子どもの頃の思い出 その1


小学生から高校生まで住んでいた集合住宅のこと。
トイレに、丸くて小さい陶器の洗面台があって水道が付いていて手を洗えるようになっていた。
実際は、ドアを出たところの洗面所で洗っていたのだけど、一応、トイレの個室内にもあった。
その陶器の丸い白い形は、まんまるいボールの下側六割くらいがある、というような丸さで、
座っていると目線を左側に向けると子どもの背の高さだとちょうどその丸さの外側をながめるような位置になり、私はいったい何千回、何万回、そのボウルの外側にブルーブラックで書かれた文字を見つめたことだろう。
それは、アルファベットで、筆記体とまではいかないけれど、ブロック体ではなく、
おしゃれだけどおしゃれすぎず、つい見てしまうものだった。
「Toyotoki」と書かれていたそれを、私は、英語を習い始めた小学三年生より後のいつかに、「とよとき」と読めるようになり、ずっと「とよとき」だと思っていた。
特に話題にすることでもないので長い間誰にも言わなかったけれど、
ある時、父に、「とよときって何なんだろう」と言ったのだろう、
父は、あれは東洋陶器なのだと言った。のちに、TOTOになる。

私の、あの長年ながめていた「Toyotoki」も「とよとき」も、
TOTOになった時点で、
あるいは、その自宅から大学の下宿へ引っ越した時点で、
あるいは、背が伸びた時点で、
あるいは、もっと興味のあるものが増えた時点で、
遠くへ行ってしまった。

あの白い丸い外側にある
ブルーブラックのインクで万年筆で書いた文字が年を経て薄い群青色になってそこにあったような佇まいが、
(いや、最初から幼い私にとっては群青色だったのかもしれない、
ブルーブラックという言葉を知ったのは二十歳頃に物書きになりたいとParkerの軸も群青色の万年筆を買った時に店でカタログを見て知ったのだから。
群青色という言葉を美しいと思い長いこと気に入っていたのは小学生の時だった。
あの頃はもっと自分の感じていることをただ素直に感じていられた)
私の心に残った。
見つめても何の意味もない、何も得られたり生み出されたりしない、あの群青色の文字。
あれがどうしてこんなに印象に残っているのだろうかと思う。
その集合住宅に引っ越した後に感じたひんやりさとか解放感とか他所の家の人がすぐ近くにいるあたたかさとか、なんとなく知った合理性とか、そういうものが今、脳裡に蘇ってくる。

トイレを出てすぐのところに洗面所があり、シンクの上に壁に鏡が取り付けられてあった。
小学一年生の私と幼稚園児の妹には背が届かず顔がのぞきこめない高さだった。
母が、タオルを掛ける細い棒みたいなのが壁に沿って付いているその少し上に、
フックを取り付けて、カニの鏡を掛けてくれた。
なぜ蟹だったのかわからない。たぶん、狭い範囲に掛けられる鏡を店に探しに行った時にたまたまそれが売られていたのだろう。
私は、照明があまり届かない低い位置に取り付けられたその鏡に自分を写して登校前に髪をとかしていた。
朱色の蟹の形を象ったプラスチックの真ん中にまんまるい鏡が付いている。

少し背が伸びた時に、背伸びをしたら大人が使っているあの壁にくっついている鏡に、自分を、顔を写せるのではないかと思った。背伸びでは無理で、ジャンプでは一瞬で、それで私は、洗面所の脇に置いてある洗濯機に左手をつき、右手はタオル掛けの細い金属の棒に乗せて、
足を空中に浮かした。その方法を思いつくくらい大きくなって賢くなったと思った。
ある日、そうやって自分の顔が大人の鏡に写せた。
たぶん、最初は髪の毛だけ、そのうち目が写って、徐々に顔全体が写ったのだろう。
その頃には少しずつ私の体も大きくなり、体重も増えていっていたのだ。

いつものように体重を掛けたら、タオル掛けはボキッと折れて、壁から取れてしまった。

賃貸なのに、大変なことをしてしまった、と母のところに駆け込んだ。

母は接着剤でくっつけると言った。私は、もう、タオル掛けに体重は掛けないようにした。

そのうち、蟹はいなくなった。カニの鏡はどこへ行ったのだろう。私の心の中にはまだあるのに。くっきりとまだ朱色で、ハサミを上に向けて、腹にいろんなものを写しているのに。


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