June16
『NAMELESS GIRL』より。少女は神域エスパスヴェルでの暮らしにも慣れ、護身のための銃器や毒の使い方も仕込まれるようになった。生まれつき器用な彼女はすぐに何でもこなせるようになってしまう。
今日は少女が”ベロニカ”と名付けらてからちょうど一年経った日。つまり事実上の誕生日。
「さて、今日はここまでにしましょう。」
「え?まだいつもの半分くらいしか練習できてないじゃない。」
大きくなったらこの村を守れるくらい強くなると。そう約束してからというもの、わたしは毎日何時間もエトロから薬の調合の指導や狙撃の訓練を受けてきた。よっぽど体調が悪い時じゃないと、泣いても駄々をこねてもお休みがもらえることはない。辛く感じることもあったけど、それだけあの約束を本気で受け取ってくれてるんだと思うと嬉しかった。
だからこそ、急にもういいと言われて首を傾げてしまった。
「今日は6月16日ですよ。」
「うん。だから?」
「ベロニカ様の誕生日でしょう?」
「あ。」
「だから特別、です。」
今からちょうど一年前。大好きだったあの子が亡くなってから何日か経ったあの日。わたしはエトロにお願いして名前をもらった。男の子といた頃は、ずっと二人で村から出ずに静かに生きていくつもりだったから名前なんていらないと思っていた。
「でも、いつかエトロの代わりにわたしがエスパスヴェルのみんなを守るんだもの。外の世界では名前がないなんて困るもんね。」
あの子が亡くなった時、わたしは薬草を探しに行っていてその場にいなかった。ちょうど埋葬されている途中だった。
死んでしまうと何も考えられないし何も感じないのだと大人達は教えてくれた。悲しかったけど、もうあの子が病気で苦しむことがないと思うと、少しだけホッとした。
わたしもいつか死んで何も思わなくなる日が来るんだ。こんなに辛いのに、いつかすべてを忘れる日が来るなんて。なかなか信じられないけれど。
そしてきっとその日はエトロの方が先にやってくるんだろう。エトロの年は聞いたことないけど、一番長生きしているおじいさんが村に来たときには既にここにいたんだから。
「わたし”ベロニカ”って名前、気に入っているんだ。……ありがとう、エトロ。」
銃や的の片付けをした後、先を歩くエトロに駆け寄り手を繋ぎながら、いつもは照れくさくて言えない言葉を伝える。でもやっぱり恥ずかしくなって顔を背けて、早口になってしまった。
「そうですか。よかった。」
ベロニカ。ずっと昔に亡くなったエトロの妹の名前なのだという。おとなしい子だけどエトロにだけはすごく懐いていたのだそうだ。わたしは顔も知らない彼女に時々無性に会いたくなった。
「あ、そういえば。」
家のドアをくぐる時、エトロはふと思い出したように口を開いた。
「初めて村に来たときに、青い花を持っていましたよね。」
「……。うん。あの男の子から貰ったの。」
不安な時に心を守ってくれた小さな花。すっかり散って枯れて欠片になってしまうまで大切に花瓶に生けていた。
最期まで名前なんていらないと言い張り続けたあの子。だけどこういう時はやっぱり歯がゆい。
「あの花の名前はベロニカ・オックスフォードブルーというのですよ。」
「!」
―君に似合いそうだと思ってさ―
笑顔で花を差し出すあの子の声が蘇る。
「こんな偶然って、あるものなのですね。」
エトロの顔は真っ黒なフードに覆われて見えないけど、きっとこれまでにないほど優しい表情を浮かべているんだろう。
ぼうっと立ちすくんでいると、目の前に綺麗に畳まれた布が姿を現した。
「忘れないうちに。誕生日プレゼントです。」
「え、あ、これは…ドレス?」
いっぱい服は貰っているけど、動きやすさだけを考えたものばかりで、こんなお洋服を渡されるのは初めてだ。
「知り合いの女性に仕立ててもらったのですよ。」
「わあ、すごく可愛い。ねえ、エトロ、着てみてもいいかな?」
「もちろん。」
わたしは部屋に駆け込むとドレスを広げてみた。フリルやリボンがたくさんついている。袖を通して背中のリボンをキュッと結んだ後、ついていた白い手袋を嵌めた。ちょうど痣が隠れる長さまでちゃんとある。
「わあ…」
姿見を覗くと人形のように可愛い女の子が映っていた。正面、横、真後ろ。
近づいてみたり遠くから全身を眺めているうちに何か足りない気がしてきた。少し考えて…わたしは踵を返してベッドの上に置いた大きなリボンをふたつ手に取る。
姿見の前に戻ると毛束を手に取り、頭の上の方で結んだ。
「これで、よし!」
思わず口に出すと、ドアから飛び出し、外で待っているエトロにお披露目した。
「どう?可愛い?」
「ええ、ベロニカ様。とてもお似合いですよ。」
エトロのことだから絶対に褒めてくれるのは分かっていた。そして本心から可愛いと言ってくれるだろうと。だけどやっぱり口にして貰えたら嬉しかった。
「ありがとう、エトロ。」
今度はちゃんと大きな声で言えた。エトロは答える代わりに、結った髪が崩れないよう慎重に頭を撫でてくれた。それから少しいたわるように手袋に隠れた痣をさすってくれる。
「お薬のおかげで痒いのはないから大丈夫だよ。」
「それは、よかった。ですが…。あの、本当に、申し訳ありません。」
「どうして謝るの?お礼を言ってるのに。」
エトロの声は震えていた。本当に苦しそうだ。
「ちゃんと治してあげられなくて。私の力が足りないばかりに。」
「でも、エトロがいなかったらもっと悪いことになってるよ。」
「そうですが、その……」
「……。」
きっと見た目のことを言いたいんだろう、ということはなんとなく分かった。大人たちが向けて来る怖い目やヒソヒソ笑いを思い出して思わず身震いが出そうになるけど、エトロを悲しませたくなくて無理して笑顔を作った。
「心配しないで。ひとりでも生きていけるように、今エトロがいろいろ教えてくれてるんでしょ。」
「それはそうですが…。」
「服で隠しちゃえば分からないもん。普通の可愛い女の子だとしか思われないよ。」
わざと冗談めかしてクルリとその場で回ってみせる。そしてそのままエトロの両手を包み込むように握った。
「待ってて。早く大人になるから。どんな辛いことにだって負けないくらい、強くなるから。」
「ベロニカ……」
訓練を早く切り上げたから、まだ日は高い。薄暗い森の中にもちゃんと光が差し込んで来る。もう素敵なプレゼントはもらっているけど、だからこそ、絶対に欲しいものがあった。
「明日からまた頑張るから。もうひとつ我儘言っていい?」
「? なんでしょうか。」
「今日の残りはずっとわたしといて。ね?」
それを聞いたエトロは黙ったまま頷いて、それからぎゅっと抱きしめてくれた。その手は大きくて、年を取っているとは思えないほど力強くて。包まれていると安心する。
これまで守ってくれたお母さん。本当のお父さんのように大切にしてくれるエトロ。胸の中でふたりにそっとお礼を言う。生まれてこられたこと、そしてここに辿り着けたことすべてが本当に幸福に感じた。
(・・・・・それから、)
エトロに抱きしめられたまま、心の中でそっと続ける。
(いつか大人になっても、あの子が好きでいてくれるような優しいわたしでいられるといいな…)
目を閉じて、そっとそう祈った。
END
絵師のゆまさんご本人も読んで下さいました!趣味で書いているけどこういう感想を頂けると本当に嬉しい💖✨
そしてさらにフリフリになる予定なのだそうです💖