35 日本の神々に対する理解と交流(タカミムスヒノカミ編)
今回は交流編の2回目。
いつも前置きが長いからさっさと本題に入るが、今回も荒唐無稽と言われても仕方ない内容だ。
<海>
ヌートピアン、連休予定入ってる? うちら海行こうと思ってるんだけど一緒にどう?
ある知人たちからそんなお誘いがあった。
私は海も山も好きだが、最近は森林浴がお気に入りで気持ちは森に向いている。
海はあまり考えていなかった。
水泳が得意でないし、ジリジリと照りつける太陽も苦手だ。
でもその時はGWでの話だからまだ泳ぐわけでない。
潮干狩りとか、足だけ海に浸かるとか、その程度らしい。
行き先の某県も極端に遠いところではない。
私は人付き合いが決して良くなく広くもないが、誘われれば断らない主義なので行くことにした。
現地に着くと、多くの家族連れが海岸で楽しそうに遊んでいる。
潮干狩りでは貝がたくさん取れたが、成果などどうでもよかったし調理もできないので、取れた貝は全部その知人たちに渡して手ぶらで帰路についた。
潮風と海水で身体がびしょ濡れになったのはまいったが、まあたまにはこういう日が1日くらいあってもいいかと思った。
<心のざわつき>
私は人混みが苦手で、大都市の駅などは当然、美術展で展示されている作品などはいくら素晴らしくても美術館に人が多いと鑑賞どころではない。
疲れて帰宅するだけである。
海もそれなりに人が大勢いたからか、帰路の電車中も落ち着かない気分だった。
そういう時は瞑想すると落ち着く。
瞑想は日々の習慣だから実践しない日はないが、その日は特に瞑想がしたい、とにかく瞑想を始めたいという衝動に駆られた。
そうはいっても、海水を浴びた体は水道水で洗ったにもかかわらずまだベタつく感じがしたからもう一度シャワーを浴びたかったし、洗濯もあるし諸々雑事をこなさなければならなかった。
その間ずっと、瞑想、早く瞑想をしなければと心の中で叫んでいた。
もはやそれは何者かに駆り立てられているかのようだった。
洗濯物を干し終わって雑事から解放されたので、いつものように蝋燭に火を灯し、神に祈りを捧げてからようやく瞑想に入った。
私はいつも40分程瞑想をしてから、シャバーサナ(死体のポーズ)でくつろぐまでを一連のルーティーンとしていたので、その日もそのように実践した。
<声>
瞑想で心が静寂になり至福感に満たされてシャバーサナを終え、立ちあがろうとしたその時だった。
突然、部屋の中から声が聞こえた。
「いかがでしたか?」
・・・・えっ? 誰?
男性の声だった。
幻聴とか空耳の類ではなく、はっきり聞こえた。
温かみのある低いバリトンの声で、全てを包み込むような慈愛に満ち溢れていた。
私の守護天使は女性(記事6)なので、声の主は明らかに別の存在である。
前回(記事34)紹介したウカノミタマノカミも女神であるので違う。
私が白のマスターと呼んでいる守護集団(記事15)からも何度か声をかけられたことがあったが、私に対してはいずれも威厳に満ちた命令調で、丁寧語ではなかった。
神棚を設置してまだ10日程しか経っていなかったが、その神棚の方向から声は聴こえた。
私の氏神神社ではウカノミタマノカミとは別の神も祀られているが、その御祭神で唯一の男神は、タカミムスヒノカミである。
だが、タカミムスヒノカミは、GOD OF GODS の位置にあるので、私たち人間には直接関与してくれることはない。私たち人間にとって交流の機会がない縁の薄い神である。
ゆえにその声は同神の代理人、分霊の方の声なのだろう。
実際、私にとっても、この神との出会いは今のところ、この時限りである。
<推察>
なぜ私は声をかけられたのか ー少し楽観的ではあるがー 以下のように考えた。
私がひょんなことから急に神社を参拝し始め、神棚まで設置し出した。
ウカノミタマノカミからのメッセージも真摯に受けとめて、そのメッセージの理解と実行に努めた。
それを遥か彼方にいらっしゃるタカミムスヒノカミの知るところとなり、そのヌートピアンとやらに声をかけてやろうと思った。
(自分でそう思う根性)
しかしタカミムスヒノカミはあまりにも高い次元にいらっしゃるため、ヌートピアンのいる三次元の地上にはなかなか降りる機会がない。
しかもウカノミタマノカミのようにキツネの精霊のような眷属、使わしめを持ち合わせていないので間接的な交流も難しい。
だが何らかの事情により、かなり地上に近い次元まで降りる必要が生じた。
声をかける機会ができたわけだが、まだヌートピアンの波動は荒い。
本人にお祓いをうける気があればまだ近寄りやすいが、その気がなさそうだ。
ならば無理やり機会を作ってやろう。
(海に行かせて海水と潮風で事実上の禊)
あとは本人がいつも通り瞑想すればチャネルができる。
だが、今しか機会がないのに、昼にそれをする習慣がないようだ。
ならやりたくなるように心をざわつかせてやろう。
後は上述の通り。それでもあの声は同神のものではなく、代理人や分霊の方の声と私は考える。
以上
<アマテラスオオミカミ>
だが、もう一柱、私に声をかけた主かもしれない神様がいる。
神棚には神宮大麻を祀ってある。
つまりアマテラスオオミカミである。
だがアマテラスオオミカミも女神である。
その時点で上述した声の主である可能性はなくなるわけだが、同神は男神という説もある。
とすれば、その声はやはりアマテラスオオミカミだった可能性も出てくる。
だが、私の直観は違うと言っている。
その一方で
アマテラスオオミカミが実は男神であったという説については、私の直観は否定しない。
どういうことか?
神は我々と同じヒトの段階にあった頃、あるときは男性として、またある時は女性として、無限といえる程の転生を繰り返して霊的に進化をして神となった。そして今では両性具有で完全なる存在である。
そして神々一人一人がその転生を通じて固有の個性、気質を身につけられた。その個性、気質に従い、ある神は男神、また別の神は女神としての役目を果たすようになった。
一般に人間から女神(男神)として認知されている限り、その神は女神(男神)として現れる。
ただしある人が男性神(女神)であると信仰レベルで思っている場合はその期待の通りに姿を現すことも稀にある。
スサノオの乱暴ぶりを恐れて天岩戸に隠れたアマテラスオオミカミは アメノウズメの踊りに盛り上がっているのが気になってそっと覗いたところを引っ張り出された。
この立ち振る舞いはあまりにも女子っぽいではないか。
アマテラスオオミカミは本質は男神ではあるが、現人類にとって女神としての役割を受け持っている。これが解であろう。
(そしてこれは重要な啓示である)
従って、男神かつ無限と思われる包容力を感じさせるその声は、タカミムスヒノカミの系統以外にいなかったのだ。
<タカミムスヒノカミの偉大さとは>
後日、喉が完治した時、喉にご利益がある稲荷神社(記事34)にお礼参りに行った。その後、ぶらぶら散歩していたら、たまたまタカミムスヒノカミを御祭神とする神社を見つけた。
神社の名前から、とある人気アニメとコラボしていた。
最高神、GOD OF GODS をここまでいじるとはいい度胸してる笑
いくらいじられようと人間の遊び心をしっかりと受けとめる包容力があり、無限の時間を通じて絶え間なく無限の愛を放っているのがタカミムスヒノカミ。
実際のところ、タカミムスヒノカミだけでなく日本の神々は、我々人間が思う以上に、いつも人間から意識されたい、声をかけてほしい、もっと気さくに神社に来てほしいと考えられている。
その意味ではこの神社の試みは素晴らしい。
神社や神棚は神と人との交流の場である。
ご利益なんてどうでもいい。
(そういうものは勝手についてくる)
神と人間の交流それ自体が大切なのだ。
私は声を聴いて以来、そう感じるようになった。
<最後に>
神棚を設けてからも、氏神神社には参拝したりしなかったりという日々が続いたが、タカミムスヒノカミの声を聞いてから、1日だけ所用があって参拝できなかったものの、その翌日からこの投稿を書いている8月4日時点で連続97日の参拝を続けている。
一日2回行くこともある。
朝参拝して、今日は都内の◯◯神社に行って来ます、と伝え、戻ってきたら、行ってきましたよ、と報告する。その◯◯神社を入れると1日に3回参拝したことになる。
神社でも神棚の前でも今日あったことを報告して、感謝を捧げ、何かあれば話しかける、そしてみんなと愛と光を分かち合えるよう、祈りを捧げ続けている。
タカミムスヒノカミの系統から声をかけられて以来、どういうわけかまるで魔法がかけられたかのように、
神々との交流ほど楽しいものはない
と感じるようになったからである。
以上
読んでくれてありがとう。