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水瀬神奈のコメントサブスク
汚サレナイデ済ムモノヲ/水瀬神奈 読書感想文:岩永桂
因幡国(いなばのくに)に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、米(よね)の類を食はざりれば、「かゝる異様ことやうの者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。
徒然草40段「栗しか食わない娘」
この物語の入道の導入は、徒然草の引用から始まります。ざっくり訳せば偏食家の女の子が居たという意味だと思いますが、とても重要な可笑しみだと思います。
小早川瑠衣 高校三年生。幼馴染の男子 良哉と何やら意見交換。
良哉は瑠衣に惚れているし、瑠衣は構ってくれるから、良哉を邪険に扱ってしまう。
冒頭に敢えて徒然草を引っ張って来たのは、瑠衣の味覚と知覚に
問題提起に値するひと悶着があるからです。
隈なく探しましたが、良哉には確たる名字がないようで、それでも母マリアと父ステファンの二人の息子であるなら、カッコイイ横文字が並ぶのでしょう(類推するに良哉の名字は藤ヶ崎)。
瑠衣の味覚にコンタクトするのは、良哉の母マリアです。手作りの克服料理のラインナップは本編をご参考になさって下さい。
苦手な食材があったとしても、真心を込めて準備した料理はきっと味覚に拒絶されることなく、喉を通って行くことでしょう。
瑠衣は「栗しか食わない娘」ですが、最後に重大発表を掲げて、この話を終焉させようとします。
それは爽やかな若者らしい決断で、物語の流れに別の風を呼び込もうとします。
瑠衣は「栗以外を食う女の子」になるのでしょうか?
または「栗以外を調理する者」に変貌をとげるのでしょうか?
若者の自由な思考で、前へ前へ進んで行く。
そんな姿が眩しくて、羨ましかったです。
或る者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。
輿こし・車は持たぬ身の、導師に請しやうぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、
桃尻にて落ちなんは、心憂うかるべしと思ひけり。
次に、仏事の後のち、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。
二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、
説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。 徒然草 第181段
微妙に論点がずれてすみません。
先行投資しても一挙両得にはなれない、という逸話。
水瀬神奈先生の代表作品『汚サレナイデ済ムモノヲ』の読書感想文です。
最後の徒然草181段はアドリブで入れてみたけど要らないかも。
感想文を書かせて貰った本文は
noteの検索で「水瀬神奈 汚サレナイデ済ムモノヲ」入力で
確実に出ます。後半有料です。
何故、アイスクリームなのかも結構重要です。
内容の全体構成を聞いた時にキャラクター設定の一部に思えましたが
ストーリーそのものを包括する大事な要素でした。
是非、有料記事を購入して全体を味わってみて下さい。