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半円のトゲを抜く
小学生の頃、近所の美術教室に通っていた。
いま見るとヘンテコなところもたくさんあるけれど、当時はとっても真剣に描いていた。
1つのモチーフが与えられて、自由に描く。そういう日があった。
そのときのモチーフは「半円」
その形を使って、自由になんでも描いてよいというものだった。
しばらく試行錯誤して
ついに半円を使ってテントウムシが描けるぞ!と気が付いた。
半円テントウムシをたくさん描いて、さあ色を塗るぞというとき…
ふと、隣にいた子の絵が目に入ってビックリした。
自分の考えたのとまったく同じテントウムシを描いていたからだ。
その時は「真似してる…」と思った。ムッとした。
今は、偶然だったのか何だったのか、その子へのマイナスな気持ちはない。でも、確かにいまだにこの「テントウムシ事件」で、トゲになって刺さっているものがある。
それは、先生に絵の評価をしてもらったとき、独創性の欄に△がついていることに対して、「どうして△なんですか?」と聞けなかったこと。
あぁ…理不尽だなと思って、黙ってしまったこと。
その子が先に絵を完成させて、評価してもらっているのを知っていた。
きっと先生は、テントウムシのアイデアはその子が先に考えたと思うだろう。
もし私が先に描いたんです!と主張したところで、嫌なことをいう奴だと思われないかな、あの子に恨まれないかな、テントウムシのアイデア自体がまったく独創的じゃないのかもしれない…怖くて聞けない…
そうやって勝手に相手の気持ちを推測してしまった。
きっと先生は、「これはあなたが考えたのか?」と聞いてくれるはずだ。
そうしたら、「そうです!」と答えることができる。
でも…先生は、そんなこと聞かなかった。
勝手に相手に期待して、事のなりゆきをゆだねてしまった。
でも、そもそも本当にそういう理由で△だったのか。
なにか他に理由があったのかもしれない。
今になっては知ることができない。
だから先生のことを責める気持ちは、まったくない。
どうして?が言えなかった自分のことも、責めたって意味がない。
今のわたしは、この時のわたしになんて言ってあげられるだろう?
この時のわたしは、なんて言ってほしかっただろう?
これを考えることが、心に刺さったままのトゲを抜いてくれる気がする。
まずは描いた絵のことを話してもらおう。
その中で、評価について話してくれたら、「悔しかったね…」と気持ちに寄り添おう。(当時のわたしはきっとそう言ってくれる人を求めていたんだと思う)
今でも「先生に理由を聞きにいこうよ」なんて、簡単には言えない。
いっぱいいろんなことを考えちゃったんだね、と言えたらいいほうかも。
でももし、理由を知りたい!と決意したなら、ファイト!と言って送り出し
泣いて帰って来ても、すっきりした顔で帰って来ても
「おかえり~よく頑張った~」ってギューッと抱きしめてあげたい。