カッチリとした文章を書かされるときに思うこと
締め切りを設けられて何かを提出することを求められることが良くある。
それも卒業研究では進捗報告書とかっていうもので意見ではなく論理的でちゃんとしたものを書く必要があるらしい。
論理的な文章とは、少なくとも今書いているような感情垂れ流しの根拠なんてまったくないようなものとは違うだろう。
そもそも文章の目的に沿って、理論的なものが求められているのかそれとも感情的なものが求められているのかというのは変わってくるものだろうから今やっていることを卑下するほどでもない。
ただ理論的で根拠のある正確でしっかりとした誰が読んでも分かりやすいような仕事の文章を書こうとなると難しいと感じる。
正しい求められている文章を書くとなると、これで良いのかっていうことを考えてしまう。
適当に書いていればいいのとは違ってくる。
そのために添削してくれるんだろうけれども自分が正しいと思って書いた文章を人からダメ出しされるというのは、理性ではそうするべきだとわかっているが心情としては控えめに言って不快に感じる。
もうねこれは謙虚になれと言われても無理だ。
だって人間だもの(なんて便利な言葉だろう)。
根拠が通っている文章というのは参考文献が求められる。
何をどう調べてよいのかわからねぇ。
まずどの文章を引っ張ってくれば正当性が保証されるのかを精査する目がいる。
こういうカッチリとしたことって苦手なんだよな。
あとは研究室の先生とか同級生に思っていることや考えていることを伝えることも大事だとされている。
頭の中のものを言うことを躊躇わないで外に吐き出す工程がなかなかに難しい。
noteで記事を書くことで少しでも考えを外に出せるように訓練の一環になればいいなと思ってやってるのだが、まだ慣れきっていない。
引っ込み思案にならずに思っていることはなんでも伝えてよいといわれているが、外に出すのってむずいんすよ。
まず考えを言葉にするのが苦手なのだ。
そしてそれを口に出すのも苦手なのだ。
そもそも今までの教育でルールとかマナーを守る的なしつけをされまくってきたから自分の考えじゃなくてその場の雰囲気に適したことを言うっていう思考が染みついてしまっている。
おっとどうやらネガティブっぽくなってきたのでここまでにしようか。
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