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7:レビー小体型認知症の症状は、発達特性によって変わってくる

 大吉の場合、母の症状とは違っている。
映子が到達した結論とは、レビー小体型の認知症は、レビー小体というタンパク質が脳に付着するだけが原因ではないと言うことだ。映子は、様々な情報を集めるうちに、多分、これだという確信を持った。そして、今まで不可解だったいろいろな出来事が、一つの線でつながっていったのだ。
今まで、本人から聞いていることなどと総合すると、大吉は、注意欠陥多動症(ADHD)、自閉症スペクトラムの特性を持っていたと思えるのだ。発達障害と呼ばれていたこれらは、今では、「生まれ持った発達上の特性、個性」と表現されるようになっている。誰でも、多少はそれっぽい傾向がないわけではない。ただ、その傾向が強いか弱いか、わずかか、無いか。
 これらの特性を持つ人は、自分の興味のあることならば人より抜きん出て素晴らしい成果を上げることができる。自分のやりたいことと、仕事が同じであれば、社会で成功することもできる能力を持っている。大吉は自分が生きていく上で、一番良い居場所を見つけることができたのだった。だからこそ、自分の興味のある分野で、一目置かれる活動ができたのだ。それは、やりたいことで稼げる楽しい人生だった。結婚生活の真実を知らない誰もが、大吉に一目置いているのは明らかだった。事実、他人には、よく見せるいくつもの秘策を彼は持っていたのだ。そして、他人に対しては、過剰に親切だった。その親切の幾許か家族に向けてほしかったが。他人によい人間として認められるために、大吉は非常な気遣いをするのだった。

 しかし、彼には苦手な分野があった。それが会計の仕事だった。
キャンプ場の管理は、繁忙期を除けば、すべてを一人でやりくりしなければならない。利用者の世話、掃除や片づけ、報告書の作成、会計である。会計については最も苦手な分野ではなかったろうか。お金に対して、ルーズであり、気分で消費し、税金や計算といったことは好まなかった。
そのくせ、妙にケチなところもあった。
それは、「補助金が出るから改装する」と言いはって、しなくてもいい改装の申込みをしたことにも現れている。必要のない改装で、気に入っていた家の窓は、以前より使いにくくなりデザインも美しさもなくなった。映子は、あのときの剣幕を覚えている。映子が反対しても得になるのだからやったほうがいいと言い張って、とりつくしまはなかった。
繁忙期には、学生のアルバイトが数人手伝いにやってくる。ときには、彼らを食事につれていき、支払いを大吉がしていた。気前よく奢る経費は、果たして会社が認めていたのであろうか?
毎月、会計報告を出し、会社から振り込まれた経費と、収入とを計算して余ったお金を会社に戻す。映子にはデパートで働いた経験があり、このお金の締めの作業は、非常にシビアに行われることを知っていた。毎日きっちり合わせておかないと、大変なことになる。ところが大吉には、そういう経済観念はなかった。その場その場を楽しく過ごし、うまくごまかすことにも長けていたのだ。自分の財布と会社の経費の区別がついていなかったのだろう。
 ある年、大吉は、キャンプ場から東京の本社に戻ることになった。後任の管理者に引き渡すためにきっちり会計を閉めなければならない。ところが、
「会社から200万借りることにした。」と大吉がいった。
「200万も何に使うの?予定はないはずだけれど」
「会社の金が合わない。毎月同じ額の経費が振り込まれて、キャンプ場の収入と経費を計算して残ったお金を会社に送金するんだが。毎月、金額が合わなかった。それで、今回締めてみたら200万足りなかった。」
映子は、あいた口が塞がらなかった。会計は、普通その月で完璧に締めていればこんなことは起こらないし、起こしてはならない。もし合わない月があれば、その都度会社に報告しなければならない。何もせず帳尻合わせで、ごまかした結果の200万だった。会計が合わないときに、なぜ合わないのか真剣に原因を探っていれば、こんな結果はありはしない。しかし、金額がこれでは、今更会社に話すわけにも行かないだろう。仕方なく、会社に借りて、給料から引いてもらうローン返済が始まった。
大吉には、自分の興味のないことにはとことんやる気がなく、ごまかしても平気で、社会の常識を鼻で笑うところがあった。この社会性のなさ。コミュニケーションの取りにくさ、相手の気持が読めない、感情を共有できない、限られたものにしか強い執着を示さない、この特性は、自閉症スペクトラムのものだ。

この苦い経験から、映子は、通帳を自分が管理することに決めた。それまでは、大吉がいくら給料をもらっているのかさえ知らなかったのだ。大吉は、月々これでやってくれと、お金を渡すから、それでなんとかやりくりしていたのである。
大吉が入院したあと、身辺の片付けをしているとき、その頃の給料明細が出てきた。なんなんだこれは。生活費にと映子に渡した金額は、給料の半分くらい。どれだけやりくりに大変だったことか、後々起こったことを考えてしまうと、腸が煮えくり返るようだった。なんと結構な額を自分の交遊費と会計の帳尻とに使っていたものだ。
家の経費をすべて映子が管理し始めてから
「最初から映子に管理してもらっていたら、もっと溜まったよなあ」
などとのんきなことを言っていたから、呆れる。
そして、もっと呆れることが起こった。東京へ転勤になって5年。キャンプ場の管理人が退職することになり、念願かなって大吉が戻ることになった。大吉と映子は、管理人室にまた引っ越すことになった。結局、それから7年でキャンプ場を閉める事になったが、ここでまた同じ問題が起こってしまったのだ。今度は、期間が短かったせいか、金額は30万だった。
流石に、今度は、会社に金を借りる事はできない。退職するのだから。退職金が出るので、そこから払えない額ではなかった。しかし、一度同じことをしているのに、何故繰り返すのか。なにかが間違っているのではないか?
「前に、200万も会社から借りて穴埋めしたわよね。どうして、また、同じことが起こるの?なにか、会計のやり方が間違っているのではないの?」
「会社からお金を借りたことなんてあったか?俺は知らない」
「何を言っているの。あなたが、会社から借りて、毎月ローンでお給料から引かれていたのよ。やりくりが大変だったわ。それなのに、また会計が合わないなんて。なにかが間違っているのよ。」
自分の失敗は、忘れて、無かった事になっているのだろうか?
映子は、大吉という人間がわからなくなってしまった。余りにも杜撰だ。だから、すぐに30万渡す気になれなかった。もう一度計算し直してみて、と言った。一緒に見直しを手伝うからとも言った。しかし大吉が会計帳簿を見せることはなかった。会計帳簿すらなかったのだろうか?大吉は、極端に秘密主義なところがあり、仕事のことを隠したがるフシがあった。もちろん、どんな企業でも仕事の内容は、社外の人間に話す訳にはいかないということはあるが、これほどお金の被害が出ているのだ。キャンプ場の帳簿ぐらいは見せてくれてもいいのではないか。
大吉は、それからしばらくお金の話をしてこなかったが、3ヶ月程たった頃、どうしても必要だと、また、言い出した。もう、仕方ないので30万渡したが、何故、こうなったのか原因をさがすことはできなかった。

 大吉は、休日になると、前の日からどこへ出かけるのか準備をするということはほとんど無く、当日も10時過ぎになって突然どこかへ行こうと言い出す。目的もなにもない。衝動である。そして、出かける先の選択肢は、3つぐらいしか無い。いつも行くショッピングモール。いつも行くアウトレット。映画は、流石に時間が間に合わない。田舎のこと、映画館までは片道二時間弱かかった。都会の人のように、思いつきで映画にでも行こうか、なんてことは基本ありえない環境なのだ。それなのに、毎回、同じように、当日の午前中も終わるような時間に、そういうことを言い出す。
いつもの場所で、必要もない何かを見て、衝動的に買い物をする。そして、困ったことに、大吉はブランド物や、結構値の張るものが好きだった。
映子は、せっかく出かけるのだから、新しいお店を見つけたり、今まで行ったことのないところを開発したりしたかったが、大吉は、新しい場所には、あまり興味はなかった。新しい場所に行くときは、駐車場がどこにあるか、ちゃんとたどり着けるか、それはもううるさくて、映子にナビゲーターをしろと、何度も言うのだった。その剣幕に閉口して、結局本人がやりたいようにさせたほうが、自分も楽、ということに落ち着いた。
いつも夢に見るのは、ナビゲートして素敵なお店を案内してくれるパートナーだ。でかけて帰りが遅くなるときは、このお店で夕食を食べていこうか、とか言ってくれないものだろうか。親戚の家で遅くなったときも、家に帰れば食事の用意をしなければならない状態を、大変だと思って欲しいのに。通り沿いのラーメン屋だっていいのだ。疲れて帰って、食事の支度なんて勘弁してほしい。しかし大吉は、運転していると店を見つけられないから、店を見つけたら早めに言えというばかり。そして、例のごとく他車より自分が運転がうまいということを示すべく、車線変更を繰り返すのだ。この状況で、何が言えるだろう。映子は、そのうち諦めて、手を抜く方法を考える。

衝動的なところは、食べ物にも発揮された。ある時、知り合いが生牡蠣をたくさん送ってきた。食べすぎるのは、良くないと言っている間もあらばこそである。結果、あとでお腹を壊してしまった。ちまきを作ったときも、美味しいとなると止まらない。そして、また寝込む羽目になる。普段は、健康診断に必ず行くほど、自分の身体を気にしているにも関わらず、衝動を止める事ができないのはどういうことかと映子は首を傾げた。
子供の頃は、教室で、先生の揚げ足とって騒いでいたらしい。そのことをさも自慢気に話す様子に、全く成長していない子供なのだと思った。厄介な生徒だったろう。
今ならよく分かる。興味のあることだと集中しすぎて切り替えができない、時間の管理、作業を順序立てるのが苦手、目的のない動き、衝動買い、忘れ物亡くしものが多いなどなど、注意欠陥多動症(ADHD)気味なのは明らかだ。
他にも、不可解な言動があった。
いつ頃か忘れたが、十年以上は前のことだ。突然、映子が行ったこともない土地に、大吉と一緒に行ったと言い張るのである。見たことのない映画に一緒に行ったとも言い張った。そして、物忘れがひどいとなじるのだ。しかし、知らない土地のことは知らないし、見たことのない映画など内容も知らない。映子は、映画が大好きだから、見たことがあるものならば、俳優や監督の名前や、それがどんな内容かも忘れることはない。だから、知らないということは、見ていないということだ。忘れているのではなく、そんな事実は存在しないのだ。
何故、大吉はそんな事を言うのだろう?映子がその時無理やり出した答えは、元カノと行ったのかしらということだった。そう思うしか、この不思議な言動を説明することはできなかった。今なら答えはすぐ出る。この時すでに妄想は始まっていた、ということだ。

映子の読んだ本の中でとても興味深かったのは、オリヴァー・サックスの「幻覚の脳科学」だ。オリヴァー・サックスは脳神経科医で、「レナードの朝」という映画の原作者でもある。「レナードの朝」は、重いパーキンソン症候群であり脳炎後遺症患者の病棟で、長年硬直し動くことのできなかった患者たちが、ある薬(Lドーパというから、ドーパミンを増やす薬なのだろうか)の開発によって、目覚め、動き、しゃべることができるようになるのだが、薬は永遠に効くわけではなく、彼らはまた、硬直の症状に戻っていくというような映画だった。主演は、ロバート・デニーロとロビン・ウイリアムズ。なんだかもの悲しい映画だった記憶がある。
あの頃は、パーキンソン病は遠い存在だった。今は、直ぐ側に可能性が潜んでいる。こんな未来を想像することもできなかったし、できれば回避したかった。

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