はじめまして。
皆様はじめまして。
HPから飛んで来て下さった方、ありがとうございます。
私は宮城県仙台市でラフ・アソシエイツというイベント制作会社をやっています。仕事で台本は書きますが、個人的な思いを含めてここに書き記すにはそれなりの勇気がいりました。
それでも、私には書かねばならない、どうしても書きたい、そんな思いでいます。少し長くなりますが、ここで何を書きたくて、何をお伝えしたいのか、お付き合い頂けたら嬉しいです。
私は大学卒業後、在学中にバイトをした会社に入社しました。そこでの上司は母でした。在職中の14年間独立するまで、会社でも家でもずっと母と一緒の生活でした。結婚も遅かったので、36歳まで実家暮らしでした。会社での母は私に対して社員以上に厳しく、家でも仕事の話は敬語でしていました。逃げ出したくなる事も多々ありましたが、今では厳しく育ててくれた母に感謝しています。
母はとにかく仕事命で、おせっかいな位人に尽くす人でした。そして自分の事はいつも二の次でした。そんな母ですので、肺のレントゲンで影が見つかった事も私に隠して再検査にも行かずに仕事をしていたのが、思いがけない事で私が知る事態となり、ここから母と二人三脚の闘病が始まります。
2016年の5月の事でした。それは母が他界する2017年の7月まで続く事になります。
母の病名は「肺癌を原発とするガン性髄膜炎」でした。髄膜にガン細胞が入り込んでしまい、最期の数週間はかなりの痛みを伴いました。東北大学病院に入院していましたが、主治医が早くから緩和ケア医と病院内で連携を図って下さり、最後の最後は痛みもなく穏やかな顔で天国へ旅立ちました。
我慢強い母が見せた痛みに苦しむ姿は、私に強烈な印象を残し、他界してから私がどんな思いになったかというと「母のようなになるのが怖い」という事でした。最愛の母で、沢山涙も流してきたのに、頑張った母に「怖い」なんて言葉はとても失礼なのですが、人間とは娘といえども勝手な生き物です・・。そして、ガンについて(最初は肺がんから)調べるようになり、専門家の先生方が参加するセミナーに行ったり、本を読み漁ったりしていくうちに、ガンと診断された時から「緩和ケア」を受ける事の大切さを知る事になります。
ここまで読んで下さって、おおよその「書きたい、伝えたい事」をお察し下さったかと思いますが、私がお伝えしていきたいことは、40代以上で、4人に一人がガンに罹患すると言われる昨今、より良く生き、働き続ける為に、治療の最初から「緩和ケア」を同時並行していく事の大切さなのです。
今日はここまでにしたいと思います。
ちょいちょい母の話が出てくると思いますが、お付き合い頂けたら嬉しいです。会社の事業としても緩和ケア啓蒙のセミナー等を企画・開催しておりますので、同じ志で協働下さっている先生のご紹介などは、また次回から少しずつ。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
皆様が明日も笑顔でお過ごしになられますように。