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古川本舗って天才だ
私の情緒は古川本舗に育ててもらった。
早速、怖い話をして申し訳ない。
恥ずかしいことに、上記のように書いておきながら、ライブに行ったことも、熱心に動向を追っかけたこともない。
ただ、欠かさずに彼の曲を持ち歩いていた。SDカードとかiPodとか、そういうものに入れて電車に揺られながら耳を傾けていた。曲によっては3000回以上聴いていると思う。
擦りむいた傷が治らなくなった
時間が経ちすぎたんだ
古川本舗というアーティストが不意に消えた時期があった。
古川本舗という存在は中高生だった私にとって、「ある晴れた日」とか「白米とおみそ汁」みたいな存在で、少しだけ気分が上がるけどありふれた存在だった。熱心なファンとは言えず、ただ毎日聴かずにはいられなかった。
そのため、古川本舗にどういう心境の変化があって、曲づくりから距離を置いてしまったのかを知らない。曲の更新が止まってしまった事実だけがそこにあった。
柔らかく今日は晴れたまま過ぎる
日々の言葉、まだ見えないままの行く末、
手には何も無く、
彼が書く歌詞にはレコードに似たノイズが混じっていて、懐かしさを覚える。文節の位置があえてずらされているからだろう。「記憶は定かではないがとても幸福な思い出」のように綴られている。
当時の私は誰かの思い出話を聞くように、繰り返し繰り返し、再生ボタンを押した。学生とは非常に多感な存在だ。私も例に洩れず優しさに飢えていて、古川本舗の曲は特効薬として最適だった。
そんな彼の曲の更新が止まった。それはもう悲しかった。だが、大人になりかけていた私は「そういうものか」と半ば諦めていた。
不確かな日々を歩いて行けるか?
平らな道でさえ歩けやしないのに?
なんと2年前、不意に古川本舗が戻ってきた。(この曲は1年前にリリースされたものだが)
さらに久々に聴いた彼の曲に対して抱いた感想は、「ちょっと変わったな」だった。大人になると見える景色が変わると言うが、まさにその現象が起きてしまった。曲の傾向が異なるように感じた。
お守り代わりだった彼の曲を、頼らずとも生きられるようになった。夢想家だった私は今やときめきを忘れ、昼夜を無碍にして生きている。
不確かな日々を愛して行けるか?
新しい靴を汚してまで?
まっ……。待って!? 改めて天才じゃん?!?
夜10時過ぎに家へ帰ってきた。さすがに10時ともなると疲れており、けれどもこのまま寝るのもやるせなく、半ば自暴自棄になる時間だ。
今日を取り戻すためにプレイリストを適当に流していたら、古川本舗のdependsが流れた。
不確かな日々を愛して行けるか。新しい靴を汚してまで。
その一節を聞いて心臓が止まった。学生の私に寄り添ってくれた古川本舗がそこにいた。彼の書く歌詞は変わってなんかいなかった。食卓に添えられた花瓶のような優しさは変わらずそこにあった。
不確かな日々を愛して行けるか?新しい靴を汚してまで!?!?
古川本舗の書く日本語が優しすぎて何度でも驚いてしまう。地続きの人生を書くのが上手すぎる。
異国のような雰囲気を纏いながら、どこまでも人の生に密着した曲が多い。隙間から漏れる光のような効果をピアノがもたらしており、それでどこか浮世離れしたように感じるが、よくよく聴くと歌詞の足は地についている。起きながら見られる夢見たいな曲たちに何度も救われた。
本当は「古川本舗のここの歌詞が天才!!!!!」と元気に主張するだけの日記を書きたかった。夜は感傷的になってしまうのでよくない。
そういえば大人になったから気兼ねなくライブに行けると思い、チケットを検索した。見た感じ売り切れてたし、なんならライブが終わりつつあった。10月にも公演があるらしいが、今ファンクラブに入ったところでチケットは買えるのだろうか。
来年の開催もよろしくお願いします、とただただ祈るばかりである。