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はじめまして
藤田えみこ と申します。
この度は、私のプロフィールにご興味をもって頂き誠にありがとうございます。
現在、私は2人の娘の母でもあり、管理栄養士として働きつつ、オンライン料理教室の講師をしています。
このページは、そんな私の自己紹介を綴らせて頂くページになります。
これから知り合うかもしれないあなたに、出来る限り1回で私の事を知っていただくため、このページをご用意させて頂きました。
だいぶ長いお話になってしまうのですが…
おそらく、あなたが今まで見てきたこういうサイトの自己紹介で過去最長のものになるかもしれません。
最初にお伝えしますと、1万文字あります(笑)
あなたのこれまでに色々なことがあって現在の環境があるように、私にも過去の積み重ねがあって現在の環境があります。
なので、1度で結構です。
最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
このページによって、あなたと私の距離が少しでも近くなれば幸いです。
山口県下松市(くだまつし)出身
おそらく県外の方は知らない人の方が多いと思いますが…
瀬戸内海に面している「ものづくりのまち」として、鉄道車両や船舶、鉄鋼や半導体製造など、様々なものづくりが行われている街で、3姉妹の長女として私は育ちました。
よく食べ よくしゃべる子
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祖母が料理好きだったこともあり、家に料理本がたくさんありました。
私は絵本のように料理本を眺めるのが好きな子どもでした。
祖母と一緒に観る料理番組も大好きで、料理が出来上がっていく工程を見るのが大好き。
1つ1つの食材がカタチを変え、お皿に盛りつけられてお料理として出来上がる工程って、結構すごい事だと思いませんか?
そんな子どもですから、当然のように食べる事も大好きだったのは言うまでもありません。
『美味しいは幸せ』
そんな環境で育った私の子どもの頃の夢は「お料理教室の先生」でした。
父の闘病と共に
変わっていく家族の雰囲気
私の父は仕事に実直で仕事を優先するタイプの人でした。
真面目で仕事熱心な父は、仕事上の付き合いでお酒を呑むことも多かったと聞きます。
私が12歳の頃
そんな父に病気が見つかります。
大腸癌でした。
元々関東出身だった父
治療の方針として、東京の国立がんセンターで治療を受けることになり、
そこから私たち家族の雰囲気はガラっと変わっていく事になります。
ご飯はみんなで食べるものだったはずが…
父がいない。母がいない。大人の誰かがいない。
そんな生活が3年ほど続いたのち、
私が15歳の時に父は旅立っていきました。
もちろんの事、すごく悲しかったですし、すごく悔しかったですし
「なんでお父さんが?」という気持ちがとても強かったです。
また、父の病気と向き合った思春期ど真ん中の私は
家族の誰かが病気になることで、家の中の雰囲気(空気)がガラっと変わってしまうこと。
食事はエネルギーが補充ができたり、幸せを感じられるモノでもあるけれど、向き合い方によっては健康を損なったり命を奪うものにもなる。
そんな現実を知ることになります。
また父の闘病を目の当たりにした私は、料理だけではなく、病気を治したり予防したりする栄養の事をもっと深く知りたい。
次第にそう思うようにもなっていったのです。
料理は人をつなぎ
自己肯定感を高める
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高校生時代、私は毎日自分でお弁当を作る女子高生でした。
父が亡くなったショックから母がなかなか立ち直れなかった事もあり、
3姉妹の長女である私は「私がちゃんとしないと!出来ることは自分でやらないと!」という気持ちもありました。
ただ、私にとってのその日常は、当時の友達からしてみると凄い事だったようで褒められた記憶があります。
自分でお弁当を作る事がそこまですごい事なんだ…
家庭の事情でそうせざるを得なかった私は、いまいちピンときていなかったのですが、褒められることに悪い気はしなかったです。
なので、話の流れで友達の分のお弁当も作ったりして、そしてまた褒められる。(毎日じゃないですけどね)
人に料理を振る舞うことが喜んでもらえることである事。
人の役に立つ事なんだと知った高校生活でもありました。
この経験が卒業後の私の進路を決定づけるものになったのでした。
高校卒業後の進路
栄養を専門に学ぶ大学に進学
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高校卒業後の私は、埼玉県にある女子栄養大学に進学し、国家資格である「管理栄養士」の資格を取得するための勉強の日々を過ごします。
4年間みっちりと「栄養について」を学んだ感じです。
・美味しさとは何か?
・なぜ?これが美味しいと感じるのか?
「料理は科学」と言われますが本当にその通りで、
これまでに文化として代々伝わってきた料理の仕組みが論理的に紐解かれていく事を学ぶのは、本当に充実した楽しい時間でした。
父が旅立っていった頃に思い描いた、栄養の勉強をしたい!という想いが叶う時間でもありました。
この4年間で得た事や学んだ事は、私の一生の財産である事は間違いありません。
学びの甲斐もあって、無事に管理栄養士という国家資格を取得した私は大学を卒業し「栄養の専門家」として社会人生活を送る事になるのですが・・・
食の現場は想像以上…
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大学を卒業した私は地元の山口へは帰らず、そのまま関東で就職をします。
就職先は「委託給食会社」
…イメージがしやすい感じに説明すると
病院の食事
社員食堂
養護施設
学校給食
こういう環境で料理を作ったり、献立を考えたりするお仕事です。
出社してすぐにやる仕事といえば…
・ピーマン100個を刻む
・白菜を20kg刻む
・酢の物を300個盛り付ける
管理栄養士の資格が無くても出来る現場仕事をこなしつつ、管理栄養士として献立を作り、メニューを組み立てるお仕事。
私は現場を知る事が絶対に必要だと思い、自ら望んでこの環境に飛び込んだのですが…
業務内容のほとんどが“人が食べるもの”を扱うことで気苦労は絶えませんし、調理の現場は職人肌の人達も多かったので、想像していた以上に大変な職場でした。
しかし、栄養の専門家としてお仕事ができている事や「食」というカテゴリの中に自分の居場所がある事は、充実した日々でした。
就職から3年後に結婚。
それなりに社会の荒波にもまれながら、それでも順調に社会人生活を過ごしていたと思います。
ストレスと壊れていく自分
大変な現場仕事をこなす事にも慣れ始めた頃、管理栄養士として献立の作成やメニューを考案するお仕事を任されるようになってきました。
配給先に合わせて食事の献立を作る。
本格的な「管理栄養士」としてのお仕事です。
“1食〇〇円まで”という限られた予算の中で、カロリーや栄養価を計算して食事のメニューを考えていく訳ですが…
当時はまだまだ若く、経験も少なかったですしね。
ハードな現場仕事をこなしつつ、自分で作る献立に関してはかなり真面目。
マジメ過ぎるぐらいマジメ。
父を早くに亡くした経験を持つ私は、栄養に対しての考え方が偏ってしまっていたのかもしれません。
栄養重視!バランス重視!
料理の見た目?…いや栄養重視!
だってカラダ大事でしょ?
きっとそんな感じだったのでしょうね。
病院を担当した際は、患者さんや高齢者の人達にとって
栄養のあるもの
食べやすいもの
病気に良いもの
そんな括りで献立を作っていました。
管理栄養士としては、間違ってはいなかったと思うのです。
ですが…私の献立は不評でした…
ほとんどが茶色い料理ばかりで、見映えも良くなく食欲をそそらない。
病院や高齢者向けのホームなど、大人を対象とした施設の場合はそんな献立でも皆さん食べてくれたのですが
子どもを対象した際は、あからさまに食事が残るんです。
「美味しくない!」なんてご意見が届くこともありましたし…
陰では「栄養バカ」なんて言われていた事もあったらしいです。
思い描いていた管理栄養士としてのお仕事と、現実のギャップに私のストレスはMAXになっていたのでした。
その結果…
私はどうなったか?というと…
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日々のストレスから、毎日お酒を飲み、菓子パンを食べ、お菓子を食べ…
食べて食べて呑んで呑んで…
結果、86kgまで膨れ上がったのでした。
「管理栄養士」なのに、自分の栄養管理が全く出来なくなってしまっていたのです。
父の闘病を目の当たりにして、栄養の勉強がしたくて、その結果、管理栄養士になったのに。
管理栄養士になったら全然通用しなくて、ていたらくな自分を見て、すごく思い詰めて悩んで…
会社からは「いい加減にしろ!」と怒られる日々。
「説得力って言葉知ってる?」って遠回しに叱責される毎日。
もう辞めたい…辞めようかな?
毎日のストレスから、あんなに好きだった料理まで嫌いになりそうだった。
そう思うまでに追い詰められた私を救ってくれたのは、幼少期の記憶でした。
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食事は楽しい!美味しいは幸せ!
食事は笑顔をつくる事ができる!
何がキッカケだったか?は憶えていませんが…
「食事は楽しく幸せなもの」という記憶が私に蘇ってきたのです。
おばあちゃんと一緒に観ていた料理番組
料理が出来ていく過程にワクワクしたこと
みんなで楽しく食べた晩ごはん
友達はみんな喜んでくれた高校生の頃のお弁当づくり
見た目のこと、味のこと、どうすれば人が喜んでくれるのか?
高校生までの自分は、そういう創意工夫をする子だったことを思い出したのです。
料理は食べてもらわないと何にもならない。
至極当然の事を、極限の状態で思い出す事が出来たのでした。
旦那さんからの金言
キッカケをくれた一言
管理栄養士としての自分のスタイルを確立してきて、少しずつ自信を取り戻す事が出来てきた頃のお話です。
お仕事から帰宅後、気持ちよくビールを飲む私に、旦那さんから衝撃の一言が放たれました。
ねえ…少し痩せない?
俺、まさか自分の奥さんがこんなボリュームになるって予想していなかったから…
!?
ショックで何も言い返せなかった…
なんて事はなく(笑)
ですよね~
とうとう言われちゃいましたよね~という感じ。
結婚してから2年で86kgになっちゃったんですからね。
言い返せないのではなく「すいません。返す言葉がありません。」という感じでしたね。
えみこ“痩せる”宣言!
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さて、痩せるためには…何が必要?
運動?食事制限?お酒をやめる?
私はこのダイエットというテーマにおいても、わかりやすく失敗を繰り返すのでした…
今回、このページでの詳しいお話は割愛させて頂きます。
なぜか?というと…
本当にすごくすごく長くなってしまうから(笑)
なので、ダイジェスト的に経緯をお送りさせて頂くと…
運動を始める
続かない…体力的に仕事がツライ過度に食事を制限する
今度は管理栄養士が栄養不足になってカラダを壊す…これ以上は危険落ち込む…
ダイエットジプシーになる「あ!自分、管理栄養士だった!」って思い出す
誰よりも栄養のことを学んできた日々がある事を自覚する。美味しく、且つ、健康に良い食事を生み出せる事が自分の強みだった!
消費カロリーと摂取カロリーのバランスを整え、ダイエットプログラムを組み立てる。
お仕事や育児に支障をきたさないように、必要なことを必要な分だけ取り組む。
こんな感じです(笑)
私のダイエットは、そこそこ長期スパンで取り組んだことでもあります。
途中で出産や子育てもありましたし
メインは栄養価をコントロールし、食事面で徐々に成果を出していった感じです。
(途中でキレイに忘れてましたけど、管理栄養士なので…)
現在では、MAXの時から30kg以上の減量に成功して、その状態を6年以上キープできています。
お酒も嗜む程度には呑んでいますし、過度な食事制限もしていません。
振り返ればあの時、旦那さんがちゃんと言ってくれていなければ、今の状態はあり得ないとも思うんです。
きっと、言い難いことを勇気を出して言ってくれたんだろうなぁ…
あの一言によって大変な思いもしましたけど、結果的には、私にキッカケをくれた感謝するべき言葉だったと思うようにしています(笑)
山口へ帰郷
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2013年私たち夫婦は新婚生活を過ごした横浜から、
私の地元である山口への移住をする事になります。
キッカケは3.11東日本大震災でした。
震災があった当日、私はいつものようにお仕事をしている最中にあの地震にあいました。
横浜は津波の被害などはありませんでしたが、とにかく揺れがすごかったのと、お家に帰れない…
電車も止まっているし、信号も止まって交通も麻痺している状態。
その日は人の助けを借りつつ、何とか帰宅する事が出来ましたが
本当に大変だったのはその後でした。
食材が届かない!
当時のことを思い出して頂けるとわかると思うのですが、ガソリンを入れるのも大変でしたよね?
私たちのお仕事は数百人規模の食事を管理します。
食材が無ければ、どれだけ栄養管理ができたところで食事が作れないのです。
でも、人はどんな時でも食べないとならない。
限られた材料の中で食事を工面しないとなりませんでした。
ただでさえ震災という大きな出来事にショックを受けている人が多いなかです。
食事は困難の中であっても安心感を感じる事ができる大切な時間になる。
会社のみんなで知恵を絞り、工夫をし、関係各所に協力の要請をし、
どうにかこうにか食事を工面する本当に大変な数日間でした。
もう1つ。
こういう大変な時だからこそ、みんなで食べる食事が本当に癒しの時間になることも再認識した出来事でした。
『食事は笑顔をつくることができる』
そういう事を思えば思うほど、もし山口で同じような震災があったら…
お母さんが1人になってしまう。
食に対する使命感と
家族の絆の大切さ
私があの震災で強く感じたことは、この2つでした。
どんな状況でも食事は絶対に必要なこと
家族の絆は強く、癒しにも勇気にもなる
私たち夫婦は真剣に山口への帰郷を話し合いました。
旦那さんが九州出身だったこともあり、お互いの意見は一致。
私は30歳を目前に、地元の山口県へ帰郷する事になったのでした。
現在まで、大きな震災などに見舞われることはありませんが、育児や出産などもあり、帰って良かったと思う事はたくさんありました。
そういう意味でも、家族の絆には感謝です。
転職と新しいチャレンジ
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某有名企業の外部講師として、地域の学校や集まりで、食や健康に関する事を講演するようなお仕事を始めます。
小さな子ども達から大人まで、幅広い方々に健康と栄養の大切さを伝える。
父の闘病や震災の時に体験したなどをふまえて、栄養の大切さや食事によってカラダが作られていく事を人に伝えていく。
人のエネルギー(栄養)は食事によって得ることが出来る。
食事は健康にとってかなり大切だけど、向き合い方を間違えると病気の原因になることもある。
病気は予防が大切。
食事は病気を予防する大切な要素でもある。食事は笑顔をつくる事ができる。
今までの経験を元に、食や健康についてお伝えできる仕事は私にとても合っていました。
新しい仕事にも慣れていた時・・
いじわるウィルスの襲来!
2020年
私たちの生活は一変しましたよね?
いつでもどこでもマスク!
あれもダメ!これもダメ!
外出もダメ!外食もダメ!
いま思えばあの時間は何だったのだろう?
と多くの人が共感して頂けると思いますが…
学校や地域の集まりで講演する私のお仕事はゼロになりました。
当然収入もほぼゼロ。
このいじわるウィルスは家計に大ダメージを与えましたが、
世界規模の出来事なので抗うことは出来ず…
生活をお給料に依存する事の恐怖が芽生えたのもこの時期です。
個人で何かができるようにならないと!
強制ぐうたら生活の中で…
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とはいえ、特に何もせず。
ひとまずは韓国ドラマにはまり、めっちゃ観ました(笑)
そんなダラダラ“しなくてはならない”日々に限界を感じた頃
「ストアカ」というサイトに出会うのです。
ストアカは「ストリートアカデミー」の略で、オンラインで様々なことが学べるサイトです。
正直なところ…
私はこの「オンラインで学ぶ」というやり方に、最初は良い印象をもっていませんでした。
けっこう斜に構えていたのですが…
たまたま興味本位で受けてみたコミュニケーションの講座がすごく楽しかったんです。
オンライン良いじゃん!?

実際に講座を受けてみると、オンラインの利便性やこのコロナ渦に適していることがすぐに解ったのです。
そんな中、ストアカでお料理教室を発見。
「いやいや流石にオンラインでお料理教室は無理でしょ?」
やっぱり斜に構えた私は試しにその講座を受けてみる事に…
そして単純な私は思うのです。
オンラインでやれるじゃん!お料理教室!
これなら私にもできる!
私の幼少期の夢は「お料理教室の先生」だった。
これまでいろいろあったけど、夢の原点に帰ることが出来るかも?
新しいチャレンジ!
オンライン料理教室の講師になる
ここまでお読み頂いたあなたなら、この後、私がどういう道を辿るのか?もう簡単に想像がつくと思います。
あなたのイメージ通りですよ(笑)
私はここでも“ちゃんと1回遠回り”をするのです。
コロナ渦…ストレスたくさん…
ストレスは健康に良くない…私は管理栄養士…
という訳で、私が主催する講座は
『管理栄養士が教える健康ごはん』でしょ!
こんな流れで講座のテーマを決めて受講生を募集をしてみる。
数名の方が講座を受講してくださいましたが…
正直、何とも言えない評価でした。
健康ごはんを否定する人も少ないので、流石に悪い評判は立ちませんでしたが、講師をした私もいまいち手応えのようなモノも感じられず…
これで良いのかな?と消化不良な感じになっていた事も否めません。
「やっぱりこれじゃダメだ!」
そう確信が持てたのは、同じテーマで再度講座の募集をした時です。
全っ然!人が集まらないんです。
なぜ?…健康は大事でしょ?
私は管理栄養士としてお仕事を始めた初期と同じテーマで頭を抱えてしまうのでした。
栄養の摂取や健康は“大前提”
もう1つ価値をのせる事が必要
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オンラインのお料理教室の場合
「みんなで食べる!」とか
「美味しいは幸せ!」とか
そういうニュアンスの言葉を使う事に抵抗があった事は否めません。
どうしても、お客さんはデバイスの向こう側にいる訳で、WEBカメラ越しに一緒に食べる行為にも違和感を感じてしまいますし…
何より、お客さんが作った料理の味見をしてあげる事が出来ません。
私が作った料理なのであれば、味に対しての責任が取れるのですが、オンラインで私の料理を振る舞うことは出来ませんからね。
そういう環境なので…
「レシピ通りに作れば美味しいはずですよ!」
なんて“美味しいレシピの押し売り”をするような感じになってしまうことだけは避けたかったのです。
なので『管理栄養士が教える健康ごはん』に行きついた次第なのですが…
料理が健康の源である事は、みんなわかっている事。
「健康ごはん」は大前提なんだ!
その上でもう1つ付加価値を上乗せしていかねば!
もう1回、料理についてを
真剣に学ぶ日々
近所の本屋さんへ行き、料理本のタイトルをリサーチする。
料理番組をくまなくチェックして、どういう傾向があるのか?を勉強する。
そうすると…
世間が料理に対してどんな印象をもっているのか?が何となくイメージできるようになってきたのです。
料理は面倒くさい
料理は不安
自分の料理に自信がもてない
料理にそこまで時間をかけられない
実は料理の手際を知りたい
などなど、料理に対してのニーズのようなモノが少しずつ解ってきたのでした。
『美味しく健康に良い料理は“大前提”』でありながら、その上で料理に対する不安や不満を解消できるコンテンツが必要なんだ!
そう考えた私は、様々なレシピを考案すると共に、講座の内容の再構築に取り掛かります。
作り置き
時短レシピ
安全手作りスイーツ
料理を楽しむ秘訣(小話)
失敗した時の対処法
料理は科学
料理はPDCA
手際を良く料理をするコツ
大丈夫!絶対にできるようになる!
講座のテーマや内容を練り、様々な切り口で講座をつくる。
寝ずにレシピを作る。料理と向き合う。
気付けば私の1日は料理と共にありました。
こんなに勉強したのは、大学生の時以来かもしれません。
そうやって講座を続けていくと、徐々に受講者さんが増えてきたのです。
高評価を頂けることも、嬉しいコメントを頂けることも増えてきました。
良かった!私の想いが伝わった!
そう思うのと同時に、もう1つ大切な想いが私の中に芽生える事になります。
大切な時間と大切なお金を使って、私の講座を受けてくれているお客さんがいる。
「この講座を受けて良かった!」
そう感じて頂くために、ちゃんとプロである自覚を持つ。
コロナ渦で仕方なく始めた事じゃない。
私は食のプロなんだ。
これまでこれでお給料をもらって来たんだ!と。
はじめての1位
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ストアカで講座をはじめてから約1年
まだまだコロナの終息が見えない時期ではありましたし、相変わらずトライ&エラーを繰り返す事もあったそんな私に、嬉しい知らせが舞い込んできたのです。
ストアカ
オンラインお料理教室部門
第1位
私の人生において、はじめて1位という称号を頂いた瞬間でした。
真剣に向き合って良かった。
深夜までレシピの研究をした日々が報われた。
何より、私の講座を受けて喜んでくれる人たちがいる。
その現実がたまらなく嬉しかったのです。
人から与えられた社会の立ち位置ではなく、自分で試行錯誤を繰り返しての結果。
いつもいつも遠回りばかりで、小さな小石に躓いてばかりの自分だけれど、続けてきて本当に良かった。
講座を受講してくれる皆さま
ストアカのスタッフの方々
アドバイスや助言を下さった人達
時に苦言を呈してくださったお方
私のやっている事を応援してくれた家族
本当に多くの人達のおかげで、私は現在でもオンラインお料理教室を続けることが出来ています。
最近では、恥ずかしながらテレビや雑誌の取材依頼などもいただけるようにもなってきました。
これまでに関わってくださった皆様には、本当に感謝の気持ちしかありません。
子ども達に働く姿を
見せることができる
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テレビの出演が決まった時は、私がやってきたことが社会的に認められたような気がして、本当に嬉しかった事を鮮明に憶えています。
また、オンラインお料理教室は基本的に自宅のキッチンスペースで行っているのですが、
講座に向けて準備をしているところや、実際に講座をしている姿。
ママが働く姿を子どもたちに見せる事ができるのは、
本当に嬉しいことでもあります。
「お父さんは本当に仕事にマジメな人だったよ」
「お父さんは本当に部下の面倒見が良い人だったよ」
私が父の仕事について色々と聞くことが出来たのは、父の葬儀の時だったんです。
父をそういう風に評価してくれる人達が大勢いた事は嬉しかったのですが…その話を聞けた時に、父はもう居なかった。
私もお父さんが働いているところを見たかった。
そんな想いがどこかにあって、娘たちに私のお仕事を見せてあげられるこの環境は、私にとってとても大切なモノになっています。
食は元気の源
元気な人であふれる社会をつくる
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現在、私の活動はオンラインだけではなく、リアルな場でもお料理教室や健康指導をするようになっています。
オンラインにはオンラインの良さがあり、リアルではやっぱりリアルの良さがあります。
どちらも利便性と特性はあるので、そのシチュエーションでいちばん良いと思えることを取り入れ、これからも続けて行こうと考えています。
食事は楽しい!美味しいは幸せ!
食事は笑顔をつくる事ができる!
食は元気の源です。
私1人のチカラは微力である事も十分に承知の上で
私は「元気な人であふれる社会をつくる」お手伝いをしたい。
そんな想いを抱きながら、今日も少しずつ前に進んでいます。
ここまでお読みいただき
本当にありがとうございました
長かったですよね?(笑)
私が自分で読んでも「長いなぁ…(汗)」って思ってます(笑)
お時間を使わせてしまい、大変申し訳ございませんでした。
合わせて、ここまでお付き合い頂き本当にありがとうございます。
この度、ここまでの長いプロフィールを作成したのには、幾つか理由があります。
肩書きや経歴だけでは伝えられない事もある。
既に私のことを知っている人にも、ちゃんと伝えたい事がある。
プロフィールで良い格好をしたくなかった。
などなどです。
プロフィールのページって、年表のようになっていて、これまでの成功歴が書かれているものが多いと思います。
そういうものだと思い、私もちゃんと自分を見つめ直してみたところ…
成功したことよりも、
全然大変だった事や失敗した事の方が多かった
「管理栄養士」の資格を取るところまでは、個人的にみても成功体験が多かったと思います。
ですが…
お読み頂いた通り、それ以後の私は歩んでは転び
なんとか起き上がってまた歩み…を繰り返してきたこれまででした。
そんな私ですから、自分の上手く行った事だけを年表にまとめて、私すごいでしょ?アピールをする事に抵抗感を覚えてしまったのです。
なので、ありのままの自分をちゃんと綴ろう。
着飾るのはやめよう。
そう思って作り始めたら…こんなに長くなってしまいました。
本来ならば、既に講座を受講してくれている人もいるので、
もっと格好良い「藤田えみこ」をアピールした方が良いのかもしれません。
でも、オンラインでのお付き合いしか出来ない人もいる現在の環境で、
キレイに着飾った自分をだけ見てもらうよりも、
人間臭くて不器用な自分も知ってもらって、
その上で私を選んで頂けるのなら、お互いにフェアだと考えたのも理由の1つです。
あとは、家族が読んでも大丈夫なものにしたかった。
なのでどれだけ私に近い人が読んでも、話に嘘はない
「藤田えみこ物語」になっています。
最後になりますが…
ここまでお読み頂いたあなたに私からのメッセージを送ります。
どれだけ失敗したって大丈夫!
どれだけ今が上手く行っていなくたって大丈夫!
人生は料理と同じかもしれませんね。
必ずその味になる原因があって、必ず改善する方法が存在する。
味気のない料理(人生)よりも、多少スパイスの効いている歩みの方が充実している証拠のはず。
お読み頂いた通り、私がそうだったんですから。
だから大丈夫!
美味しいごはんを食べて、一緒に幸せな気持ちになりましょう!
これからも“藤田えみこ”と『笑みごはん』をよろしくお願いします。
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