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課金制安楽死制度のすすめ

今回私が語りたいのは、身体の健康な人も含め皆にひらかれた安楽死の制度を導入すると、結果的に多くの人が生きやすい世の中になるのではないか?というお話です。

私の考える課金制安楽死制度というのは、政府に一定以上のお金を支払えば、誰でも安楽死できるというもの。これだけ聞くと「いやいや、気楽に死ぬ人が増えて、人口も減るし日本が衰退するよ」と反論が出るでしょう。しかし、この制度がいかに合理性のあるものなのかは後ほど語っていくので、まず私の意見をお聞きくださいな。

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安楽死について、日本ではあまり積極的な議論はまだなされていないと思う。
一方人権意識の高い欧米のいくつかの国では、安楽死は様々な理由で生きることに絶望した人々のための選択肢として存在している。

しかし、スイスのような安楽死に対して比較的容認色の強い国でさえ、安楽死の実行には数々の条件が必要とされる。

例えば、回復の見込みがないこと、本人の(揺るぎない)意志が確認できること、他に治療方法はないこと、などなど。

安楽死を行う団体ごとに条件は異なったはずだが、私はこのことに対して違和感を覚える。
なぜ、「自己の死に他者の容認が必要なのか?」という点だ。

確かに、認知症や虐待が疑われるケースなど、意思の確認の必要な込み入ったケースも存在することは理解しているし、その際は本人の意思確認は必須である。

しかし、すべての安楽死に対し、医者の認定が必要であることは正直理解できない。

身体も健康で、思考も健康で、しかしこの世にもう生きていきたくないなら、安楽死という選択をとってもいいじゃないかと思う。この世のシステムに絶望的に不適合な人間もいるのだ。そのような人間にとって、過度な苦しみなく確実に死ねる安楽死は最後の希望になる。

生涯にわたり生き辛さを抱えて生きるような性質をもった人間が、数十年分の酸素を吸い、大量の動植物を殺すことで人間1人分環境を破壊し続け、あまたの税金を払ったり使ったりし、社会の(ほぼ無意味な)歯車になり日々消費されていくことは、果たして本当に必要なことなのか。生きている意味とはどのような点に生まれるのか。

本人が主観として「自分は生きている意味がある」と感じられないのなら、死んだ方が自然にも、時に社会にも良いのではないか。

私や、そのほか生きていたくない人が生きていることで権力者がお金を得られるのなら、どうぞ死ぬまでにあなたたちが得られるはずであった金額をおっしゃってください。それを払ったら死ねる、というノルマにいたしませんか?

私は社会に搾取されることを望まない。できれば搾取されずに死にたい。しかし、権力を持たれている高貴な方々(資本家・政治家の皆さまです!毎日尊敬尊敬、メッカに祈るがごとく、ますますのご活躍のほどお祈り申し上げております。)の立場も理解する。できるだけ搾取したいあなた方のお気持ち、痛いほど理解できます、なので尊重いたしましょう。

あなた方は人間1人に見込まれる生涯搾取コストをおっしゃってくださいな。それをお納めできた庶民は、安楽死の権利を得られるということでどうでしょう。

わたくしめは死ねてラッキー、権力者様方はコスト最小限で結果を得られてハッピーじゃございませんか?

生涯賃金は1億から2億、そのなかから将来得るはずの社会保障の金額は引かせていただきまして、税金で60%持っていく計算ですと、6000万円から1億2000万円。そのなかから消費税から相続税、その他無限の搾取できたはずのものたち…色々合わせますと、ざっと一人あたり1億から1億5千万支払えば、社会と権力者にとって人って死んでも問題ないと思うんです。

インデックス投資をすれば、個人にとっても1億は決して無理のない数字。しかし、社会にとって逃したくない20代30代という労働力として華の時代には資産1億は達成がほぼほぼ不可能です。(達成できるのは国民の数パーセントなので、考慮しなくてもよいかと。それと、)なので、この制度を導入しても若者の人口や労働者人口は減らない。

1億や1億数千円というのは、20年30年全力インデックスやっていれば達成可能です。しかし、生半可な投資力だと達成できないです。数十年の積み重ねが必要なので、もし安楽死のために数十年の投資ができる人間がいるとしたら、もうそれは医者の認定などなくても安楽死の意志は確認できているも同然。
同時に1億~1億数千万は新卒サラリーマンが22歳から投資していれば、40歳から50歳程度で安楽死ラインまで到達できるんです。不可能じゃない。だから、労働者が労働者としての価値が低くなったタイミングでちょうど安楽死という選択が見えてくる、そして、これぐらいの金額って権力者にとって対象者が生きているときと同じぐらい搾取できるギリギリの数字なんじゃないかな。(有識者の方が見れば、もっと正確な数字が出せるんだろうけど、今回はデータなしで語るからごめんね。)

50歳ごろになると、人間って医療機関にお世話になる可能性も高まると思いますし、社会にとって必要な期間を仕事に費やし、社会にとってお荷物になるころに丁度「安楽死のためのお値段」に到達するという、なんともハッピーな社会構造の完成です。

最初は安楽死制度の利用者も多くなるかもしれません。しかし、すぐに1億2億ためられる人も少ないから、希望者に比べて安楽死制度を使える人は少ないでしょう。一部の安楽死志望者のおかげで税金の徴収が簡単になり、社会保障費が減少すると、現役世代や社会福祉が手厚くなる。そうすれば、安楽死制度によって、生き続けたい人も生きやすく、死にたい人にも希望のある世の中になるのです。
そしたら、安楽死制度が周知となり、計画的に安楽死を数十年前から考えられる若者世代が安楽死条件達成できるころには、社会の生き辛さがちょっとマシになって、安楽死制度の希望者は少なくなっているんじゃないかな?

バカな大学生のたわごとだけど、お金を積んだら安楽死できる制度が欲しいと思っている人って案外多いのではないかな?と考える今日この頃である。


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