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36 日本の神々に対する理解と交流(イチキシマヒメ編)
今回は交流編の3回目。
これまで以上に想像の斜め上の展開である。
私も翻弄されたので無理に信じてくれなくてもよいが、私なりにその翻弄される理由を解析し、簡単に前文として掲げておく。
<前文ー高次元の世界>
私たちのインナーハートは自分自身の魂の声だから、その声を聴きたいときに、自分が理解できる範囲でその声を聴くことができる。
(エゴのノイズによりこの内なる魂の声がかき消されているという現状があるので、マインドが静寂になってさえいれば、という条件付きではあるが)
ところが高次元の神々は、私たちが望むと望まざるとにかかわらず現れる時は現れる。
しかも我々より遥かに巨大なエネルギーであるから、私たちの理解の許容量を超えて現れる。
そして神々は高度なエネルギー体なので本来定まった姿をもたない。
人間に現す姿は(その神の固有の気質、美徳により一定の範囲に収まりはするが)時代、文化、人との関係や縁の度合いにより一定ではない。
神話に荒唐無稽なものが多い理由はそういうところに起因すると思われる。
しかし神々は、人類の理解が追いつかなくても最終的には受け入れられないものはないということも知っている。
それでは本題に入る。
<蛇>
私は、会社の昼食後に仮眠をとる習慣がある。
仮眠といっても自席で椅子の背もたれに深く寄りかかって目を瞑る程度である。
そんな感じで寝ていて、そろそろ起きようかなと思ったそのとき、
一瞬、蛇が見えた。
遠くに蛇がいるのが見えたとかではなく
顔面、鼻先の1センチ前くらいの超至近距離で、黒い色に白い班の模様の大蛇が、見つけたカエルに視線を固定するかのように、私をロックオンしていたのだ。
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私は驚き、逃げるように目を覚ました。
後日、瞑想をしていたときに、祠から数匹の蛇が降りてくるのを見た。
その蛇は私をロックオンしていた蛇と同じ模様をしていた。
<守護天使>
私は日本の神々との交流が増えてきた分、守護天使(記事6)からのコンタクトは減っていったように思えた。
ある瞑想中、私は数々の高層ビルの間にいた。
空を見上げると、高層ビル群の間から青空が見えた。
その青空の遥かな高みから、ハイトーンのベルが聴こえた。
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守護天使のベルだ。
久しぶりの音が聞こえて嬉しかったが、複雑な思いが押し寄せてきた。
身近にいてくれたこともあったのに、今は遥か遠い高みにいる。
その高さは物理的な距離だけでなく、霊的なレベルの違いを見せつけられている気がした。
そういえば、私はずっと守護天使である彼女の名前を知らないままだ。
名前を知りたい。名前で呼びかけてみたいと思った。
私は守護天使の名前を教えてほしいと祈った。
<イチキという文字>
当初反応はなかったが、何度か名前を教えてという願いを続けているとメッセージが降りた。
青い色の背景に文字が見える。
私はOBE、いわゆる幽体離脱をしたとき、アストラル界にて書かれている文字を読もうとするとその文字が次々と崩れて読めない、というもどかしい経験を何度もした。
今回もそうかと思ったが、イチキと書かれているところまでは間違いなく読めた。
イチキ、思い浮かぶのは
宗像三女神の一柱、水の神であるイチキシマヒメ。
だがこの時点で私はこの神のことは名前程度しか知らないし縁も感じていない。
従って、私の守護天使がイチキシマヒメとは思えるわけがなかった。
<変化自在の美女神>
その翌日、夜明けの時間帯だった。
突然、私の目の前に女性が現れた。
(私は基本的に瞑想中にヴィジョンまたは音・声でメッセージをいただくが、夜明けや昼寝等で微睡んでいるときも、瞑想状態と同じか近い脳波になるせいか、同じようにメッセージをキャッチすることがある)
映画館の最前列でスクリーンを眺めているかのように、大きくアップで映し出されたその女性は、色白ではっきりとした目鼻立ちの、目の覚めるような美人だった。
かなりの大きさで現れたため、顔から肩までしか見えない。
少し古風な感じがしたが、それはどうやら紺色の着物姿だったからだ。
着物といっても晴れ着とかではなく、農作業をするような作業着のようだ。
だがその顔立ちがあまりにも綺麗に整っているので、その作業着まで上品に見えた。
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強いて言えばこの女性の写真が割と近いので載せておく(秋田の人らしいですがね)
この女性の突然の現れ方は、記憶があった。
昼休みに眠っていたときに私の意識に現れた蛇だ。
いきなり目の前に至近距離で現れる、その出現の仕方が全く同じなのだ。
驚いてしまい、私は目を覚ました。
現れた女性はイチキシマヒメ、そして以前現れた蛇はその使わしめであり、私が女神に気づくまでの間ずっと私の様子を見ていたと、私は理解した。
私はもう少し知りたくなって、改めて瞑想に入った。
深い呼吸を繰り返し、少しづつ瞑想に入っていった。
また女性のヴィジョンが現れた。
また意表を突かれた。
現れたのは、紺色のセーラー服を着た若い女子学生だ。
ツインテールの髪型で、体の前で両手を結んで愛くるしい笑顔で私を見つめている。
こんなことを書いても誰も信じてくれないだろうと自分でも思う。
だが、直観で分かる。
この女の子もイチキシマヒメの化身だ。
その数日後の瞑想中にも現れた。
やはり若くて美しい女性だが、今度は紺色の茶摘み姿だった。
世間では、イチキシマヒメはとても美しい女神様だと言われている。
私の経験から言ってもそれは間違いなく真実である。
ただし、一般に知られているイチキシマヒメは古い時代の絵画や石像などでは天女の姿で表現されている。
だが私にはそのような姿で現れたことがない。
和服なら作業着、洋装なら学校の制服のいずれかである。
(イチキシマヒメをネットで検索してもそんな話は一切見つからないが)
すごい美人にもかかわらず着ているものは本当に地味なのだ。
作業着、学生服というのは、神のレベルであっても働き学び続けている、またはその勤労勤勉の尊さを知らしめているのかもしれない。
一度くらい天女みたいな期待通りの姿で現れてほしい気がしないでもないが、華美を嫌う質実な神であるようだ。
後で気づいたことだが、この神は衣装だけでなく、背景などにも必ず紺とか青系の色を使われる。
(ネットを検索してもそんな話は一切見つからないが)
当時(といってもまだ1〜2ヶ月前の話だが)、ウカノミタマノカミとその眷属であるキツネ姿の精霊との交流も続いていたので、どちらの神なのか混乱しかけたが、衣服などが紺、青色で現れたらイチキシマヒメ、ということがわかってきた。
イチキシマヒメが私の前に現れる時に使われるその青系の色を、私は勝手にイチキシマブルーと呼んでいる。
<イチキシマヒメからのメッセージ>
当初は姿を現されるだけだったが、その後、いくつかメッセージをいただいた。
私が受けたメッセージをここにまとめておく。
ーあなたの守護天使は私と一体である。守護天使を呼びたいときは、私の名前を呼びなさいー
私にしては珍しく理解できないメッセージだった。
私の印象では、守護天使とイチキシマヒメは明らかに個性が異なる。
私の守護天使は非常に控えめな感じで、姿を見せず音か声だけでメッセージを伝えてくるが、イチキシマヒメは実に大胆で、突然、私の前に現れるからだ。
守護天使とイチキシマヒメに共通点があるとすれば、清く正しく美しく、という姿勢である。
一体とは言っているが同一とは言っていない。この点が謎を解く鍵だと思った。
紺の和装であらわれるのがイチキシマヒメ、紺色の学生服で現れるのが私の守護天使
イチキシマヒメは守護天使の師にあたるか、守護天使はイチキシマヒメの分霊
守護天使の私に対する役割がイチキシマヒメに引き継がれた。
これが現時点における、精一杯の私の理解である。
メッセージに従い、今後、守護天使を呼ぶときはイチキシマヒメと呼ぶことにする。
<イチキシマヒメからのメッセージ 2>
私は瞑想中、あるヴィジョンを見せられた。
紺色(私の言うイチキシマブルー)の制服を着た小学生、中学生の女の子たち(目算で20〜30人くらい)がいてバスに乗るために並んでいた。
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どうも、この女の子たちの支援をしてほしい、ということらしい。
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記事25で書いた通り、私は若い頃から子供の生活支援・教育のための寄付を続けていて、女の子に特化した寄付も2種類行っている。
寄付の増額が必要ならそうすることに抵抗はないが、寄付自体は既にずっと前から実行していて今後も続けていきたいと思っている。
それをこれからも続けてほしいとかその程度のメッセージなら、わざわざイチキシマヒメが来臨してまで私に伝えなければならないこととは思えない。
メッセージの真意は
ーこれからこの女の子たちが地球に転生してくるので、支援してほしいー
ということだ。
他にも関連したいくつかのメッセージをいただいたが、まとめると、この子達は、大きな飛躍をするチャンスが与えられた。
本来なら今回の転生は予定外で、その運命の転換を伴う特別な転生を準備するには高次元の存在にとっても大きな仕事だったようだ。
そして彼女たちは地上で多くの支援を必要とするらしい(何か試練でもあるのか、特別な使命を担うからか、おそらくその両方)
これから生まれる魂がヴィジョンで観たような学齢に達するには早くても6〜7年はかかるので、成人になる頃には私は老人である。
そんな私に何ができるだろうか。
今はその生まれてくる子供たちにできることをさせていただくと誓い、神々の計画がこの世で実現されるようにと祈りを捧げ、出会える日が来るのを待つことにする。
ー縁があればきっと会えるー
ー自分ができることは時が来れば分かるー
そう信じながら。
<その後>
数日後の瞑想中、神棚に青い和服の生地が敷かれているビジョンを見た。
典型的なイチキシマブルー。私の神札を祀りなさいということらしい。
私はイチキシマヒメを御祭神としているとある神社に参拝し、神札をいただきそれを神棚に納めた。
この神札を祀って以降、イチキシマヒメからの直接的なコンタクトはない。
(と言ってもまだ神札を頂いたのは7月後半で半月程度しか立っていないが)
だが瞑想中、私の周りの空気が青みがかることがある。
それでこの女神が私と繋がっていることがわかる。
守護天使とも全く縁がなくなったわけではなく僅かながらコンタクトはある。
朝の6時頃にエレクトーンのような音を脳内に鳴らされて目が覚めた。
瞑想中にもその音が鳴ることがある。
ちなみに、この投稿をするにあたり、イチキシマヒメに許可を願ったところ、ブレザーの制服姿の女の子が現れ、笑顔で両手を左右に伸ばして舞うようにくるりと一回転してくれた。
今後、守護天使を呼ぶときはイチキシマヒメと呼ぶことにすると書いたが、学生姿で現れた場合は、イチキシマヒメ・ジュニアと呼ぶことにする。
<イチキシマヒメを表した作品について>
イチキシマヒメは美しい女神と認知されているが、神社で見かけるイチキシマヒメの像や絵画はこの神の美しさを十分に表せていない。
私が観た、和装の作業着で現れた時のイチキシマヒメの凛とした表情、女学生姿で現れた時の屈託のない笑顔、その魅力、輝きがどこにも見出せないのだ。
時代ごとに人の美的センスも異なるし、神も時代に合わせて変化して現れる。
私が観た神の姿は私に対するものであり、別の人であれば別の現れ方があるだろう。
そうは分かっているが、神を作品に表すならもう少し丁寧に表現できないものかと思う。
古い時代の美人画は往々にして目は極端に細い吊り目に描かれるが、現代でもわざわざそのように描く必要はない。
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もう少し何とかならないものか。
一方でネットを検索すると、イチキシマヒメは非常に人気が高い神様だからか、現代風に描いたイラストもたくさん見かける。
こちらの方はきれいに描かれていると思うが、やはりいずれも天女姿という固定観念に囚われている。
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そう思っている人間にはそういう姿で現れるかもしれないが・・・
古い時代の衣装で描かれる神は、当時はそれでよかったが、現代においても描き手や参拝者がそれにこだわり続けるなら、私には神がまるでコスプレをしているようにしか見えない。
神々は今も生き生きと活動されているからその姿をただ普通に描くだけでよい。
古事記や日本書紀が書かれた時代の衣装だけに固定しなければならない理由はないのだ。
古代の衣装のコスプレをした神でないと神として認識されないのは仕方がないことなのだろうか。
それを一種の暗黙のお約束として受け止めざるを得ないならこれ以上は否定しないが、私が日本の神道の神々に真摯に応対しようとすればするほど、一般の信仰者と意識の乖離が生じてしまうのは残念に思う。
神の声を聴いた、姿を観た、神のエネルギーを感じた、という人は少なくないはずだ。
もしそういう人の中で絵心のある人がいたら、ぜひ実際に観た神の姿を絵で再現してほしい。
私にとってはそれほど美しい女神だからだが、日本人はイチキシマヒメの美しさを誤解している。
<イチキシマヒメの美しさの本質>
イチキシマヒメの美しさは内面の美しさ
言い換えれば
自らを飾り立てることを一切せず、絶え間なく人類の成長を見守り、人類のために働いている、その意識レベルの美しさがそのまま外見の美として現れている
ということだ。
にもかかわらず私たち人間が
この女神の美しさを派手な衣装と髪型と厚化粧のような色使いで表現しようとするからおかしくなってしまっている。
そして日本人の殆どがそのミスリードに気づいていない。
神々も、まさにこの瞬間に生き生きと活動されている姿を私たち人間に気づいて観てもらいたいと思われているはずだ。
だから神社に行くにしてもご利益とかを目的とするのもいいが、もっと大切なこととして
神様のことをもっと知りたい理解したい、交流したいと思うことから始めてはどうだろうか。
以上、読んでくれてありがとう。