元女斥候、巨獣の背中でスローライフ3話
#3
■ナランの回想
大きな木の根本、ボロボロの衣服で木に体を預けている子どものころのナラン。
やせ細った体躯、その瞳は虚ろで、だらりとヨダレを垂らしている。
周囲には、哀れそうに見ている大人達。
男A「家族をマンガスに殺されたか……」
男B「捨て置こう。激しい戦の最中だぞ」
男A「……羊の世話係が足りていなかっただろう」
やれやれ、と苦笑している男B。
無表情で話を聞いていないナラン。
N「親も兄弟も失ったナランを生かしたのは、縁もゆかりもない氏族。仕事と寝場所だけを与えられた孤独なナランが斥候になるまでは、また別の物語が必要なのですが……」
■ウルゲン村・ゲル
ナラン、子ども達と一緒に眠っている。
数人の子どもがナランを枕代わりにしており、うなされているナラン。
N「今はひとりになれる場所もありません」
■草原
体を丸めて眠っていたウルゲンが、眠たそうに体を起こす。
ウオオオン、と空気を震わす朝の遠吠え。
■ウルゲン村
アクビをしながらゲルを出てくるナラン。
ナランM「あんまり眠れなかった……寝る場所も考えなきゃな……」
■厨房用のゲル
鍋や調理用具を見ながら、パンと自分の顔を叩いて目を覚ますナラン。
ナラン「さて、朝の仕込みしなきゃ!」
ナランが向かい合っているのは、大きな鍋に入った大量の牛乳。
ナランM「まずは牛乳を弱火で煮て……」
竈の上に鍋を置き、火にかけるナラン。
やがて煮立つ牛乳。
ナランM「煮立ったらこれを掬い……」
お玉で牛乳を高いところまで掬う。
ナラン「できるだけ高くから、落とすようにして混ぜる」
牛乳を落として混ぜるナラン。
ナランM「これをしばらく繰り返し」
× × ×
T『一時間後』
へとへとになっているナラン。
ナランM「こんなものかな……あとはこれをしばらく置いといて……」
ナラン、別の場所から濡れ布巾がかかったボールを取り出す。
ナラン、布巾を取る。
ナランM「バター、砂糖、熱湯を入れて練った小麦粉……」
中には練られた小麦粉のかたまり。
ナラン、手に少し小麦粉をつけてかたまりを押し付ける。
ナランM「よく押して、よくガスを抜いて」
ナラン、まな板と綿棒でかたまりを2cm程度の厚さに伸ばしていく。
ナランM「あとは食べやすい大きさに切っていく」
包丁を使い、5cm×4cmほどに切り分けるナラン。
ナランM「鍋に入れた油を熱してら」
ナラン、深めの鍋で油を火にかける。
ナランM「これをきつね色になるまで揚げる」
切り分けた小麦粉を油に入れていく。
ナランM「よく油を切って」
油切り網で取り上げ別のボールにわける。
美味しそうに完成したモンゴル風揚げパン(ボールツォグと呼ばれるもの)。
ナラン「完成、西天流揚げパン!」
出来栄えに満足そうなナラン。
× × ×
ナラン、ミルクを飲んでひと休み。
× × ×
濡れ布巾をかけていたボールを持ち出すナラン。
布巾を取って、中を覗く。
ナランM「よし、こっちもできてる」
牛乳に膜が張っている。
ナランM「この膜を綺麗にわけたら」
それをお玉ですくいあげ、ボールに移していく。
ナラン「西天流クリームバター『ウルム』出来上がり!」
■他の広いゲル
元気そうな子ども、ナランの料理を前にして。
子ども達「いっただきまーす!」
一斉に食べはじめる。
揚げパンにウルムを乗せ、ばくばく食べる。
子どもA「おいしーい!」
子どもB「こんなうまいの食べたことねー!」
嬉しそうに、朗らかな笑みで子ども達を眺めるナラン。
その隣では、ジャガが子どもと同じすごい勢いで揚げパンを頬張っている。
複雑な表情でジャガを見るナラン。
ジャガ、視線に気づいてじろりと見上げ、
ジャガ「……なんだ。やはり毒でも入れたか」
ナラン「えぇ!? 子どももいるのにそんなことしませんって!」
ジャガ「ふん……」
憮然としながらも、ガツガツ食べる。
その近くで、にやにや楽しそうなアバ。
アバ「美味しいなら美味しいって言えばいいのに。ジャガがこんなに夢中で朝ごはん食べてるところなんて、はじめて見たよ」
ナラン「わ……お口に合うならよかったです」
ジャガ「アバ、余計なことを言うな。それにお前も、狙っていた相手を喜ばせてどうする」
ナラン「あ、あはは……確かに」
子どもA「え? ナランおねーちゃん、ジャガにーちゃんを狙ってたの?」
子どもB「にーちゃんー、付き合ってやんなよ!」
子どもC「ひゅーひゅー」
ジャガ「やかましい! 黙って食べろお前らッ!」
子ども達「はーい!」
ジャガの怒声にまるでひるまず、食事に戻る子ども達。
困惑しているナラン、アバは愉快そう。
アバ「ナランが来てくれてまたずいぶん賑やかになった。助けてよかったよ」
ナラン「あ、あはは……」
少女の声「おはよーす」
長い黒髪の、小柄な14歳ぐらいの少女アスハンがゲルに入ってくる。
アバ「おはようアスハン。みんなと食事なんて珍しいな」
ナランM「……? はじめて見る子だ」
ジャガ「……あいつはいつもゲルに引きこもってるからな。日光が苦手なんだそうだ」
ナラン「へえ。ご紹介ありがとうございます」
アスハン「新しいのが入ったの、知らなかったからね」
と、揚げパンをかじる。
アスハン「あ、うまい。なるほど、正体はどーあれ身内にしたくもなるね」
鋭い目でナランを見るアスハン。
ナラン、ドキっとして冷や汗が流れる。
アスハン「ビビんないで。私はあんたのオンゴットが知りたいだけ」
ナラン「……!」
ほんの少し緊張するジャガ、アバ。
ナラン「貴方は――シャーマンですか?」
アスハン「当たり。まだ半人前だから、降ろす手伝いしかできないんだけどね」
子どもA「ねえ、オンゴットってなーに?」
アバ「獣祖<オンゴット>――あらゆる人間は、祖先たる獣の霊に魂を守られている。お前にもジャガにも、オンゴットがいるんだよ」
ジャガ「…………」
アバ「人大人になって儀式を経れば、自分のオンゴットとコンタクトを取り、直接力を貸してもらえるんだ」
アスハン「(ナランに)結構強そーなオンゴットの気配を感じるんだ。見せてよ、あんたのご先祖」
ナラン「……できません」
アスハン「(感心して)……へぇ?」
ナラン「オンゴットを見せることは、私の起源を見せるのと同じこと。そう簡単には、晒せません」
ジャガ「ふ……まだ氏族を計らう感情が残っているか」
アスハン「ま、当然だよね。その内見せてもらうつもりだけど、無理強いはしない」
ナラン「……ごめんなさい」
外からの声「アバー! 草原の向こうから誰か来るぞ!」
一同「!」
■ウルゲン村
ゲルから出てくるアバ、ジャガ、ナラン、アスハン。
村はずれまで歩いていき、遠くを見ると、馬に乗った小さな影が見える。
アバ「ナランの後任者かな」
ナラン「わかりません、自分は単独行動でしたから」
ジャガ「……ここからじゃ何者か見えないな」
ナラン「わ、私……見てきます!」
アバ「え?」
ナラン「来て、私のオンゴット!」
すると、ナランの影から大きな白鹿が現れる。
ナラン「この子に乗れば、草に隠れて移動できますから。見つからないと思うので」
アスハン「あんた、オンゴットは見せないって……」
ナラン「(赤面して)あ」
ジャガ「……ははっ」
ジャガが快活そうに笑い、驚くアバ達。
ジャガ「まったく奇妙な奴だ……見ていて飽きない。だがここは、俺に任せてもらおう」
ナラン「え……?」
ジャガ「出よ、我がオンゴット!」
すると、ジャガの影から大きな鷹が飛び出してくる。
怯んでいるナラン、慣れているアバ達。
ジャガ「この距離なら、空から見るほうが優位だからな」
鷹を肩に乗せ、地平線を見やるジャガ。
続く