見出し画像

孤独は悪なのか?

ハーバードの研究でも明かされている通り、客観的に見て孤独は悪である。(残念ながら)

健康にも、睡眠にも、脳機能的にも免疫機能的にも悪いらしい。滅茶苦茶孤独は「健康的かつ精神的に」悪い。

この事実を私は重く受け止めなければいけない。
なぜなら私は小学校3年生から大学4年の現在まで、ボッチを貫きし者だからだ。いじめられた経験は(記憶する限り)ないが、リアルに人間関係=血縁関係の時代が現在まで続いている。

もし日本で孤独についての研究をするなら、真っ先に呼ぶべきは独房に入っている囚人たちと私だ。連絡待ってます。

彼氏(彼女)いない歴=年齢とかまーーじでかわいいもんである。
こちとらまともに友達いない歴=年齢なのだ。(当方女)

今は吹っ切れてるものの、真剣に悩んだ夜もありました。
私の顔が悪いのかな?話し方・距離感に問題があるのかな?
なんだか負のオーラを放っているからみんなが相手してくれないのかな?…もしや口臭が??などなど。

でも、努力はしたけれども、やっぱり友達はできなかった。
相手は自分に興味を持ってくれなかったし、私もいまさら友達になるということがどういうことなのか、もはや分からなくなってしまっていた。

中学のクラスを見る限り、友達が本当に1人もいないのは私と不登校の男子生徒だけだった。私は登校しているのに。部活の子とは話はできていたが、私だけなじめなかった。

高校ではもう人間関係を作るのをあきらめた。一切周りの人と話さず、大好きな読書だけをしていることにした。(結局クラスの用事で話す羽目になったが)

ぼっち=悪。ぼっち=恥ずかしいこと。
そういう意識は中高で最高潮に達し、ストレスで肌も髪もぼろぼろ。それも関係してひたすらに心を病んでいく毎日だった。

友達ができないという状態は、大学生の今でも続いている。でも、受験という一大イベントを終えて、色々考えた挙句、もう人間関係についてはもう悩まなくなりました!

確かにぼっちよりは友達がいた方が良いし、友達が少ないよりは多い方がよいかもしれない。世間的にはそうだよね。

でも、それってただ「数学ができない」「パソコンができない」「お金の管理ができない」「タバコがやめられない」「パチンコや競馬がやめられない」と同じ、人間だれしも持つ欠点の一つじゃないか、ってフラットに考えられるようになったんです。

幸い私は英語と国語が得意で、(私立文系ですが笑)ある程度の大学に入って就活には(コミュ力という点以外では)困らなかった。
そしてお金を管理する能力に長けていて、投資までしている。これは私の長所だ。

容姿も整っていて、お金も持っていて投資もできて、文理問わず勉強ができて友達もたくさんいて親友もいて、ギャンブルにもはまらなくてお酒もたばこも吸わなくて、仕事もできて家庭も順風満帆…
そんなん無理ですよ!wwそれにこんな人がいても彼女・彼なりに悩みもあるでしょうしねえ。

私は数学と物理が苦手なように、人間関係も苦手だっただけなんです。ここまで人間関係が苦手な人は世の中に少ないのでしょう。だからクラスでも学年で悪目立ちするぐらいいつも1人だった。

でもいいじゃないの。結局人間は死ぬんです。美人な新垣結衣もパリピなレペゼンも、アインシュタインもソクラテスもディオゲネスもエピクロスも、麻原彰晃だってみーんな欠点を最低でも1つや2つ持ちながら死ぬんです。

私は数学と物理と人間関係とその他多くの欠点を抱えながら、死ぬでしょうね。

こういう風に、友達がいない自分をことさら意識しないようになれたのは、色々自分の頭で考えて、哲学に触れて、自分の好きなことはなにか大学で考える時間を持てたからです。(中高の時は真剣に、「人間関係できない=人間失格」と思い込んでいた。)

だから、現在友達がいない諸君、または他人に合わせて自分の意志を曲げてまで人付き合いにしがみついている諸君!我々の道は決して交わらないが、互いのボッチライフを極めようじゃないか!平行線。

ニーチェが神を殺した後、実存主義が生まれたが、私はカミュとサルトルのような実存主義の考えがすきだ。(正確にはカミュは実存主義者じゃないらしいが…)もちろんべネターやシオランのような反出生主義哲学やエピクロスの快楽主義には及ばないが、私を支えてくれる思想の1つだ。思想のメルティングポッツ

実存主義とはつまり、自分のあり方、自分とは何かを追求しながら自分らしく生きていこうぜって考えだ。(間違ってたらごめんねーーwww詳しくはぐぐってちょうだい)

私は接客業で完全な人間嫌いを発症したので、この先一生必要最低限以外の人間への接触を持たず、そして金を節約して投資に回し、as soon as possibleに会社を辞めて気候の良い地域で隠居し趣味に生きる。これが当面の目標であり、現在の所の自分らしい人生設計だ。Going My Way

なーんでこんな長ったらしく文章を書いたのかというと、目的は2つ。自分の思考の整理のため(正当化のため?)と、今孤独で悩んでいる中高生(それ以上の年齢でも可)に、「友達ができないことなんて、気にすることない!人間関係が苦手ならぼっちを貫くもそれまた良き人生ぜよ」という私の考えを提案してみたかったからです。

完結にまとめられんくてすまんな。でもまだもうちょい続くねん。(時間無駄やからな。これ以下読むより勉強やら趣味やらに戻った方が有意義や)

ローマ教皇の日本社会の現状についての2019年のスピーチは有名だ。
「(多くの人が、人と上手にかかわることができずに)ゾンビ化している」と。詳しくはPRESIDENT ONLINEの記事参照。つまり、ローマ教皇は、人間は孤独で生きるべきではない、と考えてはるんですね。

教皇のようなおじいさんが言っていることなんだから、まずこれを正しい、つまり「全ての人は孤独を避けるべきである」ということが真であるとしよう。

でもですよ、世の中には本当に「何が良いか」は分かっていても、それを出来ない人がいるんです。絶対に。「お酒は体に悪い」とわかっていても死ぬまでやめられない人はいる。「人を殺してはいけない」とわかっていても殺してしまう人もいる。

もうこれは脳の障がいみたいなもんなんじゃないでしょうか。人間とどうやってもうまく付き合えない人もいるんですよ。その人たちを追い詰めるように「人と関われ」って、あのスピーチは本当に孤独な人々へ向けるメッセージとして正しいものだったのでしょうか?

そんなの、例に出して申し訳ないが、乙武さんに「手足をいっぱいに使ってハワイの海を泳いでみなよ、絶対今より幸せになるよ」と煽っているようなもんだ。それはそうだが、ハワイの海を最高の形で満足できない乙武さんは、しかし自分らしい人生を歩んでいる(多分)。

明らかに病名のつく身体的問題や知能の問題と同様に、たぶん遺伝子的なものやホルモンバランス的な関係で、本当に人間関係が先天的に築けない人もいるのだと、私は思う。実際麗しきローマ教皇の指摘するゾンビの国と化した日本は、民族的に不安遺伝子をもつ人々がメインで住む国だ。

人間関係不全が先天的な欠陥(問題)である場合、それを公然と配慮なく指摘したローマ教皇は、のちの時代「差別主義者」となってしまうかもしれないよね。

それにローマ教皇やマザー・テレサなんかみたいな名言や自分の発言が残るような人間って、社会的強者じゃないですか。そんな人たちが本当にどうしようもない社会的弱者のことを真に理解できるとは私は思わないんです。
だって、私だって政治家みたいな、高い給料もらっていながらそれ以上に賄賂をもらいたがるような社会的強者の気持ち、真には理解してあげられないですもん。

そしてね、「人間は必ず孤独を避けるべきである」っていうのも、やはり単なる一人間の意見に過ぎないんです。

立派な人間もクズな人間もやはり頑張っても100年程度しか生きられない。その限られた時間の中で人間は一生懸命自分なりの考えを持つんだけど、どうしてもこういう哲学やら価値観やらになると自分の主観が介入してしまう。人間、どんな賢い人でも自分の目でしかものをみれないんです。

キング牧師だって、結局は黒人の人種差別のためにしか戦っていない。平塚らいてうだって、女性の権利のためにしか戦っていない。他にも黄色人種差別や貧困問題や朝鮮人差別やら、たくさんあったはずです。でも、やっぱり人間は「自分の側」でしか主張を展開できない。私は人間のこういう所が好きになれないです。

強者で人間関係も普通に築ける人は、何食わぬ顔をして向こう岸から「友達を作れ」っていうんです。でも、無事に対岸に渡れる人間はそんなに多くない。

だから、私もエゴむき出しで「友達なんて作るかー!」「人間関係なんて糞くらえ!」「人間なんて、大嫌いです」と「こちら側の主張」をするわけです。(矛盾)

こうやって互いが石を投げあっているうちに、いつの日か、両岸を流れるこの激流は穏やかな流れになって、「相互理解」という平和な橋が架かる日も来るかもしれません。男女差別や黒人差別ももはや正当化できないように。

だから、我々「先天的人間関係異常症」という障がいを抱える人間は、自己欺瞞的に無理に友達を作るのではなく、はたまた「友達がいない」ことのみに病的に意識をもっていかれることもなく、自分自身の哲学をじっくり作り上げながら生きていこうじゃありませんか。(自分らしく生きるということが本当に正しい事なのかも、ぜひ考察してみてください)

そのうえで、色々考えたうえで、「友達作る!」と決意すれば整形でも口臭対策でも腋臭対策でもコミュニケーション講座受講でも、全力で足掻きにあがいて友達を作る努力をすればいい。「友達いらねー」と思ったら、それ以外の部分で人生楽しみましょうよ(人生は楽しむべきものなのかも、また考察対象。)


結論!!


私は友達要らねーけど、皆がどうするかは自由よ。でも、人の意見には惑わされすぎないようにねってことです。


いいなと思ったら応援しよう!