38 日本の神々に対する理解と交流(謎の御祭神?編)
<M神社とA神社>
私は週末を利用して東京都内を中心に神社巡りを行っている。
神社では全身全霊を込めて祈る。
(祈りの重要性については記事31にまとめているので参考にしていただきたい)
神社巡りをしていると、自分に(スピリチュアル的に)縁のある神社とそうでない神社がわかってくるのも興味深い。当然、前者は何度も足を運ぶことになるし、後者は一度きりである。
今回の紹介はその前者の縁のある神社が一つ追加されたエピソードでもある。
私が神社巡りに参考にしているのは、都道府県別で御朱印で巡る神社というテーマで書かれたごく一般向けの書籍である。
その書籍に、御祭神不明で日本でたった一つしかないという神社が紹介されていた。
オカルト雑誌の記事なら盛ってると判断してスルーするところだが、一般向け書籍での記事だったので、そのAという神社に行ってみた。
その神社はC県、M神社の境内にある。
M神社の歴史は古く、3世紀には地元の豪族、国造であった伊都許利尊によりワカムスビノミコトが祀られ、推古朝の頃に植樹された杉は御神木として今も崇められている。
緑に囲まれた環境は心地よく、前回(記事37)テーマにした祓戸もあり、素晴らしい神社である。
祓戸を参拝して身を清め、御神木を拝してからA神社も無事参拝を終えたので帰路に向かった。
<お賽銭の音>
M神社にはもう一つ特色がある。
普段、社務所に人がいないため、賽銭箱の横に神札がおかれていて、定められた金額を賽銭箱に納めればその神札をいただくことができた。
境内社にすぎないA神社の神札もM神社の札と並べ置かれていることからA神社の人気が伺えた。
だが私には既にO神社(セオリツヒメ)とI神社(イチキシマヒメ)の札があるのでこれ以上の札は必要なかった。
そして、M神社は良い神社ではあるがあまりにも遠いので、もう再訪するつもりはなかった。
だが多少の未練を感じたので、お別れを告げる気持ちでもう一度だけ拝殿に行き、改めて感謝の祈りを捧げた。
そしてA神社には向かわず、参拝の代わりに賽銭箱の横にあるA神社の神札に向かって略礼だけして、帰ろうとした。
その瞬間だった。
目の前でチャリーンと賽銭が投げられた音が聴こえた。
!!??
拝殿には私しかいない。
周囲の境内社で誰かがお賽銭を投げたのか?
だが音が聞こえるほど各境内社は近くにない。
それに最近の賽銭箱は盗難防止のため板が2枚斜めに交差するように重ねられているから、お賽銭を投げたとしてもチャリーンと硬貨同士が当たるきれいな金属音がすることはありえない。
だが、私は目の前で、お金同士が当たる音が鳴ったのをはっきりと聴いた!
その不思議な音は、
A神社のお札をいただきなさい
というメッセージだと察した。
後ろを振り返ると年配の女性が一人、私のかなり後ろでかしこまるように立っており、私の参拝が終わるのを待っている。
私は待たせてはいけないと思ったので、急いでお金を納めてその札を手にして拝殿を降りた。
<シンクロニシティ1ー神示>
その神社の参拝後、近所の書店に入り神社関係のあるコーナーに行ったら、そのA神社の神が下したとかいう神示の本が目に飛び込んできた。
(いつもはそんな本置いてないのだが)
ただ、私は予言ものは好きではない。
青年期に、多くの人々がノストラダムスの預言を真に受けて自分自身を見失い、仕事や学業を放棄してドロップアウトしたのを見てきたからだ。
(記事11)
だが今回は、この神示を読めというメッセージと受けとめて素直に購入した。
予言の箇所はまだ十分に読んでいないが、共感したのは
四つ足の肉は食べてはいけない、それは共食いになる
とのことで神は強く否定しているところだ。
私も同じ考えで(記事22)、魚と鶏は好きだが、牛豚肉を食べると歯が痛くなったり肩が酷く凝る。通じも悪くなり、身体がとにかく重くなる。
その後、その書店に何度も行ったが、私が購入したその書籍は補充されていない。
自意識過剰かもしれないが、まるで私が買うためにあったのかと思うくらいだ。
<シンクロニシティ2ー再訪>
それからある日の瞑想中、このA神社の祠が苔むしているヴィジョンを見た。
また参拝に来なさい、ということらしいので再訪の予定はなかったが行くことにした。
再度参拝した時は特に何も起こらなかったが、祠に小さなアマガエルがいることに気づいた。
このカエルは私には神の使わしめに思えた。
A神社の御祭神は不明とのことだが、神示はクニノトコタチノカミが降ろされたという。
だが、この神社の御祭神はクニノトコタチノカミではないのは明らかである。
御祭神の名は
アマガエルがひっついていたから
アマヒツクノカミ
である笑
(本来笑うところではないがつい笑)
ダジャレではなく、
私はここにいる、この名で呼びなさい
という、シンクロニシティを通じたアマヒツクノカミのメッセージだったのだ。
<交流>
私はその後、瞑想を通じてアマヒツクノカミと交流を試みた。
頻繁に見せられたのは太くて真っ白な鳥居だった。
そしてその鳥居の周囲には大勢の人がいる。
実際のA神社は清掃も行き届ききれいに管理されてはいるが、人はほとんどいなくてひっそりしていた。
それと鳥居も真っ白ではなく流れた年月相応の色をしている。
私が瞑想中に観た純白の鳥居はアストラル界におけるA神社の鳥居であり、純白で太いだけでなく、現実のものより遥かに大きかった。
アストラル界では汚れるという現象はないので白いままということはあるにせよ、
それだけでなく、
A神社の鳥居を寄進された方々の純粋な思いが高次元に届いており、アマヒツクノカミだけでなくアストラル界の住人からも喜ばれ、それが鳥居の純白な美しさとして表れていたのだ。
祈りの大切さ、与えること捧げることの大切さを改めて感じた。
だが何よりも、
この鳥居を寄進された方々の御心に感銘を覚えた。
また、私はアマヒツクノカミに一つ質問をした。
ー前回(記事37)紹介した祓戸四神による内的な祓いを実践し続けたらエゴの殱滅まで辿り着けるでしょうか?ー
アマヒツクノカミは
WIN
の文字を見せてくれた。
コツコツ地道に続けていけば必ず勝利するという、心強いメッセージだ。
(ひらかなと漢数字しか使われない神と聞いていたが、英語ってどういうこと笑)
このメッセージは私だけでなく皆さんにも向けたものであると理解いただきたい。
できるだけ多くの人が前回公開した内的祓いを実践すること、それが神々の御心にかなうからだ。
そのほか達筆の墨で書かれた古文書のようなものも見せていただいたが残念ながら私には読めなかった。
一般には謎多き神とされるアマヒツクノカミだが、私が体験を通じて感じたのは、実際にはとてもフランクでフレンドリーな神様である、ということだ。
<交流編の終わりにあたって>
私にとって神々との交流は始まったばかりであるが、今回の追加編も含めて5回にわたって続けた神々との交流編はこれにて終了する。
ずっと神社系のスピリチュアルな話が続いたので、次回以降は異なる分野の投稿をしてみたい。
最後に
この交流編の掲載にあたりご登場いただいた、氏神様であるウカノミタマノカミ(記事34)とタカミムスヒノカミ(記事35)、守護天使と一体となって私を見守ってくれているイチキシマヒメ(記事36)、さらに人類に必要な啓示を降ろしてくれたセオリツヒメをはじめとする祓戸四神(記事37)、そしてこの度縁あったアマヒツクノカミ、その他の援助くださっている神々と眷属の方々に
心から感謝を捧げたい。
ありがとうございました。
ヌートピアン