見出し画像

食事処れとると:肆

 それから私と蔵之助さんは、私の給料を切り崩して、
スーパーマーケットをハシゴして回った。
勿論、買占めはしない。
バランスよくレトルト食品を買い揃えて、ゼストスパークを一路
はるみ苑に走らせる。
 710号室の時空の引き戸、いよいよ、通過。
ドキドキ! ドキドキ!
胸が高鳴ったが、
意外なほどすんなりと別の地面を足の裏が捉える。
平成は夕方、こっちは朝方、といった感じか?

「米はすうぱあまあけっとで買えるみたいだけど、
比較的手に入り易い黒米と相性が良くないと、
採算が合わねぇからな。
最初はれとるとの旨さを体験してもらうために、
同僚集めて食事会開いてみるよ」
 私はまだ自分の立ち位置の覚束なさに不安と
若干の苛立ちを感じていた。
確かに面白いアイデアだとは思う。
だけど、私は介護福祉士。
微力ながらも
はるみ苑の一端を支えている自負は持っている。
休みの日だけって条件ならやってみてもいいけど……。

十一

「棟梁、どうでしたか? 食いたいと思えば、
明日も、明後日も、日替わり品で腹を満たすことが出来るんですよ」
「ううむ、そしたら何かい?
オメェさんは、大工をやめて食い物屋を始める気かい?」
「この料理はお湯さえ沸けば、すぐに出来ますから、
仕込みの時間は、宮大工の時間を延ばして肩代わりさせてください」
「まぁ、好きにやってみるこった。明日も期待してるぞ」

十二

「なぁ、優衣さん、なんでおいらが数ある発達品から
れとるとを選んだか分かるかい?」
「うーん、人間にとって、食べることは大切なことだから?」
「まぁ、おおむねその通りだな。
おいら、はるみ苑の住居人を見て、
直感的に分かったことがあるんだ。
時空の引き戸につながるこの世界には、長く生きる源がある。
それは基本も基本、毎日こと欠かさず、食うことなんだ、って。
商売する気はさらさらねぇよ。
買占めなんざとんでもねぇ。でもよ、おいらたちが払える銭で
豊かな食を分けて欲しいんだ。
どうか、この通り!」
 深々と頭を下げる蔵之助、慌てる優衣。
「あっ、頭を上げて下さいっ。
蔵之助さんの考え、素敵です、感動しちゃった。
思惑通りにことは運ばないかも知れないけど
一人でも多くの人々の栄養が潤う様に
めし処 レトルトを繁盛させましょうね!」

酒咲優衣、家持蔵之助の挑戦はいよいよ幕を開ける。
普通に考えて、失敗する方が想像し辛いが
赤子の手をひねるような仕事でもなさそうだ。
蔵之助が危惧していた、時空の引き戸を自由に使えるのは
一体いつまでだろうか?
過去と未来が交錯する複雑な螺旋が二人にとって
どう作用するかは、また別の話。(了)

いいなと思ったら応援しよう!