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読書メモ・小松左京『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』(新潮文庫、2018年)
小松左京『やぶれかぶれ青春記・大阪万博奮闘記』が文庫化されたのが2018年10月である。2020年の東京オリンピックに向けての準備が着々と進み、2018年11月に大阪万博の招致が決定するというタイミングで、1971年に発表された「大阪万博奮闘記」が文庫化された意義は、かなり大きいと思う。以下、長くなるが引用する。
「…「都」の行事でありながら、内閣でオリンピック担当大臣がきめられ、それには当時すでに次期総裁候補として呼び声の高い実力者、佐藤栄作氏が就任した。
東京都の再開発はもちろん、オリンピックを目標に、東海道新幹線、高速道路網、宇宙中継通信設備、、NHK代々木放送センターなどの設備が急ピッチに進められた。古代アテネの都市国家の時代の祭典にちなみ、アマチュアスポーツという、本来「質実剛健」な、それ故に、「人間存在の中の素朴な肉体の意味」をよみがえらせるはずの催しに、この挙国的なお祭りさわぎは、本来異常事態であろう。オリンピックを「挙国体制」でやるといえば、すぐ昭和十一年、ナチス・ドイツが「民族の祭典」のイメージをうち出し、オリンピックをナチズムの大宣伝につかったベルリン大会を思い出すはずである。
にもかかわらず、日本の論壇と知識人は、この「東京オリンピックの異様な盛り上がり」に対して、奇妙なまでに冷淡で無関心であった。当時のアンケートから二、三ひろってみても、「こんな無理なことを、東京でやる必要がどこにあるのかと思います。もっとやらなければならない大切なことがほかにあるでしょう」、「オリンピック期間中は東京を逃げ出したい」、「関心なし」と、きわめて冷淡である。「たのしい」、「大いに結構です」、「日本でおこなわれることは名誉なことだと思います」といった、大衆的な人たちの反応ときわめて対照的である。日本の知識人は、「スポーツ」などという通俗的大衆的な問題に関心を持つことは、たとえそれが国際行事であっても、それを通じて日本の社会の様相がかわってしまうような大投資が行われようとも、沽券にかかわると思っているようだった。
したがって、この異様なまでの「オリンピック・ブーム」は、日本の政府が、高度経済成長下にあって、ようやくめだちはじめた社会資本の不足を急速にカバーするため、オリンピックという国際行事を、強引な社会公共投資の「錦の御旗」につかい、シンボル操作を行ったのだ、と分析する前記の論文は当時、短いながら異彩をはなっていた。すでに「国体道路」や「行幸道路」の社会的先例もあり、そのことについて論じたものもあったのだが、そのシンボル操作は、ナチスのそれのように、強力な独裁者が、大衆を強引に引きずりまわすのに使われているのではなく、大衆の方もまた暗黙に、そういった「錦の御旗」の意義を了解しており、理詰め、功利的にやれば、細かい利害の網の目の中でおそろしく紛糾してしまうような大きな社会的事象を、「大義名分」のもとに、操作実現させて行く、という、大衆の側も操作する側と一種の「なれあい」で操作される日本社会の不思議な「まつり」と「まつりごと」の暗合のメカニズム、「無責任の体系」が「超合理の体系」とかさなりあう奇妙なロジックについて指摘している点が異色だった。
しかし、私たちが「オリンピック問題」に注意を向けだした時期は、何といってもおそすぎた。その上、東京という巨大な「怪物」をめぐって起こっていることは、関西から観察しても、わからないことが多すぎた。一九六三年から六四年前半、東京・大阪間の情報交流密度は、現在とはくらべものにならないほど低かった。一つには、まだ新幹線が開通していなかったし、エアラインの国内線はようやく三十八年半ばから、全日空がジェット化したところだった。そういったわけで、「東京オリンピックの研究」には、興味をもったものの、隔靴掻痒の感があった。
新聞社会面の片隅に、「今度は大阪で国際博?」の記事を見つけたのは、そういった時期だったのである。ははあ、と私は何となく思った。なるほど、東京の次は、関西か…」
以上、引用終わり。
歴史は繰り返す、とでもいおうか。
それにしても、当時の知識人や論壇のこうした論調を、未来への警鐘としてしっかりと書き残しておいてくれていた小松左京先生は、近未来の予言者という意味においてやはり真のSF作家である。