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廻る廻るよ色々とね〜

アメブロ時代に書いた記事で、「自分に良いことをしてくれた人達の幸せは願い、自分を傷つけた人達が不幸になるのは喜ぶ」みたいなストレートな感情を書いた記事をあげたりしたけど、人を呪うと、恨むのは嫌だなーと思うようになりました。恨むとか…そういう思いはできたら手放したい。赦したい。
酷いこと言われても、されても、それに感情的に応えたら相手と同じになる。本当に自分を愛している人、他人を愛せる人は他人に酷いことは言わない。しない。
自分を大切にする事は、自分の感情を譲らないで、時に人を傷つけるものだけど、そういうのは酷い、とは違う。
酷いのは明らかに人を侮辱するっていう、人権を侵害するって事かな。私も言いたいことをその場で言えない癖(幼少期に形成された人に伝える事を諦める癖)で、結局爆発して、人を侮辱する言葉吐いてたんだけど、人に伝える事を諦めたらいけないよね。その人はお母さんじゃないし…受け入れてもらえないと、私の命が危ういって、私の命を握ってるって勘違いをまだ脳がしてんだよね。赤ちゃんの頃は命を母に握られてるもんだからね。赤ちゃんだからってなめんなよ!記憶ちゃんとしてんだぞ!
っていうか、赤ちゃんの方が大人よりすごい脳の吸収率が高いに決まってんだから、親は自分の欲望優先させて赤ちゃんの意志無視しないでほしいぜ。
大人って子どもだからって子供ナメがちだけど、子どもの方が鋭敏に世界を見て、その場の空気をキャッチして生きてるから、私は子どもの純粋無垢なストレート過ぎる意見とか、グサっとくる。そうですよねー…みたいな。子どもの言ってる事だから、と決して子どもを私はナメない。子どもだから悪気無いんだけどね。子ども時代は天真爛漫時代だから…。でも大人になると、ふつーはもう幼児期に甘えたい願望が満たされて育ってる人は、酷い事とか言わなくなってくる。満たされてない人は他人にそれをぶつけてくる。
でも私の場合は…私がストレートに人にモノを言うのって、赤ちゃんて、母親と自分の区別がついてないんだって。だから、外の世界がまだ私は母だと思ってて(愛着関係が成立しなかったので、安心を外にまだ求めてる)他人という境界線がないものだから、ストレートに言う…という感じかな。求めてたんですよ、他人に安心を!で、おかしな事に…なってた。自分と他人の区別ついてなかったって事ですから、ねぇ…失礼な事も言っちゃったりするわけで…。赤ちゃんて、真の自己って無いっちゃあ無いで、育ってくらしいです。母親に自分の意思汲み取ってもらって育つと安心できて育つらしいけど、そうじゃないと恐怖を抱える。

人間の遺伝て、体だけじゃなく、精神的な遺伝…親が消化しきれなかった因縁も引き継いでいくものだなぁ、と感じてます。私は祖母のが大きいのかな…とも感じ…ダイジョブ!あやしい人にはついてかないから!ただ、寺山修司の「百年経ったら帰っておいで、百年経ったらその意味わかる」の意味がようやくわかって良かったなぁ、と思いました。私は孤独に芸術についてきますっ!


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