自己紹介をすることが重要なのではなかろうか

 相変わらずイマイチ使い方が飲み込めていないのだが、スキ!だとかフォローだとかなんとなくニュアンスで誰かが評価してくださったことは私にもわかった。感謝申し上げる。
 それはそれとして、次はどんなものを書こうかとホームから一覧をスクロールしていた私が見たのは、自己紹介という題目の羅列であった。
 そういえば、自分のプロフィールだか何やらに自己紹介の記事を固定にしておくことでウンタラカンタラと何処かで見かけたことを思い出した。
 好きに文字を書いてそれを読んだ誰かが評価してくれるただそれだけで良い、などと強がりを続けるだけで満足できる自己顕示欲ならば、とっくの昔に満たされている。かと言って、私は何歳で何々が好きで何々が趣味でなどと書くのは私の主義に反する。勿論そういう記事を書いている人たちを批判しているわけではない。ただなんとなく私はそれをしたくない。
 かといって沢山人の目に触れる機会をみすみす意地で逃すというのも勿体無いような気がして、やはり私はこうして自己紹介をしようと思い立ったのである。私は挫折と下方修正と妥協をベースに生きているのだ。

 私はだいたい1,990年代に生を受けた。自然分娩ではなく帝王切開である。
 わがままで聞かん坊な子供になってあちこちに息子と共に謝りに行きたいという、なんだか少し歪んだ母の願いを込めて名付けられた私は、その願いとは相反して物静かで礼儀正しい子供であったという。
 人の家にお邪魔すれば母に、靴をきちんと揃えなさいと指摘をするような幼児であったらしい。我ながらなんとも可愛げがない。そうかと思えば幼児らしくアンパンマンに夢中になり、何故かアンコラーを大変気に入った私は飛行機の中で、あんこ食べたいあんこ大好きと大声で歌っていたらしい。これはなかなか子供らしくて可愛いではないか。他の乗客への迷惑を除いて問題点を挙げるならば、どういう間違え方をしてしまったのか"あ"ではなく"う"であったらしい。
 精々二歳か三歳の幼児がとんでもないアブノーマル趣味である。勿論そういった趣味の方を否定するつもりはないが、世間一般に受け入れがたいことは間違いないであろう。

 ちょうどその頃であろうか。私の弟が産まれた。学年では三つ下、私が早生まれなために実際には二つ違いの弟である。
 しかし私は学年で三つ離れているということを都度殊更協調するために、学生じゃなくなってもまだそれを言うのかと呆れられる。しかし私はそれをやめる気はない。お前はいつまで経っても私の三つ下である。
 さらにその三年後、次は妹が産まれる。妹は幼少期からあまり喋らない子だった。不満があれば表情で訴えるし楽しい時にはニコニコと笑っている。肯定と否定は頷くか首を振るかであった。
 保育園へ迎えに何度か歩いて行ったことがあるのだが、手を繋いで帰ってきたのだと思う。なんとなく一緒に歩いた記憶はあるが詳しくは覚えていない。祖母がこのエピソードを大層気に入っているので、妹の話になると必ず持ち出してくる。正直そこまで大したこともしてないのだが、自分にも"良いお兄ちゃん"であった事があるのは悪い気がしないので私もその都度笑って聞いている。
 そんな可愛い弟と妹と、父と母の五人家族であった。
 父もあまり口数の多い人ではない、と当時は思っていた。それでも子供である私達のことは大層可愛がってくれていた記憶がある。幼少期と今の父の印象は全く違うのだが、どちらも私の大事な父である。
 母はなんだか変わっている人だと思っていた。具体的に何かエピソードがある訳ではないのだが、子供ながらに漠然とそう感じていた。母は今もあまり印象が変わらないのだが、やはり大事な私の母である。
 そんな幸せな五人家族だったのだが、色々あって両親が離婚することになる。私が小学三年生か四年生のことだったと思う。
 
 ここから私の人生は狂い出したのだが、あまりにも良い思い出が無いという訳でもない。しかし間違いなく私が最低最悪の人間に堕ちたのが父が再婚してからのことであり、再婚相手の女は私の同級生の母である。その縁を繋いでしまったのは他ならぬ私であるのだが、父の名誉の為に明記しておくと不倫や浮気では無い。離婚した後に親密になって再婚することになっただけである。あの女がシングルマザーだったのも要因だろう。
 要するに仲の良かった同級生一家と結びついたのだが、あまりに人数が多かった。
 再婚など所詮他人である。上手く馴染めない者は弾かれてしまう。十分に愛情を受ける事ができない。それが人格形成にどれだけの影響を与えるのかは想像に難しく無い。
 あまりにも楽しい話では無いので詳細は伏せるが、私がなぜカインと名乗っているのかを察していただけると話が早い。
 尤も、嫉妬のあまり弟を殺したわけではないので厳密にはカインではないのだが。
 それから数年、正確に何年程だったのか考えたくないのでここまでとするが、私が高校三年生の頃に再び離婚となった。その後高校を卒業して数ヶ月程は交流もあったのだが、地元を捨てて祖父母の家に逃げてきた際にその縁は全て捨ててきたため、彼等が今どこで何をしているのか私は知らない。知りたいとも思っていないので構わない。
 
 こんな話がしたいのではない。不幸自慢は死ぬほどあるがそれはnoteに書く事ではないと思う。しかしどうにも話し始めると止まらなくなってしまう。尤もこんなの氷山の一角どころかほんの一欠片程度である。ウィスキーに入れるにしても物足りないサイズの氷だ。
 とにかくそんな暗黒期を越えて(乗り越えてはいない)それから祖父母の家に厄介になり、数年後からは弟もこちらにやってきて、祖父母と私と弟の四人で生活することとなった。この頃が一番楽しかったかもしれない。
 私は当時コンビニの夜勤で働いており、休みは毎週火曜日だけであった。休日になると私は弟を連れてカラオケに行き、ゲオでDVDをレンタルし、パン屋のパンだったりピザだったり色々買い込み夜遅くまで弟と楽しんだ。中古で買ってきた懐かしいゲームに興じることも多々あった。本当に楽しい日々であった。
 
 ここまで書いてきて思うのは、普通に自己紹介していた方がはるかにマシだったということだ。
 いっそ下書きに残しておくだけにして、後悔するのをやめようかとも思うのだが、それはそれでなんだか負けた気がするのでそうもいかない。度々思うのだが、私は何と戦っているのだろうか。きっとこれが自分自身と戦っているということではなかろうか、などと書いたが適当である。
 
 話が逸れたがそれから何やらバタバタあって引っ越して隣町で彼女と暮らしていた事もあったが、今は自宅と祖父母の家を行ったり来たりして生活している。好きな時に好きな方で過ごしているのでそれ程大変な生活でもない。そもそも近いのだ、車で五分である。信号さえ引っ掛からなければ二分で着く距離である。ちなみに今日は祖父母の家で布団に包まりながらこれを書いている。
 冬本番になればこの町は外気温がマイナス15度前後まで落ちる。その頃には私の部屋は白い息が出るようになる。手袋をしながらnoteを書く日々も遠くないだろう。早く春にならないだろうか。寒いのは嫌いである。

 さて、いい加減自己紹介らしい自己紹介をしてさっさと締めようと思う。
 冬生まれで寒さに弱く、甘いものと弟と妹をこよなく愛する男、それが私だ。

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