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信頼は愛の基盤となる

 眠れない夜がある。
 気づいたら日が昇っていて、寝転びながら窓から青空を見る時、なんだか新鮮に空の青さを感じる。

 まさに、昨日から今日にかけてがそんな夜だったのだが、空の青さを感じたところで眠気はこないので、CDプレイヤーで家にあるKing & PrinceのCDを全て聞いていた。
 その中で髙橋海人が作詞作曲を手掛けた「話をしようよ」をきちんと歌詞カードを見ながら聞いた事で、改めてとてつもない曲だなと感じたので書き留めておく。

 まず、「話をしようよ」はKing & Princeの13thシングル「なにもの」のDear Tiara盤(ファンクラブ限定盤)に収録されたカップリング曲である。
 ファンクラブ限定になるため、フリマなどで手に入れて貰うか、ピースツアーでも披露しているのでそちらの円盤を購入するかして聞いて欲しい。サブスクには2024.09.03時点では来ていない。
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 「話をしようよ」は曲の良さだけでなく、ピースツアーでの披露した形の衝撃もあり、多くのファンに周知され、既に多くの方に言葉を尽くされた曲であると思うので、私が個人的に良かったと思う/好きな点を述べていきたいと思う。
 前提として、この曲は髙橋さんがファンのことを考えて作った曲である。

「話をしようよ」は、Tiaraのみんなと話をしたいなと思って作りました。

King & Prince公式Twitter より


・汎用性の高さ

 サブスクに来ておらずMVも無いため、この曲を聞く方の多くが既にKing & Princeのファンで、少なくともある程度好意や興味関心を持った層に届いている曲であると思う。また、上記の髙橋さんの発言からこの曲は髙橋さん、ひいてはKing & Princeとファンの曲であることを前提に聞くこととなる。
 そうなると、King & Princeの歴史や髙橋さんのこれまでの発言などの背景を込みで曲を聞く。背景を考えれば考える程に、髙橋さんのこの曲を作成した意図や、この曲に込めた想いが余すことなく大きく受け取ることが出来、それにより多くの人を心を揺さぶったと思う。し、私もその内の一人である。

 ただ、これを背景を考えずにフラットな状態で歌詞を聞くとこの曲は完全に“きみ”と“僕”の恋愛ソングなのである。
 ちょっと不安を抱えている“きみ”とその“きみ”を大切に思う“僕”の二人の曲として綺麗に完結しているのである。髙橋さんの発言の前提がなければ、アイドルやファンというのは一切香ることもない。

 そんな曲が、聞く側の持つ知識の量によって聞こえ方が全く異なる。
 このことがとんでもないことだと思うのだ。曲単体としてきちんと成立させた上で、ファンに対しての想いを伝えるための曲であることを両立させる。聞く側の持つ知識によって聞こえ方や受け取り方がどう変わるかをきちんと把握していなければ成り立たない、この、歌詞のバランス感覚が見事なのだ。
(余談だが、これは他にも髙橋さんが作詞する「1999」という曲でも同様のことが起きているため、曲として成立させた上で想いを乗せることに髙橋さんが拘りがあるのかもしれない。)

 また、アイドルとファンとの曲として聞けるだけでなく、永瀬廉さんと髙橋海人さんの二人の曲としても聞こえるのだ。
 実際ピースツアーで披露した「話をしようよ」のYouTubeに載っている部分では完全に二人の曲として受け取ることが出来るのだ。

この先 どこに行こう
どこ行きたい?
何を見てみたい?
僕らの未来の話
そうさ 話をしよう

話をしようよ/King & Prince

 ツアーが二人体制になって初めてのツアーということもあり、これからの二人がどういう道を歩んでいくのか、どういったアイドルで在るのか、という点に置いて、この歌詞は違和感がない。

本当は すごく怖くて
いつも足は止まりそうなんだよ
(略)
でもきみだよ、きみなんだよ
僕にはきみがいるんだよ
(略)
この先 地図のない道
喜びも不安もきみと共に

話をしようよ/King & Prince


 上記は2番の歌詞なのだが、2番の歌詞はアイドルとファンとのことだけでなく、意図的に永瀬さんと髙橋さん二人のことも含めた歌詞にしているように思う。
 だからこそのツアーでのあの演出だろう。そして、あの二人が見つめ合って歌う演出でもファンが置いてけぼりにならないのは大きな軸としてのファンに向けた歌詞であるということがブレないからで。永瀬さんと髙橋さん二人の曲でもあることで、この曲は深みやメッセージ性の強さを増している。

・曲単体では恋愛ソングであること
・ファンに向けた曲であること
・永瀬さんと髙橋さんの二人の話でもあること

 この3点が違和感なく成り立ち、聞く側によって様々な受け取り方が出来つつも、大きな意図としてはブレることのない芯がある曲。
 この歌詞の緻密さから、より強く髙橋さんの想いの強さをこちらは受け取ることが出来るのである。


・主語が「自分」であること

 「話をしようよ」という曲を聞いた時に、好きな作家な話を思い出した。

 全ての関係性において、そして人生において主語は「自分」でなければ、それは健康的とは言えない。
 「𓏸𓏸の為に〜」という言葉は、その先に見返りを求めてしまい「〜した『のに』𓏸𓏸は〜してくれなかった」と自分の思い通りにならなかった時に失望に変わる。それを「『自分』が感謝を伝えたいから〜する」「『自分』が𓏸𓏸のことが好きだから〜する」と主語を「自分」にすることで、見返りを求めることを防ぎ、後々の失望や怒りなどを防ぐことが出来る。同時に主語を相手に委ねる時、無意識に相手を従わせよう/思い通りに動かそうという感情が働くことがあり、関係性は歪みを産む。

 これは作家・朝井リョウが「ヨブンのこと」というラジオで語った発言の概要になる(記録が残っておらず、私の記憶から引っ張ったものになるため、朝井リョウさんの発言と若干異なる可能性がある)。
 私はこの話が大好きなのだが、「話をしようよ」という曲を聞いた時にこれだ! と思ったのだ。

「私なんか見えてないでしょ」って
きみは言うけど
なわけないじゃん
全部きみのためで
僕らのため

話をしようよ/King & Prince

 この言葉の連なりで、「僕らのため」と言えるだろうか。衝撃だった。そこまで踏み込むのか、と。
 「きみのため」という言葉は一見、「きみ」の事を考えてくれているようではあるけれど、もし身近な人間が行動理由を全てこちらに委ねてきたらどうだろうか。私だったら自分の行動の理由をこちらに押し付けてくるなよ、と徐々に苛立つと思う。これと並んで、「きみのため」という言葉しかなかったら、私はきっと「ファンのためって言っとけば聞こえは良いものな」「自分がアイドルやりたくてやってて、アイドルとしてやってくためにファンの気持ちを慮るってだけなのによく『きみのため』なんて言えるな」等とネチネチ考えて普通に嫌いになっていたと思う。
 でも、髙橋海人は違うのだ。
 聞こえの良い「きみのため」だけでなく「僕らのため」まで、一歩踏み込んでくれるのだ。ここに、私は髙橋海人の誠実さと真摯さを感じる。自分のためでもあることを隠さないし、それを悪いことだと思っていない。その精神性が美しいと思う。
 この後にある歌詞で、よりこれは意味を増す。

本当は すごく怖くて
いつも足は止まりそうなんだよ
何かに追われて
何かを追いかけて
涙も流れて

話をしようよ/King & Prince


 「きみのため」だけであったら、この歌詞はファンのために怖いことや辛いことをやってるんだ、という意味になる。穿った見方をすれば「きみのためにこんなに無理してます」とも取れる。しかし、「僕らのため」でもあるから、これはただの弱音だけでは終わらないのだ。

でもきみだよ、きみなんだよ
僕にはきみがいるんだよ

話をしようよ/King & Prince

 続くこの言葉で前を向くような印象があるが、この言葉に真実性が増すのである。というか、「きみのため」だけであったら成立しない歌詞になっていると思う。

 たった5文字の「僕らのため」がこの曲全体の真実性や誠実さ、真摯さを際立たせる。

 髙橋海人さんはこういった些細とも言えるような細かな言葉遣いまで心が配られており、私は言葉を重視してしまいがちなので、それだけでなんだかもう、髙橋さんを信頼できると思ってしまうのだ。
 この曲はそこまで心を配れるような髙橋さんだからこそ作ることが出来た1曲だと言いたい。この曲をあのタイミングで出した真摯さや誠実さを信じたい。
 この曲に、髙橋海人というアイドルの在り方が現れていると、なんだか確信を持って私は思えるのだ。それがどれだけ稀有なことか、分からない訳もなく。また一つ髙橋海人というアイドルへの好きを積もらせる。


 以上が、今書き留めたいと思った「話をしようよ」という曲の良かったところである。他にも良さはあると思うが、それは他の人が言葉を尽くして書いてくれているだろうし、曲を聞いただけで受け取れるものでもあるので、ここで終わりとする。冒頭にあるように寝ずに白目を赤くしながら書いてるので言葉が足らない事もあるかとは思うが、これが現状最大限の言葉である。

 素敵な曲をありがとうございました。

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