いーある囲碁普及

はいはいちゃいなー
ちょちょゆめごこち
いーあるふぁんくらぶ

今更ながら昨日知って今日すでにドハマリしている曲だ。
『いーあるふぁんくらぶ』。2012年の曲らしい。ボカロでは珍しく中国語を取り入れた曲だ。
もちろん歌いやすいフレーズやクセになるリズムなど、ハマった理由はいくつかあるのだが、主旨から大きく逸れそうなので割愛する。

この曲を作ったのはみきとPというボカロPだ。もちろん中国人でもなければ、中国語を広めたいと思っていたわけでもないだろう。だが結果として日本と中国の架け橋のようなものが完成されている。

この曲を聴いて中国語に触れてみたいと思った人も少なくないだろう。実際中国のボカロに中国語で歌わせている動画もあるくらいだし、中国でも人気の曲なようだ。間違いなく中国語の普及にいくらか貢献している。そして、

こんな曲が囲碁界にもあれば良いのに、とふと思ったので、1年ぶりにこのnoteをまた再開させているのである。まさか1年も更新しないと思っていなかったが、今後は更新していこうと思う。(と1年前も言っていた)


正直「囲碁が好きだからって理由で作ったつもりだっだんだけど思いの外流行っちゃったから結果的に囲碁広まったねー」という流れっていう設定にしといてでもなんでもいい。あまりにも変化球すぎて成功する確率は低いかもだけど、もはや囲碁界は、広まる方法を色々な角度から考えてみるべき時期にきていると思う。

そこまで言うならお前がやってみろという声がありそうだが、実際私がやりたいくらいだ。だが、作曲も作詞も私は才能がないので、自力でとりあえずやってみるという行動ができないのが残念。作曲、作詞ともに手をつけたことはあるが、駄作すぎて人に発表できるレベルではなかった。残念だがここはどなたか才能がある方に委ねようと思う。

ここでボカロの話題から囲碁界の話題に少し切り替える。
一力遼九段が世界一になってから20日近く経過したが、もう既にその勢いは止まりつつあると思う。というより、世界一がTVやインターネットで報道されたのは最初の数日だけであり、囲碁界に変化があったとは思えない。まだ20日しか経ってないのでここから何か変化がある可能性は無くはないが、「無くはない」としか言いようがないくらいの可能性だろう。

当然ながら一力九段や日本棋院、日本囲碁界を批判する意図は一切ない。世界一に輝いたのは素晴らしいことであるのは揺るがないし、今回の世界一を受けて日本囲碁界は普及に繋げようと努めていたことは重々承知している。また、他のプロ棋士や、プロ棋士を目指す子供達にとっても、世界を目指して努力するモチベーションに繋がったことは間違いない。

私はただ「囲碁が広まったか広まっていないか」の軸のみで書いている。その軸のみでみると、「世界一になったことによる囲碁普及への効果は薄いものだった」と言わざるを得ないだろう。数字で表されているわけではなく、個人的な主観でしかないので断言できるものではないのだが、あまり変化があったとは思えなかった。そして、正直この結果は予想通りであった。


2016のリオ五輪、カヌーや競歩で日本人が数十年ぶりに銅メダルを獲得した時にカヌーや競歩が少しでも流行ったかと問いたい。というより今私がこの話題を出すまで、カヌーや競歩で日本人がリオ五輪でメダルを獲得していたことを忘れていた方も多いのではないかと思っている。
当時も五輪の特集で紹介された程度で、1ヶ月もすればその勢いは萎んでしまった。今回の世界戦(応氏杯)は、明らかに五輪よりも注目度が低い大会だったのだから、そらそうよとしか言うことがない。

そもそも井山九段がTVアジアで世界一に輝いた時の報道のされ方も、普及に大きく繋がったとは到底言えないレベルのものだった。その時点で、「日本の棋士が世界でもっと活躍するようになれば囲碁普及に繋がる」という主張はあまりにムシが良すぎるとしか思えない。
(余談だが私は「囲碁人口が増えれば、日本の棋士が世界で活躍するようになる」という順序だと考えている側の人間である)

残念だが、正攻法で囲碁を広めていくのに限界があることは既に実証済みであろう。ここ10年がそうだったはずで、結果として上手くいっていない。
何か別の流行しているコンテンツと上手く組み合わせてこじつけでも良いから囲碁の要素を入れていく、など何か別の方法を模索するしかない。

と、ずーっと考えていた中で昨日出会ったのが冒頭でも紹介した、いーあるふぁんくらぶである。中国語は你好しかわからず、全く興味もなかったのに今では中国語版を聞いているくらいである。まぁここまでハマるのは正直私くらいだろうけど、音楽にはそのくらいの力があると思う。

現状私がハマっている間に書いておこうと思っただけであり、作曲を強く勧めているわけでもない。別に音楽以外にもまだまだ選択肢は残っているだろう。とにかく私が言いたいのは、

もし囲碁が広まる方法があるのなら、手段を選ばず実行するべき時期に既にきている。

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