。
それなのに。
あれだけ可愛がってくれた人から忘却されるというのは、その意思を確かめられないというのは、大切な人を1人失った気分だった。
忘れられるということはその人の世界には「私は今は存在しない」ということであって。
それを認識した瞬間に、私から見たあなたはただの片思いでしかなくなるわけであって。
全然整理言語化できていないけれど、寂しさを感じた。
それと同時に、その人が「亡くなる」ということはどれほど辛く寂寥感で溢れてしまう体験になるのかと恐怖すら覚えた。
これが1年前のお話。
そこから1年たった今日、私は祖母に再び会いに行く。
あとから聞いた話だが、日々の体調によって祖母にもリアクションにも差があるらしく、完全に忘れてしまったわけではないらしい。
あの時感じた「寂しさ」を思い出しながら、私は今電車に揺られている。
(続く)