1 霊感ーインスピレイションーInspiration
2 啓示ーレヴェレイションーRevelation
3 直観ーイントゥイッションーIntuition
前回に引き続き、2の啓示ーレヴェレイションの別の体験について語る。
前回の覚醒体験より前、大学生のときに起こった出来事である。
私は普段の投稿で偉そうなことを書いているが、実際には、いかに弱く情けないかがよく分かると思う。
<啓示の体験例2ー愛の葛藤・警告の奇蹟>
私の神秘体験、たとえば霊視、霊聴、幽体離脱、テレパシー、覚醒体験は、いずれも自分一人の個人的体験であり、他人との共通体験ではない。
それらの体験は、瞑想などの内的ワークや自身のエゴとの戦いを通じて培われた私自身の意識の変性によるものだと、私は思っている。
個人の内的体験だから、内容の説明はできても目撃者もいなければ第三者への科学的証明も提示できない。
ただ、このような現代の科学では説明できない神秘体験は、近い将来、信仰や哲学といった人文系の分野にとどまらず、精神医学や脳科学、さらには量子力学の分野で全て説明できる日が来ると確信している。
ところがこの警告は違っていた。
私だけでなくC子もその声を聴いたからだ。
私個人の内的体験であれば、この物質世界、現実世界は影響を受けないため、彼女はその声を聴くことはなかったはずだ。
ところが、C子にもその警告が聴こえたということで、もはや私の個人的かつ内的な神秘体験という説明がつかなくなった。
それゆえにこの体験はありえない奇蹟だった。
このような奇蹟を私と一緒に体験したのは後にも先にも彼女だけだ。
この奇蹟は、彼女との別れを導いたほろ苦い奇蹟だったが、私にも彼女にもそれぞれの歩むべき道を示し、私たち二人を円満に別れさせてくれたのだ。
愛を知ることは愛欲に溺れることではない。
真の愛を知り慰めなど不要になれば、孤高であり続けられる。
誰にも頼らずに真理、神を求めていても、寂しさのあまりに慰めも求めるならばそれはただの孤独でしかない。
このような純粋な思いは青年期特有のものであるかもしれないが、この体験をしたことで、私は今でもそのように考えている。
また、そのような思いがなければ、私はC子と暮らしはじめ、意識の覚醒や様々な至福を体験することはなかっただろうし、自力で無理に別れようとしていたら、よくある男女間の揉め事にもなったはずだ。
いつの時代にも、愛欲に溺れて這い上がることもできず、縛られた生活を始めて夢を捨ててしまった人が星の数ほどいたことだろう。
この警告の奇蹟は、その私の葛藤の思いを断ち、一瞬で我々二人の運命の軌道を変えた。
私は彼女と別れた数年後に意識の覚醒、神の愛、真理を求める私の思いに理解ある女性と結婚した。
そのターニングポイントとなった意味でもこの警告の奇蹟は愛への奇蹟でもあった。
私はその後、私を守護してくれる高次元のマスター集団に会ったが(参照:記事15)、今思えば、この警告をくれたのは、そのマスター集団のどなたかかもしれない。
私は今も真理、意識の覚醒を求め続けているが、青年期を通り過ぎて人生の後半に入っている。
今も未完成で失敗も多いが、若いときに体験したような迷いや誘惑は、もうない。
それゆえに、このような奇蹟はもう二度と起こらないだろう。
読んでくれてありがとう。