アメリカでアジア人女性でいること
※以下は筆者個人の意見であり、特定の団体・組織の意見を代表するものではありません。また、特定の人種等に対する差別・偏見を助長する意図も全くありません。一個人の体験談・意見として受け止めて頂けると幸いです。
アメリカにアジア人差別はあるか?
私の体験上、残念ながらアメリカの一部の人にはアジア人に対する差別意識があると言わざるを得ない。私はアメリカで一人暮らしをしているが、外国人の・アジア人の・女性が一人でいると時々不当と思われる扱いを受けることがある。
例えばスーパーのレジで、ローカルにはにこやかに対応しているのに、私の番になると一言もキャッシャーが言葉を発さなかったり、レストランでも、アメリカ人旅行者にはウエイターがにこやかに対応しているのに、私と日本人の友人(女性)にはそっけない対応だったりする。ひどい例になると、観光地を一人で歩いていた時通りすがりにStupid Bitch(バカ女)と吐き捨てるように言われたこともあった。ただ道を歩いていただけなのに…。
最後のは明らかに差別だが、人が自分に対して他人に対するものとは異なる対応を取った時、それが差別なのか、単に虫の居所が悪かったのか、アジア人差別なのか、英語が達者でない外国人への配慮なのか、判断することはとても難しい。個人の特性なのかもしれないし、差別なのかもしれない。たまたま私の順番が来た時にお腹が痛くなっただけなのかもしれない。
私がアメリカに来て一つ良かったと思えるのが、こうした“差別をされる”経験をできたことだ。もともと留学に行きたいと思ったきっかけの一つが、仕事で知り合った知人が「海外では自分がマイノリティになる、そうするとマイノリティ側の気持ちがわかる」と言っていたことで、まさしくアメリカで感じたこうしたモヤモヤする体験は、日本では経験できないことだっただろう。
自分の肌の色、目の色、髪の色が、私の人格や能力と全く関係なしに、社会の特定の人に理由もなく強い嫌悪感や憎悪を抱かせるーこれはカルチャーショックだった。日本ではありがたいことに似たような体験をしたことは今まで無かった。
勿論、日本に全く差別がないわけではなく、私が日本で不当な扱いを受けたことがないと感じるのは、たまたま幸運だったのと、家庭環境や周囲に恵まれていたことに依るものだろう。私は日本では紛れもなくMajorityで、そのことに無意識だった。
翻ってアメリカで、自分の肌の色といった生まれ持った性質によって、他人から“下に見られる”こと、“こいつには侮蔑の言葉を投げかけていい”と瞬時に判断される経験をすると、その度に言葉にできない怒りや悔しさのような感情が芽生え、こうした怒りが公民権運動をはじめとする社会変革の原動力になったのだろうなと想像した。
私はただ「アメリカで差別に会った!差別はいけない!無くすべきだ!」と言いたい訳では無い。こうした経験にも遭遇し得ることを理解した上でアメリカに来ており、またこうした対応は私個人の人格への攻撃ではないため、もはやあまり落ち込むこともない。逆に、不快な経験をすると「なぜ今この人はこういう対応を取ったのだろう?」と冷静に分析するようになった。
差別意識はどこから来るのか?
あくまで個人の経験でありN=1のエピソードに過ぎないが、私に対し威圧的な態度をとる人は、あえて傾向を分析すれば年配の白人女性と若年の黒人男性が多かった。年配の白人女性のうち、モンスタークレーマー的な対応を取る人はアメリカ国内でもKarenと呼ばれ要注意人物扱いされているので、世代的な頭の固さもあるのかもしれない。
他方、若年の黒人男性については、差別が再生産されている感が否めない。あるYou Tuberの方が、アメリカは前からいる移民が後から来た移民を徹底的に差別してきた国だ、と述べているのを聞いて、合点がいく思いがしたことがあった。
アイルランド系移民、イタリア系移民が元からいたピルグリムファーザーの子孫たちから差別され、差別されてきた白人たちが今度は黒人を徹底的に差別する。Covidでアジア人ヘイトが増長し、今度は黒人がアジア人を差別する。私のような外国人のアジア人女性(しかも男性の同伴はなく、一人)は格好のターゲットになり得よう。
社会的に弱い立場の人が、更に弱い立場の人を差別する、私はこれがアメリカにおける基本的な差別の構造であり、アメリカに限らず人間社会の本質の一つでもあると感じている。
また同時に、アメリカの歴史は、こうした数珠つなぎの差別を変えようとしてきた社会変革の歴史でもある。元からいたコミュニティとは異なるコミュニティ・いわば異分子が社会に流入し、差別をはじめとする摩擦が起きる、そしてその摩擦を社会運動で変えていくーアメリカ国内の歴史はこうしたTradition of Activismの歴史でもあり、弱い人間を下に見る人間の本質は急には変わらずとも、社会は少しずつ変革されている。こうしたアメリカの社会変革の歴史に私は強烈に惹かれるので、個人的に不快な目にあっても、アメリカを嫌いにはならないでいられる。
日本の国際化
翻って日本はどうか。日本はまだ、日本人と異なる“異分子”が社会に流入してくることに耐性が無いと感じる。
グローバル化の流れによって元からいたコミュニティとは異なるコミュニティが社会に流入することは、元からいたコミュニティには苦しいことだ。元のコミュニティでは暗黙の了解だったルールが新しい人たちには通用しなくなる、文化も慣習も違う、言葉にして何度も伝えなければ伝わらない、未知の犯罪も増える、こうした摩擦は社会的コストを生む。当然こうしたコストを元からいたコミュニティは嫌う。埼玉におけるクルド人への排斥は、こうした摩擦からくるものではないか。(私は川口市在住ではないので、地元の具体的な困り感等は共有できておらず、地元の方等から様々な意見があるだろう。)
日本人は日本社会でMajorityであり、「外国人は日本から出ていけ」とあまり深く考えずとも発言することができる。私も今までは無意識にそう思っていた。日本が嫌なら出ていって何処となりと行けばよい。だが、これからもそれで良いのだろうか。それはMajorityの驕りではないのか。アメリカで私が感じた不当な思いと同じ思いを日本で感じている人がいるのではないか。
マクロの視点で見ると、日本にとって人口減少は避けがたい宿命であり、何もしなければ日本社会が縮小していくことは明らかだ。
日本がこのまま日本人だけのムラとして滅んでいくのを見守るのか、苦しくとも新しいコミュニティを受け入れて日本という国家・歴史・文化を新しい形で存続させていくことを重視するのか。
これは感情論にも発展しがちな究極の二択だが、私は後者が今の日本の現役世代としての正しい選択だと思う。
新しさの受容は苦しい。現にアメリカでも奴隷解放宣言から公民権運動を経て今もBlack Lives Matter運動が行われている。女性活躍にしても、男女雇用機会均等法から何十年たってもMeToo運動は行われているわけで、一朝一夕に社会や人間の本質は変わるものではない。
それでも、アメリカの強さは、新しさを受容してコストを払って変革を選択してきたことにあると思うし、日本もその選択をしなければならない時なのだと思う。
アメリカを尊敬する一つのポイントとして、新たな権利を得る・今の社会を変革するためには、コストを支払う必要があるということが広く認知されていることだ。
日本という祖国を愛する一国民として、私は日本が小さなムラとなって静かに滅んで行く末を見たくない。日本の伝統的な価値観は変容しようとも、そもそも社会は時代とともに変わっていくものだし、伝統的な価値観に殉死するより、いつの時代でも強いJapanであってほしい、そのために社会は異なる価値観をコストを支払って受けて入れていく必要があるし、自分の職業人生の幾ばくかでも役立てたいと思う。
また、別の議論になるが、強いJapanでなくなること、国力が減衰することは、東アジアでは特に安全保障上のリスクを高める。マクロ視点でもミクロ視点でも、私は日本の将来は真の国際化を達成できるかに掛かっていると考える。
とは言え、国籍による異なる扱いをどこまで認めるべきか(日本の場合、人種というより日本人か非日本人かが最も重要なバウンダリーだろう)、日本に生まれ日本人として育った人と、そうでない人をどこまで同じように扱うべきか、これは非常に難しい論点であり、特に社会保障の分野では一概に何が正解かは語れない。
ブレイディみかこ氏の本を読んだ時、日本人は自らをAffordできない人に対し非常に厳しいと書かれていて、なるほどなと思ったのだが、こうした日本社会の“貢献せざる者、福祉や権利を得るべからず”という見えざるMoral CodeやTaxpayerとしての負担感・平等感を考えると、私自身も、例えば外国人に一律に生活保護を認めるべきだと安易に言うことはできない。財政の健全性やただ乗りを防ぐという観点も重要だ。
ただ、自分の経験を通じて、国籍という生まれながらの、(不可能ではないが)自らの努力では変えづらいラベルに基づく異なる対応は真に正当なものなのか、本当にReasonableなのか、今までよりも一呼吸おいて慎重に考えるようになった。自戒でもある。
東アジアに対するアメリカの認識
アジア系の友人と話していてよく話題になるのが、アメリカにおけるアジア人ヘイトはCovidに端を発する中国に対する嫌悪感から来ているものではないか、という点だ。日本人がフランス人とドイツ人を見た目で即座に判断できないように、アメリカ人も東洋人の国籍を即座には判断できない。私もよく中国人女性と間違われて、侮蔑的な表現として猫の鳴きまねを通りすがりにされることが何度かあった。
アメリカの中国に対する脅威感は、Covidが終わってもまだ尚終わらず、ますます警戒感は強まっていると日々感じる。同時に米中関係は米露関係ともまた趣を異にしていると感じる。
米中露はいずれもWW IIの戦勝国であり同盟国であったという点は同じだが、アメリカの中国に対する警戒は、どんな手段を取るのかわからないという底知れない恐怖が多少なりとも影響している感じがする。もしかしたら、当時の米露のヒエラルキーのトップがいずれも白人であったのに対し、アジア人であるという人種の違いが中国に対する“予測困難さ”を掻き立てているのかもしれない。
アメリカに来て思うのは、アジアはアメリカにとって別世界の出来事であるということだ。歴史的にも、人種的にも、アメリカと(ロシアを含む)ヨーロッパの間には、Atlanticという地理的・歴史的な連帯感が強くある。ウクライナ侵略に対し米欧が即座に反応したのも、その近しさ、対岸の火事ではない感覚からくるのではないか(そもそも大陸国家であるアメリカは祖国防衛という切迫した感覚が薄いが)。
歴史上の接点が帝国主義時代到来までほぼ全くなかったアジア、人種の異なるアジア、西欧圏とは全く異なる文化圏を持つアジアに対し、アメリカの感覚はどこか鈍いと感じる。アメリカ人にとって、アジアはあくまで“どこか遠くの知らない”アジアである。
仮に台湾が中国に侵略された場合、アメリカはウクライナに対してと同じように台湾に対して振る舞うだろうか?有事の際に日米条約は“本当に”機能するのだろうか?政治的にも、国民感情的にも、日本がアメリカに対し感じているほどの近しさをアメリカは日本に対し、アジアに対し、感じてはいないのではないか。
また、アメリカのアジアに対する“どこか遠い”感覚には、人種の違いも多分に影響していると感じる。太平洋/第二次世界大戦中、日系アメリカ人だけが財産を没収されLAの強制収容所に収容された。ドイツ系、イタリア系アメリカ人に対してはそんなことは無かったのに。日独伊どの国が最も脅威であったかで言えば、ナチスドイツであったことは明白であろう。この対応の差について、日本人が黄色人種であることが無関係であると言えようか。この太平洋戦争時の感覚は、アジア人ヘイトに姿を変えてアメリカ社会に残っており、アジアをアメリカにとって“どこか知らない場所”にさせている感がある。
WW II Museumと太平洋戦争に関する雑談
余談だが、ニューオーリンズにあるWW II Museumを訪問し、日系アメリカ人の強制収容所に関する展示を見ていた際、隣に立っていた白人の年配のご婦人がハッキリと“Yellow Monkey”と言っていたのを聞いて衝撃を覚えた。そのご婦人が今も日本人をYellow Monkeyだと思っているのか、ご婦人の知人の話で彼女自身の信条ではないのか、文脈まで聞き取れなかったので詳細は分からないが(どちらかと言えば後者のようだった)、まさかこの言葉を2024年に聞くとは、となかなかの驚きだった。
ちなみにWW II Museumは、日本人として訪問するのに多大な緊張感を要する場所だが、展示内容はよくできており、とても良い内容だった。当時の日本の軍部と政府の乖離を理解した解説になっていたり、また昭和天皇について、天皇が開戦を決定したという説明ではなく、軍部の暴走に対しPersonalにObjectしなかったという説明がされていたりして、私はそれを理性的で正確な記述だと感じた(歴史はあくまで趣味の範疇なので、正確な認識が欠けているかもしれないが)。
日本では戦争展示というと東京大空襲や原爆など本土の被害に焦点が当たりがちだが、このMuseumでは太平洋全域に日本が広げた戦線をアメリカがどう狭めていったのか、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦い、硫黄島、沖縄と時系列に沿った説明になっていて、そこも新しい視点だった。ジャングルや洞窟での戦いの様子も再現されていて、我々の先祖はこんなに苦しい場所で亡くなったのか、と思うと悲しみが胸に広がった。
また、私のイメージでは、太平洋戦争は帝国軍部が日本の国力や兵站の補給を考えず無節操に広げた戦線を、アメリカが国力を見せつけながらパワーゲームで押し戻していく感じで、アメリカにとってはイージーゲームで圧倒的な物量で日本を叩いてきたものと思っていたが、アメリカにとっても、太平洋全域に広がった戦線を攻略するのは前例がなく難しい戦略が求められ、物資の補給にしてもアメリカ本国からヒマラヤ山脈を越えて空輸するなど、決してイージーゲームではなかったのだと理解できた。
太平洋戦争の展示全編にわたり、何をしたら日本はSurrenderするのか、どこまでアメリカは犠牲を払えば日本をSurrenderまで持っていけるのか、というドイツ降伏後なおも降伏しなかった日本への不可解さ、これ以上苦しい戦いはお互いしたくないという苦しさが感じられ、これが元々ナチスドイツへの対抗策として進められてきた原爆を日本に使用する判断につながっていったのだろうと感じた。パールハーバーに関する展示では緊張で息が吸えなかったが(VTRで“Japs Declare War‼”と出てきたときは緊張で卒倒しそうだった)、全体を通じてアメリカからの視点を学べる良い機会だった。
[注]9/15/2024 更新(見やすさの観点から目次、見出し、改行等追加。内容に対する追記・変更は無し。)
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