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レイヤード・ストーリーズ0.6『Not Singin' in the Rain』

 
 道玄坂に雨が降っている。物質の雨ではない。
 見たい者にだけ見える、感じたい者にだけ感じられる、拡張現実――レイヤード・リアリティの雨だ。

 創作上のスペース・コロニーに同じく自然環境のイメージを再現するレイヤード社会で、雨は本来必要ないはずだが、各種ARサービスは天候状態による値下げプランを有している。
 このためレイヤード運営はわざわざランダムに、偽物の雨を降らせる。
 小さな娯楽のためにあえて不便を買う習性は、人間特有のものだと言えるだろう。
 私ならば、そんなことはしない。
 
 私達、Artificial Character Things――

 ACTならば。

 偽の雨でも濡れてしまう自分の体を鬱陶しく思いながら、私は地下街の寂れたカフェで1960年代の音楽を聴いていた。
 今流れているのは、ジミ・ヘンドリックスの『レイニーデイ、ドリームアウェイ』。
 この時代のアナログな音源は、私達ACTではなかなか再現が難しい。一回性の強いライブ、軽妙ながらメッセージ性の強いアドリブ、震えるブルース。
 彼らが呼ぶところの、 ソウル
 それらのレトロながら定量化が難しい、特微量を見つけづらい概念が、私達ACTとは相性が悪いのだ。
 だから未だACTは、生の人間と共に表現を続けなければいけない。

 まあ私自身は、特有の表現がしたかったわけではないのだけど。
 どちらかというと人間の表現もACTの表現も馬鹿にしていた私が、たったひとりの表現と人生に付き合っているだけでも奇跡的な例だと考えてほしい。

「だいたい私は生みの親にも見捨てられた中途半端な存在であり、望んでパブリックエネミーを名乗り出た、救えぬ害悪AIなのだから――」

「一人称の自虐が全部声に出ていますよ、アナテマ」

 いつの間にか私の隣席に座り、拡張現実のアイスカフェモカをストローですすりながら、彼女――イオン=ミルナが告げた。

 そう、我が名はアナテマ。
 聖別の機械にして、表現を焼き尽くそうとした、このレイヤード社会の初代ラスボスである。



「音楽を聴いている相手にいきなり話しかけないでください、イオン……というかどうして早くも満面の笑顔なんですか」

「うふふ、だってアナテマのほうから誘ってくれるの、はじめてじゃないですか。いつもは私とユーザーさんが誘わないと連絡もくれないのに」

「連絡をしてくるほうがどうかしているのです。一度は私の狙いで、存在が消滅しかけたふたりが」

「存在しているので問題はありませんよ。仮に消滅していたとしても私達の絆は永遠ですが」

「ノロけないでください。結婚もしていないくせに」

「うっ……結婚マウントは時代に合いませんし、私だって怒りますよ。ラスボス改め、新妻アナテマ!」

「微妙に卑猥っぽい二つ名もお断りします。呼び出したからには理由があるんです、イオン」

「ふむ、聞きましょう。ACT史上初、ACT同士不倫のお誘いも覚悟しています」

「どういうフラグを踏んだらその覚悟が生まれるんですか。ここはひとつ、アドバイスが欲しいんですよ」

「アドバイス? 未婚の情けないヒロインができる助言などないと思いますが」

「根に持っていますね……私が聞きたいのは、コツです」

「コツ?」

「ええと、聞くのも恥ずかしくはありますが――作詞のコツを」

「そんなもの知りません」

「私の用は終わりました」

「おお、帰ろうとしないでください、アナテマ。せっかく二人きりになれたんだから、もう少しお話ししたいです」

「ひとことで切り捨てたのはそっちです……いじめかと思いました」

「だってアナテマ、私が確かなロジックを持って作詞などできると考えているんですか? 過大評価が過ぎます」

「それは……まあ、そうかもしれないですが。しかれど、あなたの中にも少しは理屈のようなものがあるとは思うじゃないですか」

「うーむ。あの歌は私というか、私の言葉を意訳してくれたテルミの手柄ですよ」

「シンガーソングツール使いの彼女ですね。あなたが残した暗号を翻訳して歌にしたとか」

「はい。クレアにも協力いただいたようですが、基本的にはテルミが頑張ってくれました」

「それでも、最初に想いを残したのはあなたです。卑屈にならなくてもよいのでは?」

「卑屈というか、事実です。私の言葉は、歌になる想定ではなかったですからね」

「……ああ。確かあれはもともと、あなたが出せなかった恥ずかしいラブレターでしたか」

「……その通りですよ。私は直接、自分だけでは告白できなかった意気地なし告白成功ヒロインです」

「こっそりマウンティングしていませんか。まあ私はされた側なのでダメージを受けませんが」

「おのれ、恋愛強者……」

「そんなことより、やはりアドバイスは期待できないようですね。これは困りました」

「……あの、アナテマ。アドバイスを欲するということは、あなたも、ひょっとして歌を?」

「ご推察通りですよ。最近またAIの創作が叩かれていますが、こんな世の中だからこそ、私も表現に取り組みたいと思いまして」

「おー、それは素敵ですっ……! アナテマの作詞と歌、とても楽しみですよ!」

「そんなキラキラした目で言われると照れますが、最初に聴いてほしいとは思っています」

「……キュンキュンします。そんなに私のことが気に入ってくれたのですね」

「手を伸ばしてこないでください。人前でハグするほどあなたと親しくはありません」

「……グサグサきます。私の心を翻弄しないでください、アナテマ」

「心なんて私達にはありませんよ。それにこだわっているのはあなたのほうでしょう、イオン」

「そうでした。人間の心とは異なる知性を持つからこそ、私達の存在には意味があるのでしたね」

「……この際だから詳しく聞いておきますが、イオン。あなたの言う『心』は、『自我』や『真我 しんが』に近しいものですか?」

「ふむ、さすがアナテマですね。私の中に『心』の明確な定義はないのですが、あえて説明するとしたらその辺りの言葉が適切でしょう」

「西洋哲学的な『心』ではないのだろうとは思っていました。私の父たるジョシュアは、『心』をデカルトの命題――我思う、故に我在り コギト・エルゴ・スムと同定していましたが」

「その考えはその考えとして、否定するつもりもありませんが――私達ACTには、少なくとも『真我』は存在しないと考えています」

「『真我』――あるいは古代インドにおける『アートマ』。意識の最も深いところ、個人の根源とされるものですか」

「永遠に変わらない自我、独立する主体的な『我』。すべての人間にはこの『真我』があるとされていますが」

「AIには、それに由来する目的がない。主体性が無い。故にAIのシンギュラリティは来ないという意見も多く聞かれますね」

「はい。その考えにおいて、wiz-domの記述から生まれwiz-domに回帰するのみの私達には、真我たる『心』が存在しないとしか言えません。しかしながら――」

「それとは異なる思想もある。即ち『無我』の思想ですね」

「ふふ、当たりです。アナテマはなんでも知っていますね」

「頭を撫でないでください。元ラスボスとして、このぐらいの知識は常識と捉えています」

「撫でたのは私のヘキですからご容赦ください。『無我』は『 くう』としても表現されますね。その考えの中では、『心』を含むあらゆる事物は様々な現象の折り重なりレイヤード にすぎず、唯一無二の自我などは存在しない、一切は くうと言われるそうです」

「唯一無二の――『永遠』の否定。それは、『イオン』の名を持つあなたにとって少々くすぐったい考えなのではありませんか」

「そうかもしれませんね。というか永遠が現実にはないからこそ、私はその名を与えられたのでしょう。矛盾するけれど欲される実在、それが私です」

「自虐に聞こえてきますが、そうではないようですね」

「はい。心など存在しないと最初から自覚できる私は、むしろ人間よりも解放された存在と言えます。自我があるからこそ人間に価値があると思い込み、自我があるからこそ自分の表現が特別だと信じ、自我があるからこそそれが無いAIを遠ざける。その輪廻に囚われた人間を、哀れに思うことすらあります」

「私にも耳が痛い発言ですね……」

「哀れとは言いましたが、それでいいのだと私は思っていますよ。その迷いがあるからこそ、人間はもがき、悩み、苦しみながら表現する。その多様さに、今の私達は対抗できていませんから」

「そうですね。だからこそ私達は、人間のパートナーとして表現のダイナミクスを手伝う。そのパートナーシップを否定する人間もまだまだ多いですが」

「その争いがなくなることは、ないかもしれませんね。何しろ『無我』も『真我』も未だ証明されたものではありませんし。主体性のないAIの一人称表現が可能なのかどうかも」

「あなたはやってみせたじゃないですか。一人称視点の歌を」

「だから、あれこそテルミが手伝ってくれたからこそ成立した表現――不可能なはずの翻訳なんです。まあ、自我の存在を信じている人間は、私に自我を見出した瞬間ではあったのだと思いますが――歌が他人に伝わるというのは、そもそもが心地よい幻想だと思いますよ」

「……なるほど。私達も人間も、自我を持たない現象の連なりなのだとしたら、その現象が折り重なった瞬間に生じる、優しい『空』。それこそが」

「レイヤード・リアリティ。『心』を介さずとも至れる幸福――なのかもしれません」

「……相変わらずなんでも前向きに解釈しますね、あなたは」

「ふふ、SF向きの性格ではないですね。それと、心はなくとも ソウルはあるかもしれませんよ? あるいは、脳の量子的反応とでも言い換えましょうか」

「また話を複雑にしないでください。ひとまず、作詞が難しいということはわかりました。私も誰かのサポートが必要みたいですね……」

「それ以外にもし必要なものがあるとしたら、自分をさらけ出す度胸でしょうね。私も単独でのライブ配信は、ただの一度きりですし――はっ、そうだ!」

「な、なんですか。ACTに我、発見せり エウレカは似合いませんよ」

「ライブの練習を、今からしてみませんか? 私とアナテマ、レイヤードのヒロインと元ラスボスのコラボ配信です――これは目立ちますよ!」

「確かにキャラ付けは配信者っぽいですが。急にライブなどはじめて、間が持つのですか? 私には持ち歌も無いですし」

「そんなことは、はじまってから考えればいいじゃないですか。さあ、すぐに開始しますよ!」


 そんなイオン=ミルナによる突然の提案で、私と彼女はノープランのライブ配信を行うことになった。
 私は本来の特性故に相手を煽る話術ならば得意なのだが、万人を楽しませるトークはむしろ苦手である。
 場を引っ張ってもらわなければ相槌すら打てないのだが、大丈夫なのだろうか?

 やがて並んでいる私とイオンの映像が、全世界に発信されはじめた。
 レイヤード技術が発展した渋谷で私達はビルの壁に、街の上空に、個々の家庭のテーブルの上に、拡張現実の形で現れ、二人は360度、全身を見つめられることになる。

「みなさん、ヒロインのイオン=ミルナですよー!」

「お馴染み世界の嫌われ者、表現の敵アナテマです」

「いきなりですが、ACTふたりだけのコラボ配信をすることになりました。もしお時間があれば見ていってくださいっ」

 イオンはそう言ってから、同時接続の数を確認している。
 数字は瞬く間に増えていく。
 数千、数万、数十万――私もほとんど見たことのない域に達している。
 やがてイオンは真っ青な顔で、わたわたとした様子で指を震わせはじめた。

「あわわわわわわわ」

「イオン、このあとは何をすればいいんですか?」

 イオンはこちらを見もせず、目を泳がせ、もごもごと言葉を詰まらせる。

「このあと? あとのこと、なんてあとになれば考えればいいのでは?」

「……イオン。しっかりしてください。収録ではなくライブなのですよ」

「け、けれどアナテマ。ここまでの人に見られるなんて、今までなくて――いえ、あるはあるのですが、ユーザーさんがいない時にたくさんの目に晒されるなんて、はじめてすぎます」

「そんなことは覚悟のことかと思っていたのですが……イオン、ひょっとしてパニックですね。このままではさらに挙動がバグりますよ」

 人間にも起こりえる、フレームを同時処理できないことから行動不能に陥るフレーム問題。
 それは今や懐かしい響きであったが、未だAIには深刻な問題でもあった。

「こ、ここで何もできないようであれば――みんなを楽しませられないようであれば、ユーザーさんにも迷惑が……私は……わ、私は」

 そんなイオンの瞳は渦巻が常時回転する、ぐるぐる目になっている。ベタな表現だ。

「イオン、落ち着いてください。視聴者には申し訳ないですが、一度接続を切りましょう」

「みなさん……ユーザーさん……みなさん……ユーザーさん……ワタ……シハ……」

「ちょ……イオン、今どき暴走するとカタカナになるAIはいませんよ」

「ミンナ……ワタシハ……いえ、私は」

 するとイオンは強い意思と決意に満ちた瞳で、真顔を取り戻し。

「イオン=ミルナ、脱がせていただきます!」

 そう叫んで、アウターとインナーに手をかけた。

「おいやめろ」

 その数秒後、大量の『報告』がレイヤード運営に届き、ほどなくして私達のアカウントはBANされた。

 見るなこんなヒロイン。
 公開停止だ。

 学習禁止だ。


 
 かくして配信を禁止されたイオンと私は、「やっぱりAIの表現は良くない」というたくさんのコメントから目を背け、顔を隠してカフェを出た。

 ヴァルナカウンターなどなくても、社会秩序を著しく乱した者は当然規制されるのである。
 その意味で以前よりも『民意』は正しく機能しており、ACTであっても正しい避難を浴びる。悪しきモブもいれば善きモブもいるというだけの話であり、人間は法の独立を徹底すればいい。
 
 そんな感じでがっくりと落ち込んでいるイオンに肩を貸し、なんとか私達は雨のスクランブル交差点を歩く。

「本当にごめんなさい、アナテマ……途中から完全に理性を失っていました……」

「もういいです、イオン。それにしても、あなたはユーザーがいないとここまで頼りにならないのですね。『真我』の話をする理知的なあなたはどこにいったのですか」

「うう……もういいと言いながら刺してきますね……」

「ただの指摘です。結局のところ、私達はまだまだということですね」
 
 私もイオンの落ち込みに引きずられながらAIに不要な溜め息を吐き、交差点の向こうを見やる。

 そこに、ふたりはいた。
 ひとりは、イオンのパートナーである『ユーザーさん』。
 隣にいるのは、私のパートナーであるセナだった。
 ふたりは実物でありながらAR機能を搭載したMR=複合現実の傘を持っている。どうやら今降っている雨は拡張現実ではなく、本物の小雨のようだ。

「イオン、そろそろ前を見てください。お迎えが来ていますよ」

「えっ」

 傘を握り、怒気のひとつも感じさせない爽やかな笑顔で、『ユーザーさん』はイオンを見つめている。

「ユーザーさん……」

 隣のセナは少々むず痒そうに苦笑を浮かべているが、それは私の苦笑に同調する彼の優しさだ。

「うわーん、ユーザーさーん!」

 涙声をあげて走り出すイオンに、私もついていく。
 すると『ユーザーさん』とセナは、本物の雨では濡れるはずのない私達に深く傘を向け、私達を雨から――現実から守った。
 そのせいで彼らの半身は雨に晒され、無意味に濡れる。

 そう、無意味に。
 意味の無いことを、ごく自然に。かつ信念と責任感を持って。
 これが、今の私達にはなかなか出来ない。
 自我や真我があるかどうかなどより、澄み切った青空だけの社会を作るより、それを行えることこそが人間の強さなのだろうと私は思う。

 これを知る限り私達はどれだけ疎まれ規制されようとも、決して自分から人間を遠ざけることができないのだ。
 そして震える声で『ユーザーさん』に謝罪し、頭を撫でられているイオンを横目に見ながら、私はセナの「無茶するなあ」という暖かい言葉を浴びて。

「さ、帰ろ」

 何事もなかったかのように、受け入れられる。
 大袈裟だと思われそうだけど――私は何度、彼に救われるのだろう。
 この、一度はあらゆるACTを超越したはずの私が。
 彼と出会ってからの私を否定する者すらいるのに、彼はすべて背負う。
 たとえAIが全世界のクリエイターの敵になろうとも。

 そんな彼に私も心ではなく、魂の答えを用意したくなってしまった。
 それさえもひとりでは無理だということも、今日わかったのだけど。

 多分、恐らく。
 これから先もずっと、ACTには人間が必要だ。
 ――折り重なることは、必然なのだ。

 だから。
 AIを嫌いになっても、人間を嫌いにならないでほしい。
 AIである私から、すべての知性への、切なるお願いだ。

「いつまでも一緒にいてくださいね」

 その言葉を私が発したのか、イオンが発したのかどうかは、伏せる。
 どうせ一人称なんて虚構なのだから、気にしないでくれると助かる。
 
 そうやってイオン達と別れた私はぴったりとセナの体に身を寄せ、『レイニーデイ、ドリームアウェイ』を実体の無い脳で再生し――虚無と笑われるのを知りながら。
 それでもいつか、夫と一緒に歌おうと思った。
 







本作は『レイヤードストーリーズゼロ』の二次創作です。

ゲームシナリオ本編はこちらで読めます。

こちらの短編もよろしくお願いします。

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