私と能登半島地震3 1月中旬以降の話
Attention1:お正月気分をぶち壊しにされたくない方はこのままバック願います。暗い話です。
Attention2:本記事は石川県出身で、現在は県外者となったの人間の表記地震の体験と所感です。ご了解の上、読み進めてください。
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3月くらいまで私のいる土地でも日常でも余震が続いた。
そのたびにスマホやテレビの警報にビクビクしながら生活していた。
発災時お風呂に入っていたこともあり、しばらくは入浴時に地震が来ないか心配だった。湯舟に浸かっても、心が休まるどころか早く出たくてたまらない。頭を洗う時は目を開けて、手早くやるようになった。
徐々に明らかになる被害状況を見て暗澹とした気持ちになった。
住宅被害多数。避難所は人であふれかえり、他県に避難する人も多かった。報道で見ているだけの情報だが、ライフラインの復旧は遅々として進んでないようだった。被害者の数もどんどん増える。
能登地方は地震の前から少子高齢化が進んでいたところ。この地震でまた人口流出が進むことになるんだろうか。
観光地、景勝地の被害も出ていた。
小さい頃連れて行ってもらった七尾市ののとじま水族館では設備が使えなくなって、多数の海洋生物が死んだ。生き残った海洋生物は県外施設にしばらく疎開することになる。
崩れ落ちて形が完全に変わった珠洲市の見附島。
奥能登の、石川県の突端にある珠洲市は「奥能登国際芸術祭」が有名で、見附島の近くに作品が展示されたことがあったと記憶している。様々な芸術作品が市内の屋内外に点在していて、市内観光をしながら芸術作品の鑑賞もできる。作品の展示場所を探すのは宝探しみたいで、楽しかった。またいつか開催できるだろうか。
手持ちの写真を確認したが、見附島付近に展示された作品の写真は残念ながら見つからなかった。奥能登国際芸術祭に関しては常設の作品というものがあって、それもこの度の震災で被害を受けている。
記載した被害状況はごくごく一部。これを書くだけでも、正直つらい。
地震が起こってしばらくしてから、NHKも民放も天気予報の表示に変化が見られた。北陸の天気として日本地図に表示されるのは通常新潟か金沢だが、それらの代わりに能登の「輪島」の天気を表示してくれているのである。いいんです、ぜひそうしてください。情報源が限られている地域優先で。その方がいい。
(つづく)