自己紹介 今の私⓵
さあどこから始めようか。
まずは今の私について書いていこうかな。
決して出し惜しみしてるわけではなく
笑えるほどジェットコースター🎢な人生を今なお送っている私のことをどうやったら
飽きずに読んでもらえるかなぁ。なんて思いながら書き始めてます。
ん?と思ったら遠慮なくコメント等で教えてくださいね。
少しずつ上達して参ります✨
私は50歳。
今までOL(古い)、英語講師、英会話教室運営、英語の先生に授業のやり方を教える先生、
通訳、翻訳を主にいろんなお仕事をしてきました。中でも一番私のライフワークとして携わってきたのは以下のお仕事。
鈴鹿サーキットホテル通訳
F1 VIP専用ラウンジ通訳
建築に係るドイツエンジニアの通訳
化学ガス工場立ち上げプロジェクト通訳
自動車ハーネスに携わる通訳
航空宇宙部品に使用する鋳造、鍛造品(冶金学)の通訳
等々、時には100ページ以上の規格や冶金の文献などの翻訳も実施していました。
しかしながらコロナ禍により
海外からのお客様、エンジニアの来日が急に無くなり、大企業の田舎工場に正社員として働く私は英語以外の仕事を実施することを余儀なくされました。
庶務のお仕事は嫌いではない。でも、やっぱり英語を使う機会がかなり少ないことで私はどんどん自分の自信を無くしていきました。
なんで英語が無くなったら自信がなくなるの?と思われる方もいるかも知れませんね。
説明し始めると長くなるので
これはまたの機会に。
【転機 顔面麻痺】
前述のとおり英語も使えず、慣れない計算や
雑用が多かった48歳から去年の秋ごろまで、私は自分の笑顔がどんどん消えていき、お酒の量が増えていくことに気づいていました。
それでも過去、結婚や離婚により経済的にどん底を経験した私には正社員のお仕事を辞める決断は余りに不安で、その時点ではできなかったのです。
このことはあまり今はまだ話しませんが
私には家族はいます。ただしどうも昔から、養ってもらえる人生では無いようです。
私は辞めたいと言い出せなかった。
私の心はどんどん落ち込んで行き、思考はネガティヴ。何を話しても愚痴ばかり。
みんなの事が大嫌いだった。
全て全て嫌いだった。
何よりそんな自分が一番嫌いでならなかった。
眠れぬ夜が続き、ある日思い立って山の麓の家に住んでいた私は、猪や猿が出る可能性も考えず夜中3時半ごろ毎日歩き出しました。それはまるで何かに取り憑かれたよう。
最初は歩くことに慣れておらず
何度も何度も転んで、その自分が惨めで滑稽で
危うくトラックに轢かれそうになりました。
そして轢かれてしまいたかった。
そんなある日、会社に行くため、メイクをしていると眉毛の位置が左右かなり差があることに気づきました。
『何か』が、おかしいと思い、医務室の看護師に意見を聞きにいくと、これはおかしい!とすぐ産業医に伝えてくれ、産業医もすぐに今すぐに耳鼻科へ行きなさい、私から上司に伝えておくから。迅速に動かなければ顔の半分の麻痺が取れなくなりますよ。も。
耳鼻科?なんで?と思ったけれど先生のあまりの迫力にすぐに早退して耳鼻科へ。
そこで言われた病名は
『帯状疱疹』
ん?帯状疱疹って、なんかめっちゃ痛い湿疹ができるんじゃ無いの?と思ったら、耳鼻科の先生曰く私のように顔半分が麻痺して動かなくなるケースもある、とのこと。そして、これから少なくとも1ヶ月はもっとどんどん悪くなり、底辺まで行ったら上がるからね。治療を続けよう。かなり大変なストレスがあったんだね。と声をかけてくださいました。
そして初めて、本当に初めて私は
その優しい言葉に、泣きました。
泣いて泣いて、家に帰っても泣いてやっと
家族に、
ごめんね。お仕事辞めます。
このままでは私の心が死んでしまう。と伝えた。
【50歳からの挑戦】
さてそれから私は一月末に退職する準備をはじめました。
しかし、就職活動をしようにも顔が半分動かないだけでなくかなり腫れている。どんどん下がって醜くなっていく。
反面、私の心は、決心をしたことでどんどん元気に、ポジティブになってきました。
そこでお仕事は辞める、そして少し休んで私が一番やりたい仕事をする、と決めました。
その時に初めてTwitterやstand fmと言う配信媒体と、私がメンターと初めて思える方に出逢いました。
それからの私の挑戦については次回。ここまで読んでくださってありがとうございます😊