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何者かになろうとするから疲れる
来てくださってありがとうございます。
この歳だからこの状態になっていないといけない、と何となくそんな
思いがある。
そしてなっていない自分に憤りを感じ、焦り、何か手を付けようとして
疲れてしまう。
そこには人と比べるという軸が自分の中に培われており、その軸を
取るにはなかなか時間がかかるし、取れない可能性もある。
自分が心地よい事って何だろう?
・家族とごはんを食べている時
・家族と出かけている時
・夜ご飯食べてまったりしている時
・散歩している時
何者にならなくてもそれはすでにそこにある。
しかしない物を求めてしまう。
昔はなくて今はあるのに、当たり前になってしまい、まだあれがないじゃないかと思ってしまう。
もっと味わい、噛みしめたい。
数年もたてば、子供たちも大きくなり、私との会話も減ってくるかもしれない。その時になったらきっと今を思い出し、あの頃はよかったなんて
言うんだろう。
そして、今の思考ならば、ない物をこれからも探し続けるのだろう。
以前、手帳に今日あったよかったこと、嬉しかったことを書くという事をしていた。続かなかった・・
その日の手帳にきっちり書くという事がきっと合わなかった原因。
毎日書かないといけないという謎の強迫観念もあったからか、私の場合は
1カ月も持たなかった。
それならば、ノートにざっくりと書こう。
ノートは娘が小学校の時使わなかったもの。
そして、毎日じゃなくても思い立ったら書く。
何者なのか?
私と言う存在は今現在ここに存在しているという事実。
母であり、妻であり、嫁であり、娘であり、保育士であり、
背が小さい40代女性である。