入院生活前半、そして手術
こんにちは。
現在ガンマナイフのために2泊3日でお泊まり中です。時間があるので書いていこうと思います。
今回は、比較的家の近くの病院に転院してからの入院生活、そして手術について…です。
転院先の病院は4人一部屋でした。
初めは少し抵抗がありましたが、元から色んな物事に無頓着な性格からか、カーテンを閉めてしまえば特になんの不便もなく過ごせました。
転院から手術までの1週間。
症状的にはここが本当に辛かった…
もはや記憶が朧げですが、看護師さんには大変お世話になった覚えがあります。
事あるごとにナースコールで呼び出して、氷枕を変えてもらったり痛み止めをもらったり、時には吐きながら背中をさすってもらったり……
ご飯はほぼ食べれず、1/2食で毎食にヨーグルトと果物を出してもらい、ヨーグルトと果物はなるべく食べるように、調子が良ければ頑張って食べてね、と励まされながら過ごしていました。
頭が痛くて携帯やテレビの画面を見るのがキツく、何もできずに寝て、痛みで起きて、の繰り返し……
しかし、この頃はコロナが若干緩和していたのか、1日1回1人まで病室で面会が可能になっていました。
母親がお水とかゼリーを持ってきてくれたり、彼が旅行の時の写真を現像して写真立てに入れて持ってきてくれたり、友達からの手紙と抱き枕人形を持ってきてくれたり、、、
その時だけは私も笑って過ごせていた気がします。本当に励みになりました。
しかしコロナ罹患者が増え、その面会も3日程で出来なくなってしまいました。
そして腫瘍が右脳を圧迫していたため、左手が日に日に動かなくなっていました。
調子が良いとグーパーできるけど、ダメな日は本当に力が入らないし動かない。
ペットボトルは足に挟んで右手で開けていましたし、携帯も両手でうまく持てないので、机の上に置いて打ったり、左手が変な形で硬直してるのを良いことにただの置き場にして使ったりしてました。
もしかしたらこのまま麻痺で動かなくなるのかもしれない。
怖くて、、家族にはそんなに酷くなっていることを言えませんでした。
治療の方は、腫瘍の正確な形をみるために、造影剤を入れての検査。
今でも半年に一回、簡易的な腕の血管から造影剤を入れてのMRは受けていますが、この時のは太腿の付け根の太い血管から管を入れての検査でした。
この時の痛み止めに使ったのが、ソセゴン点滴………
強烈過ぎて名前を覚えてしまいました。
いつもより強めの痛み止めを使ってみるね、とは言われていたものの、これは凄い……
確かに痛みを感じた覚えはないけれども、ぼーっとしてほんとに凄く呼吸が浅くなる。体の機能が低下していく感じ……
簡単に言うと薬をキメてるって感じがします(笑)
この時は初めてだったので、この痛み止めのせいだとは思っていなかったのですが、後に頭痛が本当にしんどい時この点滴をもう一度使ってもらって、
『嗚呼この痛み止めヤバいわあ…』
と気付き、しんどくてもジクロフェナクで凌ぐようにしました。
というソセゴンの話は置いておいて、
造影剤での検査は、先生から
「こっち側に入れるねー次は反対側ー」
と言われながら進んでいくのですが、
「次ちょっと熱く感じるかもー」
と言われた時、本当に頭がカーーーッと熱くなりました。なんとも形容し難い、特殊で強烈な光を直接脳に当てられた、、みたいな感覚でした。
当の私はソセゴンのおかげで意識朦朧でしたので痛みとか辛さはあまりなかった気がします。
その検査の後は、太腿の血管からだったので半日は絶対安静。ベットの上から動かないようにとのことでした。
ソセゴンの影響からか、気持ち悪さと怠さで関係なくベット上安静してましたけども……
という大きめな検査はこのくらいで、
あとは麻酔科の先生との問診だったり、血管?のエコー検査だったり、、と細かい検査をして。
いざ、、、手術の日。
倒れて緊急搬送された日から数えて12日目でした。
緊張しながらも、車椅子にのって手術室のほうへ。
フルネームと生年月日、手術箇所を私の口から伝える、という手順を追って手術室内へ。
ドラマでしか見たことないような、むしろこんなに色んな人が1人の手術に関わるのか……くらいの色んな人がいました。
奥の手術台ではなく、その手前のベッドに寝かされ、周りを5,6人に囲まれ
「点滴部分から麻酔を入れますからゆっくり深呼吸していてくださいねー」
と言われて、、、
もうここから記憶は全くございません。
本当に麻酔ってすごい…一瞬です。
ここからは多分、麻酔が効いたことを確認して、尿道カテーテルを入れ、手術台に移され、頭固定していざ手術!って感じだったんじゃないかと思います。完全に素人想像ですけど。
今回はここまで。
ここからすごい勢いで快方に向かうのですが、その前に術後1日目の壮絶にしんどかったお話も聞いてください…
次回>>手術終了、そして予後