いつか観た映画・黒澤明監督『生きる』(1952年)
黒澤明監督の映画『生きる』といえば、劇中で歌われる「ゴンドラの唄」が有名である。
「命短し恋せよ乙女…」
この映画を見たことのある誰もが、志村喬演じる渡辺勘治が、公園のブランコに揺られながらこの歌を口ずさんでいるシーンを思い浮かべることだろう。
だが、この映画でもっと注目されてしかるべき劇中歌は、「ハッピーバースデー」の歌である。
何度か観ているうちに気がついた。
余命いくばくもない自分に絶望した渡辺勘治が、喫茶店の2階で女性と会食中、ふと、残り少ない人生で自分がなすべき仕事があることに気づく。
そのことに気づいた渡辺勘治は、喫茶店の階段を駈けおりてゆく。
それは、人生に絶望した彼が「生きる希望」を見つけた瞬間でもあった。
ちょうどその時、喫茶店に居合わせていた女学生たちが歌っていた歌が、「ハッピーバースデー」であった。
その歌にあわせて、渡辺勘治とすれ違いにひとりの女学生が階段を駈けのぼっていく。誕生日を祝福される主役である。だがその歌は、「生きる希望」を見つけ、階段を駈けおりてゆく渡辺勘治をも同時に祝福しているようにも聞こえる。生まれ変わった渡辺勘治を祝福するかのように。
なるほど。そういう意味があったのか、やはり名画は何度でも見るものだなと、あらためて思った。
さてここからが本題である。
少し調べてみると、「ハッピーバースデー」の歌は、どうやら1920年前後にアメリカで歌われるようになり、いまでは世界でもっとも歌われている歌としてギネスブックに登録されているらしい。そして英語圏以外の国では、自国語で歌う国と、英語で歌う国とがあるという。
その違いがなぜなのかについては、よくわからない。
さて、日本ではいつ頃から歌われるようになったのか?
1920年から1945年の敗戦の間に、この歌が日本で歌われるようになったとはどうも考えにくい。といってもそう考える根拠はない。ただ、戦争中は敵国の歌なので歌われなかったのではないかと想像するのみである。
とすれば、この歌は、戦後の占領期になって流布した歌だろうか?
映画『生きる』の公開は、1952年(昭和27年)10月9日である。ちなみにサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が主権回復したのが同年の4月28日である。
ひょっとして、映画『生きる』は、日本で「ハッピーバースデー」の歌が歌われたことを確認できる、最古の資料なのではないか?
この仮説を友人に話したら、
「砂糖や小麦粉などの統制が解除された昭和25~27年頃からクリスマスケーキが急速に普及したようですので、実は『生きる』を撮影した頃が、誕生日に家庭でケーキを買って祝う習俗が流行し始めた時期で、だからこそ目新しいおしゃれな習慣として映画のシーンにとり入れたのかもしれません。その時点でローソクを吹き消す歌として、ハッピーバースデイが歌われるようになったのではないのかなあ」
とコメントしてくれた。時期的には合致する。持つべきものは友人だ。
大学生だったらこれで卒業論文が書けるのではないか、と色めき立ったが、あるいはもうとっくに解明されていて、私がたんに知らないだけかもしれないのだとしたら、恥ずかしい。