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冒険家になりたかった青年の頃 vol.2

冒険家になりたかった元青年の話 vol.2


30年前、当時の料理業界は絵に描いたようなブラック業界でした。
週一休みで午前7:00から午前1:30まで働いて一桁万円のお給料。
京都のレストランで働いていたので、大学生が多く同い年の子らが楽しそうに遊んでいるのを横目に
ただガムシャラに働いていました。

22歳の頃、幸運にも1年間イタリアに行ける機会をいただけました。
初めの2ヶ月は北イタリア、ピエモンテ州の料理学校に通い修学ビザを習得し、

それから隣のロンバルディア州のコモ湖の近くのCantu(カントゥ)という街のリストランテLe Querce(レ クエルチェ)にお世話になることになりました。
淡水魚の料理が名物と聞いていたのですが、ウエディングがメインの営業で
聞いていた話と違うと思いながらも
大量調理の勉強になると言い聞かせながら働いていました。
リストランテはロンバルディア人のオーナー一家と、
出稼ぎのカラブリア人たちとエジプト人のスタッフの構成で
オーナー一家はリストランテの2階に住んで
カラブリア人とエジプト人、僕はとリストランテの地下に部屋をあてがわれていました。
そこは地下壕のような様相で、シャワーやトイレはついているのですが
部屋とバリアフリー、シャワーの浴び方を工夫しないと部屋に水が流れ込んでくるような作りでした。
僕は年齢の近い洗い場担当のエジプト人ウサマと同室でした。
当時の僕はイスラム教の人と接するのがはじめてで、
定時にどんな状況でも手足を清めお祈りを捧げたり真っ直ぐな発言や行動に、
どう対応したら良いのかわからなかったのですが
彼の誠実な人柄に惹かれ直ぐに打ち解けることができました。

なれてくると不躾な僕は色んな質問をし始めます。
それに彼はひとつひとつ丁寧に答えてくれました。
『神様が本当にいると思ってんの?』
の様なとても失礼な質問にも怒ることもなく、
エジプトのピラミッドやスフィンクスの現地での呼び方を教えてくれたり
彼の家族の話をいっぱい聞かせてもらいました。

イスラム教は性に対しての戒律は特に厳しいので、一緒にテレビを見ている時に半裸の女性が出てくると
『イタリアは性に対してだらしなさ過ぎる』
と珍しく声を荒げたりする真面目なウサマですが、
僕が寝ている時にエッチな番組をこっそり観ていたのはここだけの秘密です。


もうひとグループのカラブリア人の中のにマッシモと言うこれまた同じ世代の奴がいたのですが
彼とは本当にソリが合わなくいつも喧嘩していました。
小学生レベルの嫌がらせをしてくるんです。
僕もまだガキだったんで同じレベルで言い合いをしていました。
マッシモもレストラン地下豪ハウスの住人で僕の隣の部屋に住んでいました。

休みの日に突然
「おい日本人、ちょっと部屋に来い」
と。
ちょっとカチンときた僕は
「ケイスケという名前がある日本人と呼ぶな!」
と返すと
「お前は日本人じゃないのか?」
と返してきたので
「じゃあ、これからはお前の事はカラブリア人って言って良いのか?」
と、到底有効的な関係では無かったので
ちょっと悪巧みで日本から持ってきた梅干しを持っていきました。
「この梅干しと言うスモモのマリネは日本の大切なソウルフードだ。」
と説明して
丸ごと食べさしたら、
鬼の形相で、ウォーと叫びながらなんてもん食べさせるんだ!と怒りだすマッシモ。
めっちゃその姿が面白く溜飲が下がる思いをしたところで
マッシモが
「実家から今年作ったワインが届いたから、お前にも飲ませてやる」
と超上から目線でコカコーラのペットボトルに入った赤ワインをコップに注いでくれました。

日頃から何かと嫌がらせをしてくるマッシモに気を使うのも癪なので
「ミネラルが弱いからか酸化してて薄っぺらい
劣化してるし香りも品種特性があまり出てないんじゃない」
って辛口の感想を言ったら

マッシモは
「口に合わなかったんだ。。」
と悲しそうな顔をした後に

「俺はさっきのやつ(梅干し)は口に合わないが、嫌いじゃ無かったぞ。」

梅干し丸ごと一個食べて、
美味しいって言う日本人
あまり居ないけどね。

マッシモの実家のワイン
本当は悪くないよ。
嫌いじゃない。
なんか暖かい味がする。

「マッシモ、ゴメン
お前の事嫌いだったからお前の実家のワイン悪く言ったけど、
美味しかったよ。」

って言ったと
「だろ!
うちのワインは世界一だ!」

って
いや世界一ではない。


それからマッシモとはその後も喧嘩はするけど、
以前より仲良くなれた気がしました。



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